ドラマー・穴吹久男のソロリサイタルを聴いて

ジャズドラマーの穴吹久男のリサイタルを聴いてきた(28日、東京・中野ZEROホール)。

穴吹はベテランのジャズドラマーでさまざまなアーチストとの共演、海外レコーディングも手がけてきているミュージシャンなのだが、ある方向性において、全く独自の路線を歩んできた人だ。
それはソロドラム。基本的にはアンサンブルの一つの楽器としてしか登場しないドラムという楽器をソロ演奏で成立させてしまおうという試みにこだわってきたのだ。

その初の試みからかれこれ10数年がたつ。あるきっかけから穴吹の存在を知った私は最初のソロドラムのステージから今日に至るまで、ほとんどの公演を聴き続けてきている。

この間、何度かギターやパーカッションを交えたアンサンブルを主催したこともあったが、ソロのこだわりを保ち続けた信念には敬服せざるをえない。

■ドラム・ソナタ第1番「蘇生」

全3楽章、ソナタ形式による初めての作品。初演は前回、4月のコンサートにて。

さまざまなリズムパターンが交錯し、一定の方向性を示すものの、即興部において、やや停滞気味なのが気になる。客の入りがあまりよくないのが彼のテンションに影響を与えているようだ。明らかにノリが悪い。

初演においては大成功だった作品というだけに(私は聴いていない)、彼としても、自身もどかしさを感じたに違いない。
不完全燃焼のまま3つの楽章を終える。

■ドラム・ソナタ第2番「乱舞」

休憩を挟んで、第2番。これはまだ完成作ではないという。完成しているのは第1楽章のみ。第2楽章もまだスケッチの状態。

彼はこれを敢えて披露した。彼はきょうの客の入りの悪さを逆手にとって、身内に甘えることで、今挑戦していることをぶつける機会としようと気持ちを切り替えたようだった。

人が変わったようなノリで音の進路を切り開いていく穴吹。前半とは表情が全く違う。タイトルが示すごとく、自在な「乱舞」を展開していった。

聴衆も正直だ。体が揺れている、足がリズムを刻んでいる。演じる穴吹には見えまいが、明らかに彼の世界に聴衆を引き込むことに成功している。

1楽章終了。力強い拍手が送られた。

穴吹は続いて、スケッチしかできていない2楽章について、3つのテンポのパターンで、どれだけイメージが変わってくるかについて実演して見せた。始めゆっくりと、次第に速く。テンポの違いによって、明らかに表情が変わっていく。面白い実験を見させてもらった。

■アンコール:即興演奏「竜神」「再会」

いつものように、アンコールは場内から“お題”をもらっての即興演奏。この日、穴吹は自ら描いた絵画の個展を別室で開いていたのだが、絵のタイトル2点がリクエストとして出された。いずれも、後半のノリの余燼は保たれて、即興とは思えない、構成、スピード感ともにしっかりとしていて、締めくくりとして納得のいくものだった。

■全体の感想

穴吹がソナタ形式の作品に取り組み初めて2回目のコンサート。まだまだ手探りの感は否めないものの、着実な一歩前進を実感させた内容だったと思う。

ソロドラムの可能性を10年以上にわたって追求してきた穴吹は、これまで詩に寄り添ったり、ベートーヴェンの「運命」やバッハの「フーガの技法」をモチーフにしたりと、さまざまな試行錯誤を繰り返してきたのだが、ここにきて、この作曲のセオリーであり、王道ともいうべき、ソナタという形式を取り入れた作品づくりは、穴吹のこれまでの歩みの一つの必然の到達点であると思う。

そして、これからがいよいよ、穴吹という(おそらく世界でただ一人であろう)ソロドラムアーチストとしての真価が問われる時なのだろうと思う。

日時: 2004年07月31日 13:25 | パーマリンク

人に愛されぬ自転車の悲哀

自転車を愛する私としても、マナーの悪い自転車乗りを見かけた時、とても心痛む思いがします。

自転車は、自力で走るという仕組みの上でも、素の人間に最も近い乗り物です。それだけに、乗る人の人間性が現れやすいものだと思います。

また、自転車の場合、自動車のように細部にわたって交通法規に縛られておらず、免許制度もないことから、どうしても取り締まりが甘くなることから、”無法状態”になりやすいのも、自転車乗りのマナーの悪さの要因だと思います。

しかし、考えてみれば、自転車に乗る人口は自動車に乗る人口より圧倒的に多いのです。

子どもからお年寄りまで、街乗り、遠乗り、スポーツでと、さまざまな乗り方を可能とする身近な移動手段なのです。

そういう人間に近しい乗り物の割には、自転車は極めて低い位置(地位)に甘んじているような気がしてなりません。

その象徴は駅前等の放置自転車です。この問題については行政の対応も絡んでくるので、また別項にて考えてみたいのですが、いずれにしてもユーザー側の自転車に対する思いの薄さが放置自転車問題の要因になっていると言って間違いないでしょう。

では、なぜ日本において自転車の地位は低いのでしょうか。

①自転車専用道路がほとんどないため、歩道、車道ともに邪魔扱いされる。
②自転車置き場が未整備(自宅、駅周辺とも)

私が思うに上の2点がその最大の理由であると思います。

つまり、①については、自転車で軽快に走れる道がない→スピードが出せない→スピードの出る自転車を買っても仕方がない→使い捨ての自転車で十分→自転車に対する愛着が沸かないという流れを招きます。

②についても、ほぼ同じです。自転車置き場が未整備→いつ盗まれるか、いたずらされるか心配→使い捨ての自転車にせざるをえない→自転車に対する愛着が沸かない、とやはり①と同様、自転車に対する愛着が沸かない結果をもたらします。

乗っている自転車に愛着がなければ、自ずと乗る人のマナーにも影響してくるのではないでしょうか。

私がきちんと自転車に対するマナーであるとか、どうすれば美しく走れるのか、などを意識するようになったのは、”しっかりとした”自転車を乗るようになってからです。

ちなみに私は今、約10万円で買った折り畳みの小径車に乗っていますが、変則は21段ついていて、平地では約40キロ近いスピードが出ます。

しかも安定性がいいので、かなり長距離を走っても疲れません。

普段は車のトランクに積んでいるため、雨風にさらされていないので、購入から3年以上たちますが、新品同様です。

このまま丁寧に乗れば、10年以上、いや、パーツ交換をこまめにしていけばもっともつと思います。

仮に10年もったとします。

すると10万円の自転車ですから、10年で割ると1年間当たり、1万円の経費ということになります。

恐らく、これは私の推測ですが、量販店等で売っている自転車を乗る場合、2万円ぐらいの自転車を2年くらいのサイクルで買い換えていくのが典型的なパターンではないかと思うのですが、そうだとすると、1年当たりにかかる経費はやはり1万円です。

どうでしょうか。

私が思うに、愛着の沸かないような安手の自転車に乗るなら、多少高くても、乗り心地がよく、長持ちする自転車に乗る方が、いいのではないかと思うのです。

この考え方は基本的には反対する人は少ないでしょうが、結局のところ、それを許さない理由の最大は、風雨にさらさなくて済む自転車の収納スペースがないというところになってくると思います。

事実、私のウチにもそのようなスペースはありませんでした。

従って車のトランクに積みっぱなしという状況にならざるをえないのです。

それでも、収納できる場所があるからいいようなものの、折り畳みといえども、スペースがなければ、10万円もする自転車を風雨にさらすことなどできないはずです。

しかし、私はここに、日本のおける自転車問題の解決の鍵を握る大きなポイントがあると思えてならないのです。

自転車にかかわる問題の根本を探れば、そのほとんどがマナー等、心にかかわる問題だからです。

であれば、どうすれば人は自転車を乗る際に、思いやりをもって乗れるようになるのか、ということを一人ひとりが考えるようにならないと始まらないと思うのです。

それを可能とするのが、自転車に対する愛着が持てるかどうかにかかってくると思うのです。

もちろん高ければいいということを言いたいのではありません。

量販店の自転車でも、愛情を注げる対象であれば、安手だろうが、中古だろうが関係ありません。

長々と論じてしまいましたが、自転車問題は、今後、エネルギー問題、環境問題とも絡み合い、重要度は増すことはあっても低くなることはないと思います。

事実、ヨーロッパの一部の国(デンマークなど)では、自転車を主要な移動手段の一つと位置づけ、自転車を交通の軸とした街づくりなどが着々と進められています。

坂が多い日本の場合、若干のハンデはありますが、実際、日本にたくさんの自転車が普及している事実を見るにつけ、自転車をどうとらえ、位置づけていくかについては、早晩、選択が迫られることは間違いないと思うのです。

バド・パウエルとパラゴンと

bonkichiさんのブログでバド・パウエルの名を目にしましたので、思わずトラックバックさせていただきました。

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大学時代、たまたま入った喫茶店にパラゴンというスピーカーが置いてあり、まずその巨大さ、曲線美のもつ存在感に圧倒されたのです。それが僕がジャズを聴くきっかけでした。
お店の中のテーブルは教室の机のようにスピーカーに向かって平行に並べられており、基本的には私語禁止。ただひたすらパラゴンが奏でる曲に耳を、というより全身を傾けます(実際、小声でしたが、友人と話をして注意を受けたことあり)。
その店でよくリクエストしたのが、バド・パウエルの「ザ・シーン・チェインジズ」でした。モノラル録音ですから、くっきりと奏者が演奏する姿が像を結ぶとまではいきませんが、それでも無防備に鳴らされるピアノのフレーズにバドのうなり声が妙にリアルに絡み付いて、背中をぞくぞくとさせてくれたものです。
それにしてもバド・パウエルの演奏は何度聴いても強烈です。ピアノに関しては他のピアニスト(クラシックへの橋渡しをしてくれたキース・ジャレットを除き)ほとんど興味が向かわなかったのは、バド・パウエルを最初に知ってしまったからだと思います。それが幸いなのか、不幸なのかはなんともいえないことですが……。

パラゴンが置いてある喫茶のHPを見つけました。このHPのお店は僕が通ってたところではありませんが、さすがこだわってる~という感じですね。大分を訪れた際はぜひ立ち寄ってみたいお店です。
日時: 2004年07月21日 12:54 | パーマリンク