知子からエバーノートへ、果てしない日記の移植作業

私は14歳のころから、日記をつけている。

父親が60年以上も日記を続けているが、そのDNAが受け継がれているのかもしれない。

父の日記は「当用日記」と決まっていて、古いものから現在に至るまですべて父親の本棚に収まっているが、私の日記は雲の上に置いてある。

つまり、クラウド(ドロップボックス)にデジタルで記録しているので、紙に書いた現物はない。

現存する日記は結婚2年目の1991年10月分以降なので、約20数年分というところか。

ただ、そのうち91年から98年まではかなり日付が飛んでおり、ほぼ毎日の記録が残せるようになったのは98年以降の約14年間分。

デジタル日記の書き始めだった91年当時はまだパソコンを使っていなかったため、ソニーのワードプロセッサーに書いていた。

95年ごろになって、ウィンドウズ95の登場もあり、パソコンに乗り換える。

使用したソフトは「知子の情報」だった。

しばらくはこの体制が続いたが、今年、ウィンドウズ7搭載のノートブックを購入する際、いよいよ「知子の情報」が使えないということがわかり、以来、エバーノートに乗り換えている。

知子の情報からエバーノートへの移植作業を現在、暇を見つけては行っているものの、一括インポートという便利な方法がないため、一日一日、貼り付け作業をしなければならない。

数千日分という移植作業は気の遠くなる手間ではあるが、半面楽しくもある。

というのも、こういうことでもない限り、日記を見返すこともないからだ。

現在、行っている作業は知子の情報から1か月分を抽出し、テキストファイルにし、そこから1日ずつエバーノートにコピペしていくというもの。

闘病生活が始まった2005年10月はひと月で5000行も日記をつけていた。

詳しくは読んでいないが、いろいろな精神的葛藤が記されているのだろう。

その一部はブログで公開している部分もあるはず。

日記とは不思議なもので、その日、その時にあっては価値はほとんどないのだが、その何気ない記述は時を経るほどに、成熟するがごとく、価値や輝きを増していくということだ。

他人にとってはこれぽっちも価値のない記録だが、当人にとってはこれほど重要な記録もない。

これが日記というものの面白さなのだろう。

さて、果てしない作業を続けるようとしようか。