きょう、新宿駅の階段を上がっていると背後から「チッ、クッソー!」という舌打ちと声が聞こえた。
振り返るとサングラスをした若者が苦虫をつぶしたような表情をしている。
一瞬、自分に向けられた舌打ちかと思ったが、状況から察するに、階段を下りる人の波の威力が強く、上りのスペースをほとんど埋め尽くしていることに対する舌打ちに違いない、と理解した。
ホームには電車が発車を待っている。
それに乗りたいが、人の波がそれをさえぎる。
しかも、前の人間(つまり私)の歩みはのろい。
これらに対する苛立ちの「チッ、クッソー!」だったと思う(ということは、自分にも向けられていたということになるか……)。
こういった場面は、こういった雑踏の中で、よく出くわす。
状況はよく飲み込めなくても、周囲から舌打ちが聞こえてくることは日常茶飯事だ。
しかし、自分はこの舌打ちという行為は好きではない。
なぜなら、この行為をしたところで、何も自身の不満は解消されないし、他人(関係のない周囲)にも不快感を与えるから。
舌打ちをしたくなる事情はそれなりに理解できる。
しかし、舌打ちをしても何も変わらない、変えることなどできない。
では、舌打ちをしたくなったら?
ゆっくり深呼吸して、はあと大きく息を吐いてみたら、どうか。
怒りの気持ちは多少なりとも和らいでいるはずである。