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ツール・ド・フランスの魅力と自転車専用道について(私が自転車に傾倒することになった理由)
2008年 4月 1日

私がツール・ド・フランスの存在を初めて知ったのは1986年の大会の総集編がNHKで放送された時だった。

この時の優勝者は、アメリカ人として初めてマイヨ・ジョーヌ(総合トップに与えられる黄色いジャージ)に輝いたジャック・レモン。前大会までに5勝を上げ ていたフランスの帝王・ベルナール・イノーがチームメイトであり、後継としてのレモンに勝利を譲った形となったということが番組で描かれていた。

しかし、番組でも触れていたが、これが本当にイノーがレモンに勝ちを譲る儀式としての大会とすることを意図したとは言い切れない部分も実は残されていた。

"帝王"と呼ばれたイノーである。それまで、他を寄せ付けないまさに圧倒的な力を見せつけて勝利をもぎとってきた真の勝負師である。果たして、勝負に妥協を許さないイノーが、前人未踏の6大会優勝を目前に敢えて後継に勝利を渡すようなことをするだろうか。

事実、イノーは、大会前から、「今年が自分にとっての最後のレースだ。優勝は後継のレモンのものだ」と宣言しているのだ。この発言にはだれもが驚かされた。イノーの真意はどこにあるのか――。だれにも読むことができない。

中でも最も発言の真意に動揺させられたのは、出場前から優勝することを宿命づけられたレモン当人であろう。レモンはイノーの庇護の下、マイヨ・ジョーヌを堅持していく。しかし、イノーの後ろ盾あっての勝利に、レモンはすっきりしないものを感じている。

そして、真の実力が試される個人タイムトライアル。新チャンピオンとしての力を名実ともに認めさせるためには、レモンは何としてもこのレースを制し ておく必要がある。スタート前のレモンにのしかかる重圧は頂点に達していた。総合順位でレモンより下を行くイノーは、レモンより先にスタート。そのイノー にだれもが視線を奪われた。スタートから猛然たるダッシュ。形相は勝ちを他人に譲るといった人間の穏やかさは微塵もなく、その眼光はただ、誰よりも速く区 間を走り抜けることだけに注がれていた。
そう、イノーは勝ちにいったのだった。

イノーはかつて、こう語っている。
「私の走りの秘訣の一つは、平地にみえるところでも、けっして速度をゆるめないことである」

このイノーの後ろ姿を見送ったレモンは、完全に正気を失った。「なぜ、なぜ......」。自分に勝ちを譲ると言った人間がなぜ、俺を追い落とそうとするようなこ とをするのか......。呆然自失のまま、スタートラインに立ったレモン。本来のレモンの実力が出ようはずがなかった。イノーに追いつかなければとの焦りが先に 立ち、ミスの連続。ありえない場面で落車までしてしまう。ボロボロの状態でレモンはゴールにたどり着く。
これはイノーの師匠から弟子に対する厳しい薫陶なのか、それとも真のチャンプは俺だとの"帝王"イノーのアピールだったのか......。

結果的には総合順位はレモンが1位を保つ。そしてパリシャンゼリゼのゴール。新チャンピオンの座が決まっているレモンは、イノーに最後の花道としての区間優勝を譲るのだが......果たしてレモンの胸中は、イノーの真意は。

かくしてイノーとレモンという、確執と疑心暗鬼が輻輳する師弟の凄絶な戦いは終わった。これはツール史上においても、類を見ない濃密な人間ドラマが展開された大会であったと言っていいだろう。

この番組を見終えた時、私は圧倒的感銘に支配されていた。それまでのどんなスポーツドキュメンタリーよりも強烈なインパクトをもたらしたことは間違いない。

この86年のツールがイノーとレモンという両エースの物語にスポットが当たりすぎるきらいがあるという点においては、あまりにその駆け引きづくめのスポーツという側面が強調されなくもない。しかし、私はまさにその点にこそ強烈なインパクトを覚えたのだった。

なんというあまりにも人間臭いドラマに満ちたスポーツであり、競技なんだろうと。

そして、そのドラマ性とともに私の心を満たしてくれたのは、フランスの自然が織り成す景色の素晴らしさだった。カラフルなジャージを身にまとった男 たちが軽快にペダルをこぐ姿の背景は、まさにゴッホやセザンヌの風景画の世界。鮮やかな緑なす牧草地に点在する牛たち、見渡す限り黄色で埋め尽くしたひま わり畑、陽光を浴び、たわわな実をなし収穫を待つぶどう畑、歳月の重みを感じさせる古城などなど......恐らくツール始まって以来、100年間、ほとんど変 わってこなかったであろう"伝統的"風景が選手たちを常に励まし、疲れを癒してくれる。

ツールからやや話が逸れてしまうが、フランスはツールの人気ゆえに、自転車で走りやすい国、と思われているようだ(私も最近までそうだと思ってい た)が、実情は日本とさほど変わらないようだ。
日常の移動手段としては、フランスにおいてもさほど使われておらず、自転車優遇の交通体系を積極的に取り入 れているオランダと比べると一人当たりの平均走行距離はオランダの1,019kmに対して、フランスはわずか87kmに過ぎない。
これはスポーツとしての自転車人気が高いフランスも実用交通手段としてはまだ確立できていないことを示している。
わが日本はどうか。惨たんたる状況だ。

自転車専用道路は、ほとんどが実用的な移動手段としてのルートという概念はない。
一般道路においては、自転車は車両 に含まれるので、原則は車道を走らなければならない。歩道を自転車が走れるのは、自転車通行可の標識があるところだけだ。
しかし、実際に自転車で車道を走るとどうか。危険なことこの上ない。
自動車からすれば、「自転車が車道を走って危ないなぁ」という感覚である。自転車に乗 る自分でさえ、ふらついて走る自転車を見て、そう思うことがある。自動車ドライバーにとって、自転車は邪魔者にすぎない。
私自身、車道を自転車で走っていて、大型トラックが私の自転車の脇をミリ単位ぎりぎりに、爆音と意図的な排気ガスをめつぶしのように吐き出して追い越していく数秒間は、「あ、オレ、死ぬかも」と何度も思ったものだ。
しかも街にはいわゆる"銀輪公害"があふれている。自転車乗りのマナーも最悪となれば、「自転車にやさしい政策」などだれも真面目に考えるわけないだろう。
この問題について考え出すと、際限なく広がってしまうので、この辺りでやめておくが、私は自身が自転車好きであるということをさておいても、極めて重要な課題、テーマであると思っている。当HPでも継続して考えていきたいテーマだ。

前半戦は田園の牧歌的風景が続く平地ステージが続く。

そうした風景が絶景に変わり、それまでの和気藹々としたムードが一気に緊迫するのがアルプス、ピレネーを舞台にした山岳ステージだ。この二つの山脈越えは、まさにツールの山場。この山岳ステージを制したものがツールを制すことになるのがツールの定石だ。

 ここにおいては観客たちの様子も一変する。平地コースでは選手たちのスピードは50キロに迫るだけに、あっという間に視界から消え去ってしまうが、山は違う。さすがに鉄の脚をもった男たちもその斜度のきつさにはスピードダウンを余儀なくされる。
山道の脇には、まるで雲霞のようにファンたちがひしめく。ほとんど道はファンで埋め尽くされ、選手が上っていく場所だけ、ぽっかり空間が空くといったありさまだ。
ファンは選手たちに飲み物や冷たいタオルを渡そうと一斉に手を差し出す。運良く受け取ってもらえれば、それはこのうえない喜びとなる。よくわかる感覚だ。
そしてある者は、サドルを後ろから押しやるように走る(もちろん5メートルと続かないが)。
歓声、歓声、歓声、拍手、拍手、拍手の連続。テレビで見ていて、よく接触して落車しないなぁといつもヒヤヒヤさせられる。しかし、そんなことはほとんどないらしい。ファンたちもその辺りの呼吸を十分に心得ているようだ。

道のアスファルトの表面には色とりどりのペンキで、ひいきの選手の名前がすきまのないほどに描かれる。ファンは少しでも選手たちを元気づけようと必死なのだ。

山の頂上にたどりついた選手たちは、選手たちを待ち受け、何かを手にしたおじさんから何やらモノを受け取るとジャージを開け、お腹の中にしまい込 む。解説を聞いて納得した。ダウンヒルは、90キロから100キロ近いスピードが出る。それまで登りでかいた汗によって体温は急速に冷やされ、体力を奪っ てしまう。そこで、新聞で汗を吸い取るとともに、体温を少しでも落とさないための重要な"ツール"なのだ。これを配るのも大会スタッフではない。ファンが ボランティアで配っているという。
こんなにオープンで、ファンとの距離が近い公式競技も珍しいのではないだろうか。

86年のレースのエピソードから話は逸れ、ツール全般の魅力について語ってしまったが、これでも語り尽くせぬツールには多様な多面的な面白さに満ちていると思う。

86年大会のレモンとイノーに話を戻そう。

イノーは宣言通り、レモンにマイヨ・ジョーヌを譲って引退。レモンはその後、翌87年にオフシーズンに行った狩猟で誤射して怪我を負い、一時再起も危ぶまれたが、復活を果たし、89、90年のツールを連続で制したのだった。
これでレモンは、帝王に勝ちを譲られた男ではなく、名実ともにチャンピオンとして認められる存在になったのだった。

その後、91年からのインデュライン(スペイン)時代の途中まで映像で追うことができたが、その後、放映権に移動等の制約により、見ることができなくなったことを境に自分もツール・ド・フランスの世界からは10年以上遠ざかっていたことになる。

今では、85年〜91年の7年間にわたるNHKの総集編をDVD化した映像がある。そして、なんと幸運なことにそれを手に入れることができた。

正直、私はこれら過去の映像を繰り返し繰り返し反芻することで、満足なのである。そして、ああ、あの頃はよかったぁと回顧に浸るのである。

                           

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