2020年東京オリンピック開催までに自転車レーン1000kmの実現を

ここ3日間はオリンピックムード満開であろうと思われるので、その熱が冷める前に、オリンピックを開催するに当たって必要と思われることを一言述べておきたい。

結論から言うと、「日本におけるガラパゴス化した自転車の走行の在り方を抜本的に改めること」だ。

さらに簡単に言うと、「世界から見て極めて恥ずかしい悪習である歩道走行をやめること」だ。

自転車の歩道走行は長年にわたって、当たり前のように続けられてきたが、世界から見れば、類を見ない変わった習慣であることをまず、認識しなければならない。

自転車は「車」との漢字が付くように、文字通り「車両」に属することは言うまでもない。

しかし、その車両が、歩行者の空間であるはずの歩道をわが物顔に突っ走る。

これは明らかに間違っている。

法律では、「自転車通行可」の標識がある歩道は自転車の通行が認められてはいるが、それでも徐行が義務付けられている。

ところが、実際は20kmくらいのスピードで飛ばす自転車はいくらでも目にする。

そして、やっかいなのが彼らはそれを間違ったことだと微塵も思っていないことだ。

しかも歩道走行だけではない。

自転車運転者の多くが信号やルールを守ろうとしない。

運転免許がないから、抑止力が効かないからなのか。

実際は赤切符を切られることで、刑事罰を負う恐れがあるということを知らないだけなのだろう。

実際に刑事処分を受けて初めて、自分が犯した愚かな行為に気づくことになるわけだ。

おそらく、取り締まりを強化したところで、この悪習を断ち切ることは無理だろう。

根本的な解決策を求めるならば、人の行動を促すシステム自体を見直すしかない。

つまり、道路構造の改善だ。

その見本はロンドンにある。

ロンドンはオリンピックの開催に向けて、自転車通勤のための弾丸道路の設置など、「自転車革命」と銘打ち、徹底的な改革を推し進めていった。

結果、ロンドンにおける自転車の交通分担率は急激に増加し、クルマの渋滞減、大気汚染などの環境の改善にも寄与することになったという。

東京の自転車条例ができたが、まだ明確な目標が掲げられていない。

今回のオリンピック開催決定を期に、7年後を目指して、たとえば「東京に自転車レーン1000km」を設置するなどの目の覚めるような目標を掲げ、そこにまい進していってほしいと思うのだが、どうだろうか。

1964年東京オリンピックで九死に一生を得た思い出

2020年の夏季オリンピック、パラリンピックの開催地に東京が選ばれた。

私もロゲIOC会長が疲れた表情で、力なく「Tokyo」と読み上げた瞬間を見た一人だ。

56年ぶりの東京でのオリンピック開催は、少なからずの歓喜と高揚を日本にもたらしたことは間違いなさそうだ。

私は1964年東京オリンピックの時、3歳だった。

幼児ながら、オリンピックのテレビ放映を見つめた記憶が残っている。

「3歳で覚えているわけないだろう」と思うむきもあろうが、実は私はその時にある“事件”を起こしていて、その理由でしっかりと記憶に焼き付いているのだ。

当時、私が住んでいた家は、四畳半一間のアパートだった。

4人家族で肩を寄せ合うように生きていた。

家に白黒のテレビはあったが、発売されて間もなくだった高値の花のカラーテレビは当然なかった。

アパート内で唯一、カラーテレビを買って持っていたのは、大家さんだった。

ゆえにアパート中の住人が大家さんの家に押しかけ、オリンピック観戦をしていた。

その中で、“事件”は起こった。

私は競技を見ながら、おもちゃのように手に持っていた五円玉を飲み込んでしまった。

親だったのか、周囲のだれかだったのかはわからないが、私の異変に気付いたようで、「よっちゃんがおかしい」「硬貨を飲み込んじゃったんじゃないか」と騒ぎとなり、オリンピック観戦どころではない状況を招いてしまった。

喉に違和感を覚えながら、また息苦しいながらも、呼吸はできていた。

慌てた親はなぜか救急車を呼ばず、タクシーで病院に私を連れていった。

タクシーでの移動、病院でレントゲンをとられる風景も、よく覚えている。

幸い、喉の上の方に五円玉はとどまっていたため、手術の必要はなく、口から五円玉は無事、取り除くことができた。

医師は、「五円玉でよかったです。もし十円や百円のように穴がなければ、窒息していたでしょう」と語ったという。

そんな九死に一生の体験をしてしまったゆえに、私のオリンピックの記憶はあまりにも鮮やかに残り続けている。

そんな私の記憶にこびりついて離れないオリンピックが56年ぶりに東京にやってくる。

私も還暦間近になるから、硬貨を飲み込むようなことはしないと思うが、思わぬ事件を招かぬよう、心して観戦に臨もうと思う。

命懸けで電車に飛び乗る行為に人生上の意味は見いだせない

職場の最寄り駅での出来事。

私が電車を降りて、階段に向かうと、階段の上から30代とおぼしき女性が慌てて駆け下りてきた。

私が「そんなに慌てなくても5分と待てば次の電車が来るのに……」とやや冷たい視線でその女性を見つめると、その数メートル後ろに5歳くらいの女の子がやはり駆け足で階段を下りてくる。

まずは、ここで目を疑った。

母親が子どもを置き去りにして、電車に飛び乗ろうとしていたのだから。

もし、子どもがドアに挟まれたらどうするのか……。

ひやひやしながら、その光景を見つめる私。

無事、女の子は電車に乗ることができ、一件落着と思いきや、まだ続きがあった。

女の子はドアを手で押さえるようなしぐさをし、階段の方に何か叫んでいる。

「え、まさか」と思ったら、そのまさかだった。

数秒遅れて、今度は同じくらいの歳の男の子が必死に階段を駆け下りてくる。

信じられない光景だった。

男の子は取り残されまいと、決死の形相で親子が待つ電車に飛び乗る。

ところがこれで終わりではなかった。

さらに数秒後、父親とおぼしき男性が2段飛ばしで転がるように降りてきた。

最初の母親が乗ってから30秒近くが経っていると思われ、さすがに父親が乗り込む瞬間、ドアが閉まりかけた。

父親は、閉まりかけたドアにダイブ。

背負っていたリュックサックが挟まれながらも、飛び乗ることに成功した……。

私はその一部始終を目の当たりにし、驚きを通り越し、暗澹たる気持ちになった。

5分も待てば、次の電車が来ることは、大人ならだれでもわかっている。

しかし、なぜ母親は自ら子どもたちを振り切るように(私にはそうとしか見えなかった)してまで、電車に乗り込もうとしたのか。

わからない。

どんなにその母親の気持ちに寄り添おうとしても、わからない。

一刻を争う事情があったのかもしれない。

しかし、その行為によって、大事な命を傷つける十分にあったことは、想像できなかったのか。

そうした親の行動を見て育つ子どもたちは、それを真似てしまう。

子どもたちはこれからも、危険を冒してまでも、電車に飛び乗ろうとするだろう。

どうか、いつかあの親子に自分たちの誤りに気づき、改めてほしいものだ。

私はそんなことを考えながら、職場への道を急いだ。