明日では、決していけないエントリー

きのう病院を抜け出して、妻とランチ&花見に出かけた。出かけたとはいえ、レストランは病院の門から歩いて50メートル足らず。花見は病院の構内と極めてお手軽なものではあったが。

というのも、やはり体力的にきついからだ。

病棟から門までのおよそ100メートル(こちらの方が距離がある)を歩くだけで、息はあがって、ぜー、ぜー、苦しい。

やっとの思いでレストランに着いたが、階段が立ちはだかる。真鋳の手すりに綱引きのように両手でつかまり、一歩一歩、気合を入れながら登る(この場合、この登るがふさわしい)。

席に着いた時は、ほとんど息も絶え絶えであった。

今回の入院は肺炎ということもあり、やはり肺に負担がかかるのだろう。しかし、それよりも根本的に絶対的な体力が失われている。これはいかんともしがたい課題だ。

体力の回復は、去年の退院以来、何度も挑戦しようとしながら、一度も果たせなかった課題。
調子がよくなってきたから、リハビリに頑張ろう、と思うと必ず、何らかのトラブルに見舞われる。

「いつになったら、体力を戻せるんだろう……」と、席に着いた私は、うつろな目でレストランのシャンデリアの灯かりをぼんやり眺めていた。

すると妻は、意外にも私のブログの内容について、こと細かく論評を始めた。

パソコンに興味を示してこなかった妻は、私のブログの存在を知ってはいても、じっくりと読んでいるとは思わなかった。ところが、予想に反して深く読み込まれていることを知り、私は少々うろたえた。

どうやら、最近は娘の手ほどきを受け、ウェブサイトを見て回るくらいの技術は身につけてきているらしい。

私のブログについて、「私の知らない事実がある」などと、厳しい指摘もあった。しかし総体的には、私が長い闘病生活にもかかわらず、精神のバランスを崩さず、またストレスのはけ口にもなっているブログの存在をどうやら認めてくれているようだった。

これはうれしかった。実はストップをかけられることを内心、恐れていたからだ。

しかもである。

退院したら、新しいノートPCを買ってもいい、という。

思わず耳を疑った。

確かに私が今、常時使用しているノートPCは購入してから既に4年が経とうとしている、かなりのオンボロである。機能、性能ともに明らかに時代遅れの一品だ。

そんなノートPCを、入院する前、娘、妻と私の3人が奪い合う光景は日常茶飯だった。
結果的に力の強い娘にPCを奪われ、寂しそうにテレビに見入る私のことを、妻はひそかに気の毒に思っていたのかもしれない。

買っていいという。

ありがたい。

本当にありがたい。

最初の退院から1年。闘病が始まってから1年半、妻は本当に献身的に私のことを支えてきてくれている。
どうしてこんな病気になってしまったのか、涙することもあったに違いない。気持ち的に追い込まれるようなこともあったに違いない。それでも妻は、常に前向きな希望を失うことはなかった。だからこそ、ふらつきながらも、あきらめることなく、何とかここまで歩んでこれたのだと思う。

風に舞う桜の花びらの中を二人歩きながら、私は心の中で、妻に深く感謝していた。

ありがとう。

本当にありがとう。

これから先も、まだまだ先は長いが、どうかよろしくお願いします、と。

妻に深く感謝をしつつ、同時に私の頭の中は、ノートパソコンはどの機種にすべきか、既にぐるぐると回転を始めていた。
日時: 2007年03月31日 14:46 | パーマリンク

最高の花見日和

fugue (2007年3月30日 20:02) | 個別ページ
臍帯血移植1年と126日目。
再入院16日目。

6時30分起床。

朝からどうも体が重く、だるい。

朝食は何とかとったものの、起きていられず、午前中、ずっと眠る。

採血、レントゲン。

採血の結果はよかった。

クレアチニン 1.3(横ばい)
CRP定量  0.27(微減)

体の重さは数値からくるものではなかった。よかった。

1時半、妻到着。
やはり眠っていた。

それでも眠ったおかげで、体はだいぶ楽になっていた。

着替えてラ・ボエームへ。
いつもの、ゾットをラージで。
これはおいしく食べることができた。よかった。
Fさんがお土産に持ってきてくれたチョコレート屋さんに行こうと思ったが、ちょっと冷たい風が。ということでやめて、病院へ戻った。
桜が満開。最高の見ごろかもしれない。写真を撮る。

お世話になった看護師さんのFjさんがいるかもと思い、7Fへ。
ピンポンを押して、Isさんが出られる。さすがにマスクの私のことがわからないようで、fugueです、と言って初めて認識してくれた。それで、Fjさ ん、Knさんが続いて。よかった。意外にも顔見知りがいてくれて。妻が早口で種々、報告。妻が話すと相変わらず盛り上がる。これは天性のものだろう。

帰ってシャワーを浴びる。気持ちよかった。

娘と電話。
(1)天てれMAXの卒業生について。
(2)AKB48のメンバーによる感動的なエッセーについて。
(3)ヘキサゴンでますおかの岡田が究極の冷めを演じたことについて。
など、報告を受けた。

<映画>“リアルシュール”の傑作――『ツィゴイネルワイゼン』

サークルの後輩に勧めておいた映画を見て感想をメールで送ってくれたので、御礼というわけでもないが、私の感想をブログにてアップさせていただこうと思う。

『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)

鈴木清順監督による大正浪漫三部作の第一作。

続く第ニ作の『陽炎座』(1981年)と並んで、私にとって、邦画ナンバー1の座は何年経っても揺るぎそうにない。

世にいわゆるシュールな映画は数限りなくあるが、この清順作品は比較すべくもなく頂点を極めていると言っていいだろう。

“リアルシュール”

清順作品を私はこう呼んでいる。

シュールレアリズムを逆転させたのみではないかと言われればそれまでだが、シュールレアリズムが超現実ならば、“リアルシュール”はあくまで現実が主体。

つまり監督は、この世の物とは思えない耽美的、幻想的映像を惜しげもなく繰り出すが、どの映像もリアルな手ごたえというか、質感が伝わってくる。平たく言えば、嘘っぽくない。だからこそ、清順独特の美学が強い説得力をもってくるのではないか、と思う。

とりわけ、この映画で注目したいのは、藤田敏八の存在である。
原田芳雄の常人離れしたキャラクターは好きなようにやらせているという感じで、笑うほかないが、藤田演ずる大学教授・青地において監督はこの映画独特の“リアル”な雰囲気をかもし出している。もともと映画監督の藤田をなぜこの映画の主人公に起用したのかなどの理由を私は知らないが、棒読みに近いせりふ回しの藤田が、このドラマの中で原田に劣らぬ、いや超えた存在感を発している。不思議だ。映像の不思議より、私はこの不思議さに圧倒される。
この辺り、さしづめ清順マジックと言えようか。
事実、藤田の経歴を見ると、この映画の出演を境に、監督業から俳優業にほぼ転身している。清順監督が藤田に感じ、与えたものは計り知れなく大きなものであったことは間違いなさそうだ。

もう一点、清順作品のストーリーテリングの巧みさを上げてみたい。

古今の映画の失敗作を見て、いつも思うことは、製作者は2時間という限られた枠に無理やりストーリーを詰め込もうとし、結果的にすべてにおいて中途半端、不完全燃焼で終わってしまうことである。ストーリーを語った映画で、唯一満足のいった映画は、イングマール・ベルイマン監督の『ファニーとアレクサンデル』のみ。この映画の上映時間は5時間。やはりストーリーを語るにはそれだけの尺が必要といういい例であろう。

この映画は、そのシュールさゆえに、ストーリーをまともに語っていないように見える。しかし、見終わった後に残るものは何か――。しっかりとしたストーリーが印象として残る作品となっている。これはだれもができる芸当ではなかろう。

そのほか、大谷直子、大楠道代、麿赤兒、江の島ルビといったキャスティングも微妙な後味を引く要素となっている。

べたぼめの評価となってしまったが、当然であろう。とにかく、この映画が好きだ。何度見ても見飽きることがない。実際、そんな映画はそう多くあるわけではない。

この映画を作り上げた鈴木清順という監督が日本人であることに誇りすら感じる。

まだ見ていない人には、『陽炎座』とともにぜひお勧めしたい。

日時: 2007年03月29日 13:51 | パーマリンク