はるか昔、アパートコミュニティーというものが存在した

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■「ひよっこ」が大詰め

NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」が大詰めを迎えています。

失踪した父も戻り、ドラマは完全にヤマ場を越した感がありますが、残りの1か月は、ほぼみね子が住むアパートの人間模様を描く形で進行しています。

最近でこそ、シェアハウスのような住居形態も現れて、違和感もそうは感じませんが、このひよっこの時代は、こうしたアパートコミュニティーとも言うべき、人的交流は普通にありました。

私自身、生まれてから7歳までの間、まさに茜荘を彷彿とするアパートに住んでいたので、見るたびに「ああ、あるある〜」とうなずくことしきり。

■極めて牧歌的な時代

私が住んでいたアパートは東京の品川区大井町にありました。

あずま荘という当時で既に築30年は経っているであろうオンボロアパートでした。

トイレ、洗面所は兼用、間取りは4畳半ぽっきり。

ここに家族4人が寝起きして。

夜はまさに川の字で雑魚寝状態。

今ではなかなか想像できない、極めて牧歌的な時代でした。

■ゴキブリ退治の名人として

1964年の東京オリンピックは、アパートの住人全員が大家さんの部屋に集合して観戦したこともよき思い出です。

隣の大学生の部屋にもよく遊びに行き、おそらくたどたどしかったであろう「禁じられた遊び」をギターで弾いてもらい。

また、上階の女性の部屋に行っては、肩をもんだり、白髪を抜いてあげたり。

さらには、洗面所付近に出没するゴキブリ退治の名人として、住人からありがたがられたり…。

怖いものなしの子どもでしたから、素手で捕まえて握りつぶしてました。

アパートには濃いコミュニティーが存在していました。

■引っ越しはほとんどが自力

私が7歳になって、姉も小学校の高学年になり、さすがに手狭になったと感じたのであろう父親が、千葉県の我孫子に家を買って、引っ越すことになりました。

当時の引っ越しはほとんどが自力でした。

父がトラックを借りて、3往復くらいして運んだでしょうか。

引っ越しの折、隣の大学生が友達を誘って、手伝ってくれました。

おかげで、スムーズに終えることができ。

最後に大学生たちは、私のことをバスケットボールのように投げては受け止めを繰り返し、別れを惜しんでくれました。

その時に私の目に映じたアパートと隣の家の間からの小さな青空と大学生たちが受け止めるたびにかけてくれた声音をよく覚えています。

何と言ってくれたのかまでは、すっかり忘れてしまっていますが。

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