燃やしてしまったインド日記に一体何が書かれていたのだろう

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■文字のバランスが最悪

先日、「紛失してしまった!」とお騒がせした万年筆が手元に戻って、そのありがたさをしみじみ感じているきょうこのごろです。

私が書く手書きの文字はどちらかというと悪筆で、特に文字と文字のバランスが最悪だと自認しています。

つまり、取っ散らかた印象を与えてしまうという奴です。

まあ、仕方ないでしょう、小学生のころ、3年間も書道教室に通っていながら、3級までしか上がることができなかったのですから。

下手の横好きの典型です。

■DNAに匹敵するオンリーワン

下手にもかかわらず、手書きが好きなのは、何でしょう、やはりそこに自分のオリジナリティやアイデンティティを感じるからなのでしょうか。

筆跡鑑定という職業が成り立つくらいですから、手書きの文字はDNAに匹敵するオンリーワンであることは間違いないようです。

スターの手書きのサインに価値があったり、文豪の自筆原稿が珍重されるのも、このオリジナリティとアイデンティティのゆえにあるのだろうと思います。

私もかつて、ワープロもパソコンもない時代は手書き一辺倒でした。

当たり前のことでしょう、それ以外に手段がないのですから。

とりわけ、日記にはしっかりと手書きで向き合い、大切にした思い出があります。

■焼却処分を今さらながら後悔

特に学生時代のインド旅行にはルーズリーフを持っていき、あったこと、思ったことを書き留めていった記憶があります。

今ならSNSで即座に配信が当たり前ですが、30年前にはその術はありませんでしたから。

40日間の旅行を終え、自宅に戻った時は、確かルーズリーフは3冊になっていたように思います。

大切な私にとっての宝でしたが、それから約8年後に庭で焼かれることになります。

その訳はここには記しません。

想像にお任せします。

ただ、今になって思うのは、貴重な資料を失ってしまったということ。

気がはやって処分してしまったことを今さらながら後悔したりもします。

■失われたものだからこそ美しい

今であれば、スキャンという方法がありますから、紙は失われても、筆跡は残ります。

もう取り返しのつかないことですから、悔やんでも仕方ないのですが、しばらくの間でも、実家の物置にひっそりと隠しておけばよかったものをなどと思うこともしばしです。

でも、何でもそうですが、失われたものだからこそ、美しく貴く思えるということはよくあることです。

もし、私が将来のテクノロジーの発達を見通す力があって、インド日記を残したとして、今、それを目の当たりにする自分は案外、がっかりしたりしてしまうのかもしれません。

「何だこのバランスの悪い悪筆は読むに耐えん」ときっと途中で投げ出すはず。

とはいえ、手書きはいいものです。

スキャンができるようになった今は手書きにとってもよき時代になったということを感じるきょうこのごろです。

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