人間観察は感受性や共感の力をはぐくむ、はずだ

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ストレスレベル、7割削減

人工透析28回目。

1.7kg増加は過去最高かもしれない。

血圧が170台。

自宅で測った時より40近くアップしているが、透析時はどうしても血圧が低くなりやすいので、問題ないだろう。

きょうの透析はうれしいことがある。

先日のブログにも書いたように、さまざまな行為によって気になっていた男性が一つおいて二つ先になって初めての透析の日。

効果はてきめんで、気になっていたあらゆる行為が7割ほど気にならなくなった。

1メートル半ほどの移動なので、100%は無理だが、それでもストレスレベルは極端に下がった。

ありがたい。

今も聞こえる●●の音が耳に心地よい。

*

すげなく入店を断られる

さて、きょうはランチをいつもと目先を変えて、新規で攻めてみようと、とあるレストランに足を運んでみた。

向かう先からいやな予感がした。

というのは、その店の立地は、今が最高のシーズンである観光名所のど真ん中なので、道すがらとてつもない人混みの洗礼を受けたから。

「でも、まさか開店直後だし、満席のわけない」と思いつつ、扉を開け、「一人大丈夫ですか?」と店員さんに聞くと、「あいにく満席です」とつれない回答が。

仕方なく、きびすを返し、いつもの行きつけのレストランへ。

レストランは観光名所から100メートルほど離れているのだが、店に近づくにつれ、人はうそのようにいなくなり、着くころにはいつもの静かな風景になっていた。

店内も同様で、いつものようにガラガラ。

私のお気に入りの席がしっかりと空いていて、私の到着を待っていたかのようだった。

たった100メートルの距離が、ここまで人を寄せ付けないのかと思うと、人間の不思議に思いをはせざるをえない。

人間って面白い。

人生って面白い。

*

品のある老夫婦に年輪の重み

この後、透析なので、がっちり食べようと、ハンバーグランチを注文。

すると、私の席の前に人品卑しからぬ老夫婦が席を占めた。

窓際の席で、本来なら私好みのはずだが、テーブルが少し狭いのと、冬場は寒く、夏場は日差しがまぶしいため、私としてはあまり利用することがない。

御主人、と思しき男性は70前後だろうか、ハンチング帽をかぶり、短髪。

奥さん、と思しき女性は、手編み風のやや体には大き目のセーターを着ている。

しばらくして、運ばれてきた料理は、サンドウィッチ。

サンドウィッチというと、軽く感じるが、私は一度だけ、ここのサンドウィッチを注文した際、あまりのボリュームに食べきれなかった。

そう思うと、あの華奢で、いかにも食の細そうな女性が…と少し驚いた次第。

男性は私と同じハンバーグを注文。

50代半ばの自分が気合いを入れるべきメニューを果敢に攻める辺り、感心せざるをえない。

二人の会話は極めて静かで、一緒に長く生活してきたであろう年輪の重みを想像させてくれた。

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お金持ちの最低要件は度胸と結論

食事を進めていると、私の隣に、ビジネスマン風の男性が座った。

注文するや、携帯で電話をかけはじめ、仕事の関連と思われる内容の話を10分ほど続けていた。

そんなにがなり立てるほどの声の大きさではなく、極めて普通の大きさの声ではあったが、店の中で携帯で話すのもどうかと思われたので、顔をちら見したが、こちらには全く気付かないようだった。

店員さんに、「ここは店内の携帯通話は可ですか」と聞いてみようかと思ったが、それはそれで大人げないかと思われたので、やめておいた。

もう一度、ちら見した時、目に入ったのが、ワイシャツの袖口に光る金ピカのカフスボタンだった。

いかにも高そうな。

そこで一つの結論に至る。

うん、確かにあのくらい(店内で堂々と携帯で話ができる)の図々しさというか、度胸があって初めて、あのようなきらびやかなカフスボタンを付けられるような身分になれるのだろうと。

自分にはそのような勇気がないゆえに、貧乏暮らしから抜け出せないのであろう。

というのは冗談で、どんなに貧乏であっても、私はやはり店内では携帯の通話を慎むような人間でいたいと思う。

*

緊張しいは人間観察の裏返しか

このように、一人ランチは、人間観察の恰好の道場であるといえるだろう。

と、ここまで書いて気付いたことがある。

自分はいつもだれかに見られているような気がして、コーヒー一つ口に運ぶのも時に手が震えたりするのは、自分が常に人間観察に余念がないという裏返しなのだろうと。

これは真理だと思う。

ただ、この真理にたどりついたからといって、人間観察をやめるつもりは毛頭ない。

なぜなら、人間観察の向こうに、人間への洞察があり、ひいては思いやりや共感というものが生まれてくるはずだという確信があるから。

若い人にもっと人間観察をしてほしいと思うのは、そういった理由からだ。

人に目を向けず、スマホばかりを見つめているから、人間にとって極めて重要な感受性が育たないのだ。

そんなことを中年の私がうそぶいたところで、のれんに腕押し、ヌカに釘だから実際には忠告したりすることはないが、アルキスマホの若者とすれ違うたびに、そんな思いを反芻している。

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きょうのハンバーグランチはチーズが乗せられたイタリアンだった。前のご主人がポテトを手でつまみ、トマトソースにつけて食べるしぐさがかっこよかった
きょうのハンバーグランチはチーズが乗せられたイタリアンだった。前のご主人がポテトを手でつまみ、トマトソースにつけて食べるしぐさがかっこよかった

心身を癒すオアシス的レストラン

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透析~皮膚科受診をはしご

きのうは透析の後、他院の皮膚科を受診した。

以前は病院をはしごするようなことは滅多になかったが、透析が始まって以来、こうしたケースが多くなっている。

仕方ないだろう、平日の3日も透析で拘束されてしまう以上、他の受診が重なってしまうことは。

ということで、皮膚科があっさり終わった後、この病院の受診後の行きつけのレストランに来ている。

*

一等地にもかかわず庶民的

このレストランは、約10年前、大病のため半年ほどの入院の後、普通の食事ができるようになってから通い始めているので、長い付き合いになる。

都心の超一等地のレストランとあって、門をくぐるまでは、お高くとまったレストランに違いないと、勝手に想像していたのだが、実際は全くイメージが違っていた。

料理の価格がリーズナブル、店員の対応も気取らず庶民的。

そして何よりも料理がおいしいし、居心地も抜群ということで、どうしてもここに足が向いてしまう。

*

入れるはずもないが…

このレストラン、病気をしてから通うようになったのだが、その何年か前からその存在は知っていた。

というのは、このレストランの近くで行われた職場の打ち上げの解散後、一人酔い覚ましで歩いた時、たまたま通りかかり、「こんなところにいつか入ってみたいものだ」などと思ったことがあったから。

当時、私はとある事情から、お金に困っていたので、実を言うと、酔い覚ましの歩きも、少しでも交通費を抑えたいという、涙ぐましい努力の一環だったというわけ。

レストランの構えは豪奢で、土地も都内でも有数のセレブタウンとあって、とてつもなく高級な店に違いないと勝手に想像しながら、通り過ぎたのだが、その意味では「入りたい」より、「入れるはずもない」という方が正直な気持ちだったかもしれない。

この時の経済苦による心労は、明らかに大病の原因になっていただろうし、そう思うにつけ、実際に病気になったことで、このレストランに長くお世話になることになったのは、不思議な巡り合わせとしか思えない。

レストランの主たる目的は、食事をすることであることは言うまでもないが、長年通ううちに、単なる店という感覚を超え、オアシスとも、ホームとも思える心癒される存在になっていくところが面白い。

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くせになるドレッシング

ここはパスタとピザが売りのイタリアンレストランなので、それらはどれをとっても折り紙付きのおいしさだけれど、中でも私が気に入っているのがサラダにかけられて出てくるドレッシングだ。

きのう、店員さんに、「このドレッシングはここのオリジナルですか?」と聞くと、「はい、ある業者さんに依頼して作ってもらっています」と。

店頭売りもしているということで、買ってみた。

840円。

ほんのりとした甘酸っぱさがくせになる味わい。

妻に「お土産」と持って帰ると、喜んでくれた。

珍しいことだ。

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行きつけのレストランの吹き抜けの天井。豪奢なシャンデリアが目を引く。この開放感がいい
行きつけのレストランの吹き抜けの天井。豪奢なシャンデリアが目を引く。この開放感がいい

喫茶店の窓際での往来の人間観察の楽しさよ

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200gの差が鉛のように感じる不思議さ

人工透析27回目。

きょうは午後に他医院での皮膚科受診を控えているため、透析の時間帯を午前に繰り上げてもらった。

いつもの通勤時間と同じだと、クリニックに着くのが早すぎてしまうので、向かいの喫茶店で時間をつぶしている。

仕事用に毎日、パソコンを持ち歩いているので、さっと開いてキーボードを打つことができるところがいい。

これも職場支給のノートパソコンが1kg弱と軽いおかげ。

とても重宝している。

不思議なもので、ノートパソコンの200g、300gの差はことのほか違いを感じてしまう。

スマホがたった20g、30gの違いで重たく感じてしまうことに近い。

それほどに人間の感覚は微妙なものなのだと思う。

*

それぞれの人生行路を想像

今、窓際の席でブログを書いているが、往来を行く人々の姿がよく観察できる。

私はこういうシチュエーションでの人間観察が大好きだ。

人はそれぞれの人生を今日まで積み重ねてきながら、きょうという一日のためにそれぞれの目的を背負って、歩く。

一体、どんな生きざまを経てきたのだろうと想像するに楽しい。

人間観察はいい。

なぜいいかというと、犯罪に当たらないし、それぞれの人生行路を想像するだけで、脳の活性化にもなるような気がするから。

*

情けないアルキスマホ

それにしても道行く人のルキスマの多いことよ。

10人に一人、いや5人に一人はルキスマをしている。

そのルキスマが信号や横断歩道のない車道を横断する際にも、スマホから目を離そうとしない。

これは明らかに異常な光景だ。

クルマにひかれれば、自己責任の極みだが、そういう人間に限って、自分だけは大丈夫と根拠のない確信を抱いているから始末が悪い。

高齢者ドライバーによる痛ましい交通事故が毎日のように各地で起こっている。

そんな事故の犠牲にならないとだれもが思い、車道のルキスマを平然とやってのけるのだろうが、確率はゼロではなく、事故に遭った時は後の祭り。

あっと思う間に、走馬灯が頭を駆け巡るに違いない。

くわばらくわばら。

だから、私はルキスマは絶対にしない。

どうしても、移動中にスマホを確認しなければならない時は往来の邪魔にならないように隅に寄ってから、開く。

それにしても、どうしてこんな世の中になってしまったのだろう。

情けない。

でも、自分には関係ない。

だれが交通事故に遭おうが、だれがホームから落ちようが、知らぬ存ぜぬだ。

自業自得の極み。

*
生涯、まっすぐ前を見て歩きたい

とはいえ、かくいう私も、ルキスマをせずとも、いつ、高齢者ドライバーや運転ミスのクルマにはねられないとも限らない。

人生は一瞬先は闇。

でも、同時に一瞬先には光もある。

自分はスマホだけを頼りに真っ暗な中を歩くより、まっすぐ前を見て(時々、きょろきょろ危険を察知しながら)、人間観察を大いに楽しみたい。

ネットという二次情報に身を浸すよりは、よっぽどワクワク感があるリアルな世界が広がっている。

道行くルキスマの若者を呼び止めては、そう声をかけたい。

でも、実際はしない。

それこそ、逮捕されてしまうから。

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職場も喫茶店も窓際がいい。気楽だし、人間観察が自由自在だから
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