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スビャトスラフ・リヒテル with ユーリ・バシュメトリサイタル(2)
(1986年 9月29日 新宿文化センター)
最後のショスタコーヴィッチ。「レクイエム」を連想させる暗い曲想が終始支配する。両者はこの曲を最も得意としているらしいことが伝わってくる。絶妙な間合い、呼吸の受け渡し。淡々と静寂のドラマがつむぎ出されていく。底知れない緊張感がホールの空気を覆っていた。

バシュメトのヴィオラの一音が引き伸ばされ引き伸ばされ、闇に溶け込み消えいくさまは、だれもが固唾を飲んで見守らざるをえなかっただろう。音は消滅しても、2人はみじろぎもしない。聴衆もだれも動こうとしない。恐ろしいほどの静寂は何秒間続いたのだろうか。一瞬だったのかもしれないし、実際大変な長さだったのかもしれない。しかし、いずれにしても、時が止まり、静寂が永久に続くかのように錯覚に陥ったのは確かだ。
バシュメットが、ふっと息を吐き、固まっていたリヒテルのごつごつとした手もピアノから離された。緊張感から解放された聴衆もようやく拍手のタイミングを得た。

プログラムを見た時、ピアノソロが聴けないことに若干の残念な思いをしたものの、聴き終えてからは、むしろ室内楽においてリヒテルの芸術の精髄を垣間見させてくれた気がする。それもパートナーにバシュメットという力あるヴィオラ奏者に負うところも大きい。

感銘をもたらしてくれたこのようなリヒテル体験の後、しばらくはリヒテルの強烈な打鍵の音が耳から離れず、他のピアニストを聴くことができない期間が続いた。モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンなどのCDを買い漁ってはリヒテルに浸っていた。

そうした中、この日と同じプログラムのCDが「オイストラフの思い出」というタイトルで出た。やはりヴィオラもヴァシュメトの組み合わせで。

私が実演を聴いた86年から11年後の97年8月、リヒテルは亡くなった。あの圧倒的な体験を味あわせてくれた芸術家はもうこの世にいないのだと思うと残念だが、これからも残された音と映像で、追体験をしていきたいと思う。
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