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アファナシエフのシューベルト、ピアノソナタ第19〜21番
(1991年11月 6日 サントリーホール)
ヴァレリ・アファナシエフのピアノを初めて聴いたのは、1991年、11月6日、サントリーホールで行われたリサイタルにおいて。

私はそのころ、シューベルト晩年のピアノソナタ第19〜21番にはまっており、どうしても生で聴きたくなった。

そんな折、タイミングよくアファナシエフのリサイタルに行き当たったというわけだ。

アファナシエフについては“ロシアの鬼才”という評判だけは聞いていて、実際にどのような演奏をするかは、その日まで知らなかった。

19番の演奏が始まって、驚いた。

遅い……あまりにも遅い。

19番はどちらかというと軽快さをイメージさせる曲だが、あまりにも遅い。さすがに違和感を覚えた。

休止符では、残響の余韻が果てしなく続く。

驚きはした。

しかし、徐々に私はそれを自然に受け止めることができるようになっていった。

いや、むしろこの曲はこうあるべきという説得力に支配されていったと言っていい。

その感覚はその後、約3時間続いた。

記憶では3曲を終えたのは夜10時(開演7時)を超えていた。

とりわけ、最後の21番にこの遅いテンポはむしろ必然と感じた。

だれもに迫り来る「死」。この厳粛な時を迎え、向き合うためには、十分な時間が必要だろう。

21番については、何人かのピアニストで聴いてきたが、この曲の深みに達していると感じるのは、リヒテルとアファナシエフなのだが、どちらを選ぶかとなれば、迷わずアファナシエフを推す。

「死ぬということはモーツァルトを聴けなくなることだ」はA.アインシュタインの有名な言葉だが、私にとってはシューベルトのピアノソナタを聴くことで「死」を体験する。そして「蘇生」する。

それほどの力用が、この曲にはあり、アファナシエフがそれを引き出している、と思う。

あのリサイタルの体験をしたいと長い間思っていたが、とうとうCDが発売され、入手できた。

CDの演奏は、リサイタルの時のものと寸分違わないもの、と私は感じた。

CDでこの3曲を聴き通すには、相当なる“覚悟”が必要だと思う。

その日が来るのをじっと楽しみに待つことにしよう。
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