和辻先生の勧告に背中を押され、漱石全著書の通読を開始

和辻哲郎の「夏目先生の追憶」を読み終えた。

「夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である」の書き出しで始まるこの一文が書かれたのは和辻が27歳の時。

若い和辻が偉大な師だった漱石先生の逝去に心乱れながらも、悲嘆にくれるばかりでなく、師の深く愛情に満ちた人格を、できるだけ生きいきとした形で残すことに使命のようなものを感じたのではないだろうか。

そう思わせるほどに、和辻の追憶からは漱石に対する恋慕を超えた激しい情熱すら伝わってくる。

「面とペルソナ」を教科書で知っていただけの和辻哲郎を、どちらかというと、むしろ冷徹な文章を書く哲学者然とした人物というイメージを抱いていたゆえ、この追憶文を読み、その印象は大きく変化した。

調べてみると、和辻が漱石の知己になったのは24歳のころだったので、亡くなるまでのたった3年間に過ぎなかったにもかかわらず、作品のみならず、人格、そして生き様に至るまで、漱石の実像に、これでもかというほどに肉薄する。

その姿勢はちょうど、漱石の「こころ」において、主人公の「私」が「先生」の真実に迫ろうとするそれを彷彿とさせる。

そんな象徴的なエピソードが、漱石から受け取った手紙の内容を紹介するところで表現されている。

以下、引用する。

……私は進んで人になついたりまた人をなつけたりする性の人間ではないようです。若い時はそんな挙動もあえてしたかもしれませんが、今はほとんどありません。好きな人があってもこりらから求めて出るような事は全くありません。……しかし今の私だって冷淡な人間ではありません。……

この手紙を読んで、それははまるで、「こころ」における「先生」の遺書そのものではないかと思わざるをえない。

和辻が漱石を強く敬愛した理由の一つが、師の一貫した不正に対する怒りだった。

しかし、その不正の怒りは世間の通念や常識に通じるものよりはむしろ、「人間性の重大な暗黒面--利己主義」に対するもので、それが漱石を「偏狭な奇行家として世間から認められている」としながら、その真意について、「これを奇行と呼び偏屈と嘲るのは、世間の道義的水準の低さを思わせるばかりで、世間の名誉にはならない」と喝破する。

この一文が書かれたのは今からちょうど100年前のことだけれど、現在、あらゆる場面において不正や道義心の欠如が横行する状況を見るにつけ、その問題意識は古いどころから、なお新たにすべき心情ではないだろうか。

和辻はこの一文の最後、読者にこう呼びかける。

私は先生の死に際して諸君が先生の全著書を一まとめにしてあらためて鑑賞されんことを希望する。そうしてここに説いたような先生の人格と生活との表現がいかなる姿とリズムによって行なわれているかを子細に検せられんことを勧告する。

漱石の作品は小説については、すべての作品を既に読んでいるものの、中学時代に一度だけ読んだままになっているものも多い。

実は漱石作品は改めてそのすべてを通読してみたいと思い続けてきて、これまで実現できずにいたが、kindleの全集が入手できたことと、今回、和辻先生の勧告によって、いよいよその時が来たように思う。

さっそく、きょうの朝の通勤電車で、「吾輩は猫である」を読み始めた。

kindleには親切な機能があって、読み終えるまでの予想時間を計算し、表示してくれるのだが、それには「あと137時間」とあった。

私が読書に充てられる一日の時間は通勤における1時間のみ。

ということは、単純に計算すると、土日に欠けることを含めると150日、ちょうど5カ月かかることになる。

果たして5カ月で読み切れるかわからないけれども、和辻先生の「これらの物に親しむのはいかなる意味においても我々を益し我々を幸福するだろう」の言葉を噛みしめつつ、読み進めていくことにしよう。

漱石の講演集「私の個人主義」表紙。これら講演を読む限りにおいても、漱石の人間に対する深い愛情が伝わってくる。この講演を実際に聞いた人はどんな思いで耳を傾けていたのだろう。想像するに真にうらやましい
漱石の講演集「私の個人主義」表紙。これら講演を読む限りにおいても、漱石の人間に対する深い愛情が伝わってくる。この講演を実際に聞いた人はどんな思いで耳を傾けていたのだろう。想像するに真にうらやましい

学生時代のインド旅にもう一度、思いをはせてみる

「インド紀行」という、かつて学生時代に40日間、バックパッカーとして旅した雑感をまとめた文章がある。

全87回、約90000字、原稿用紙にして230枚にもなる長文だ。

さすがに長すぎて、最後まで読んだ人は私以外、一人もいないと思われる。

これを書いたのは自宅療養中の2007年4月ごろ、約2か月半をかけて一日一回と決め、書き続けたことを思い出す。

当時、自宅療養中とあって、仕事に行くことはできないが、家にただ漫然としていることもできず、以前から時間ができれば書き上げてみたいと思っていたので、とりかかったという次第。

折よく、肺炎で入院中に大学の後輩がお見舞いの差し入れで、「インドの歩き方」を持ってきてくれたので、それが大いに役に立った。

以前のブログでは、一回ごとの掲載だったが、新しいサーバーに移植する際、面倒ということもあり、87回分、まとめて掲載してしまっているので、とても読みにくい、自分ですら読む気がしないのは当然のことだろう。

しかも、勢いに任せて、かなり強迫観念で書いたこともあり、読み返すに恥ずかしい表現が多々ある。

ということで、久しぶりにリライトしてみようかという気になった。

というのも、実はこの一文は未完成で続きがある。

さらには、2回目のインド旅行のこともついでに書いておきたいということもある。

前回のように毎日ということではなく、不定期で思いのままに書いていこうと思う。

過去のことを何度も振り返って、どれほどの意味があるのかと思う節があるが、22歳という子どもと大人の狭間の時期に、日本とは極端に違った環境の中で見聞きしたものは何で、どう思い、感じたのかについて、振り返ることは決して無駄なことではないと思う。

若い自分との対話を繰り返しながら、これからの行く末について思いをはせてみる。

そう思うにつけ、あの旅行は自分にとって、珠玉ともいうべき思い出となっている。。

インド紀行を書いた当時の写真は紛失してしまってない。これを書いた当時、毎日ベランダに出て、空の風景を撮っていたので、カット写真代わりに使っていこうと思う
インド紀行を書いた当時の写真は紛失してしまってない。これを書いた当時、毎日ベランダに出て、空の風景を撮っていたので、カット写真代わりに使っていこうと思う

朝から晩まで、“第二の脳”Evernoteに依存する日々

Evernoteを使い始めてから約4年になる。

最初はやや取っつきにくい感があって、しばらく放置したままだったが、今や生活の一部どころか、もはや体の一部といってもいいくらい、私にとって欠かせない存在となっている。

少々おおげさに聞こえるかもしれないが、本当だ。

仕事全般、日記、ブログ下書き、Webクリップ、Twitterログ、ほしいものリスト、リマインダー、領収書・手紙・手書き等メモスキャン、書籍スキャン……挙げればきりがない。

ほぼ朝から晩まで、Evernoteに向き合っている。

現在、ノート数30000弱。

Evernoteは実用として欠かせないばかりでなく、自分にとっては愛すべき存在でもある。

その理由は、このEvernoteが、知子の情報の後継であり、さらに進化した形だから。

というのは、知子の情報は今ではほとんど使う人がいなくなってしまったパソコンソフトなのだが、ウィンドウズ95が登場した当時は、唯一の文書型のデータベースソフトとして、知る人ぞ知る名品だったのだ。

私が知子の情報を知ったのは1995年1月に初めてパソコンを購入した時。

それまでワープロで書いていた日記をデータベース化したくなり、パソコン導入を考えたが、意外にも文書を扱うデータベースソフトは少なく、唯一、使える見込みがありそうなのが、知子の情報だった。

パソコンより先に知子の情報を買い、注文したパソコンが届くのが待ち遠しかったこと。

思い通りの素晴らしいソフトだった。

ウィンドウズ3.1~XPまでは問題なく使うことができたが、7になり、とうとう使用できなくなり、さらにスマホ対応もないため、知子の情報からの撤退を余儀なくされた。

そうした中、絶妙なタイミングで現れてくれたのが、Evernoteだった。

日記だけで5000日分以上あったデータの移植は修行にも似た厳しい作業だったが、知子→Evernoteのエクスポート機能がないため、せっせと時間を見つけてはコピペを繰り返した。

今や、11のスタック(ノートブックのカテゴリ)、63のノートブック(ノートの集まり)を数えるまでになった。

自分の過去、現在、未来にわたる第二の脳がEvernoteと言ってもいい。

ただ、懸念はある。

Evernoteが事業を撤退なりすることで、サービスが終了してしまうことだ。

これは考えたくないことだが、Evernoteも一企業であるならば、その可能性はゼロではない。

その時が来た時の恐怖を想像するに背筋が寒くなる。

しかし、Evernoteに代わるものがない以上、不安を抱えつつも、頼っていくほかない。

スマホ依存などという言われ方を真似るなら、私の場合、さしずめ、Evernote依存者。

だから、Evernoteさんには頑張ってもらいたいし、このように宣伝することで、利用者を増やし、そのよさを知った人は、プレミアム会員(年間4000円)になってもらい、その存続に協力してもらいたい。

Evernoteのトップページ。普段は自動的にログインするので、このページにお目にかかることは滅多にない。ちなみにアプリはほとんど使っていない。データ量が大きくなりすぎてしまい、取り回しに時間がかかってしまうから。いつでもどこでも使うことができる軽いWeb版で十分だと思う
Evernoteのトップページ。普段は自動的にログインするので、このページにお目にかかることは滅多にない。ちなみにアプリはほとんど使っていない。データ量が大きくなりすぎてしまい、取り回しに時間がかかってしまうから。いつでもどこでも使うことができる軽いWeb版で十分だと思う