出稼ぎの叔父に勧められたビールの苦い体験

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連ドラの習慣が根付く

NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」が始まりましたね。

この5年くらいは朝ドラを見る習慣がついています。

ただ、「あまちゃん」はたまに見る程度、「花子とアン」は一話も見ることなく終わりましたが。

それ以外はかなりの確率でセーブできたという自負があります。

最近の中で最もはまったのは「朝がきた」でしょうか。

あの凄みの効いた波瑠の啖呵にはしびれました。

でも、波瑠という芸名はどうも…少し損をしているような気がします。

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茨城の汚名挽回に期待

さて、「ひよっこ」ですが、ヒロインの有村架純については、好きでも嫌いでもなく、あまり関心が持てませんが、舞台が茨城という点とお父さん役の沢村一樹には注目度大です。

沢村一樹が好きな理由は、同じくNHKの「サラリーマンNEO」で、見事なキャラクターを演じていたからです。

沢村一樹はイケメンですが、中身は超冴えないという役回りにうってつけだと思うのです。

ただ、行方不明になってしまったことを見ると、何か奥に一物抱えているキャラクターであることが想像できますね。

今後の展開が楽しみです。

また茨城は私の出身地である千葉県のお隣ですし、あの「だっぺ」言葉には馴染みがあります。

それに県の好感度の低さを少しでも挽回してもらいたいという思いもあります。

稀勢の里の横綱昇進に沸く茨城をさらに押し上げるドラマになればと思います。

事実、思いのほか、茨城に好感度の風が吹き始めているような気がします。

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建設作業員が作った日本の繁栄

その沢村一樹演ずるお父さんは、冬場になると東京へ出稼ぎに出て、そこから失踪してしまったという設定で、今のところストーリーが展開されています。

今でこそ交通機関が発達し、茨城も十分通勤圏ですが、昭和30年代とあれば、出稼ぎもあったのだろうとは思わされます。

お父さんが失踪する前、洋食屋での会話の中で「国立競技場を作った」と言う場面がありましたが、あれから50年、その競技場は取り壊され、新たな巨大スタジアムが出現するのだと思うにつけ、日本の発展はまさに建設作業員の営々たる努力によって、積み上げられてきたのだと思わざるを得ないのです。

きょうもクレーンが林立する競技場建設地の横を通る時、無事故安全で一人のケガもなく、無事出来上がってほしいものだと心の中で祈りました。

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「大人の苦さ」を初めて知る

出稼ぎで思い出すことがあります。

母方の親戚が、毎年、冬場になると、出稼ぎに出て、東京に住んでいた私の家族に会いに来てくれたことです。

二人ともお酒が強く、飲み出すと陽気になって、家が賑やかになったことを思い出します。

そのうちの叔父の一人は、茶目っ気があって、私が興味深げにビールをおいしそうに飲んでいるのを見つめていたため、「◯◯ちゃん、一口飲むか」と勧めてきたことがありました。

私はまだ幼稚園に通っているころだったと記憶します。

興味津々で一口、含んだ私は、あまりの苦さで瞬時に吐き出した記憶があります。

その時ですね、「大人の苦さ」というものを初めて体験したのは。

その苦い体験からか、二十歳になってもしばらくはビールが飲めなかったのはそのトラウマを引きずっていたかなんでしょう。

今はおいしく感じるようになりましたが、ビールの口に含むたびに、あの叔父のうれしそうな表情がよみがえるのです。

ほめられたことではありませんが、昔の大人はすごかったんですね。

大人になった私には到底無理。

そういう時代だったんだなということなんでしょう。

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国立競技場、着々と建設中。作業員さんたちの安全・無事を祈る
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新入社員のあいさつで思い出す33年前のとある“事件”

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挙手あいさつはアイドルの影響か

きょうのわが社の朝礼で新入社員の紹介がありました。

小さい会社ですから、全員の名前を読み上げてもすぐ終わるくらいの人数です。

初々しくも、緊張感に満ちた表情を見るにつけ、入社33年目となった私としても、一時的にせよ、清新な気分にさせられるものです。

一人ひとり頭を下げていきましたが、中には「よろしくお願いします」と元気いっぱい声を張り上げる者、さらには、右手を一瞬挙げて、「よろしくお願いします」とより印象づけようとする者あり、個性が出ているなと思いました。

「はい」と手を挙げてからあいさつするパターンはどこかで見たことあるなと思い返してみると、AKB48から始まった自己紹介のそれだと思い出しました。

さらにさかのぼって振り返るに、かつてはこういうあいさつの仕方はなかったように思います。

そう思うにつけ、アイドル文化が社会に浸透しつつあることを感じます。

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鬱憤晴らしの飲み会へ

私が入社した1985年はバブル景気真っただ中で、世の中はまさに上滑りに浮かれた危うい時代だったんだなと思います。

ただ、一方で新入社員は徒弟だという旧習も残っていた時代で、入ったばかりの私はいきなり工場に送り込まれ、油まみれ、汗まみれになって働かされました。

当初の半年間は夜9時まで毎日拘束され、休みは月1回という今でいうブラック企業並みの扱いでした。

そんな疲れと鬱憤がたまった私たち同期はある土曜日、初めて5時に帰ることを許されたという解放感から、飲みに繰り出しました。

1軒目、ビールを4、5杯空にしながら、社の働かせ方のあこぎさについて愚痴のオンパレードが繰り広げられました。

やはり相当、たまっていたと思われます。

2軒目に移動しようということになりましたが、酒の弱い私は脱落。

残った同期は、この後、3軒目、4軒目とはしごを続けたようでした。

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言い出しっぺの私に罪悪感

とまあ、ここで終われば、同期同士のガス抜きの会として平穏無事に済むはずでした。

ところが、事件が起きました。

酩酊した同期の一人が歌舞伎町で、とある器物を破壊してしまったのです。

しかも、警察官の目の前で。

彼は交番に連行され、さらに警察署の留置場にも入れられました。

私がその事実を知ったのは翌日、重い頭を抱えながら工場へ出勤した朝のことです。

工場長がとてつもない剣幕で、「君たちはきのうの夜、一体何をしたんだ」と頭ごなしに怒られ、とんでもない事態が起こっていたことに気づきました。

私は罪悪感を覚えました。

というのは、その飲み会の言い出しっぺは当の私だったからです。

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事件によって深まった絆

事件を起こした彼は結局、とがめられることなく放免となり、社のクビも始末書で免れ、今でも元気にわが社で働いています。

同期の飲み会のたびに、その事件が酒の肴として俎上に挙がり、彼は苦笑するばかりというマンネリが33年にわたって続けられてきました。

その意味では私たち同期はその事件によって、固く結束できたと言っても過言ではありません。

今の若い子たちはいかにも真面目そうですし、かつてのようなブラックな働かせ方もしていませんから、私たちのように馬鹿なハメの外し方をするようなこともないでしょう。

そう思うにつけ、試練を味わわせてしまった彼にはとても気の毒なことですが、私の一言がその事件を生み、同期の絆を深めたということを、この季節にいつもかみしめ、感慨に浸るのです。

ああ、悪い人間だ。

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卒業にまつわる私の黒歴史について。贈る言葉は「自殺するな」

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心配していた愛子様も無事に

卒業シーズンですね。

皇室ファンというわけではないですが、愛子様も無事、中学校をご卒業なされて何よりです。

東宮御所の前を通るたびに、愛子様、大丈夫かななどと、勝手に心配していたこともあるので、この際、お祝いの気持ちを伝えさせていただいたところで、決して罰は当たらないでしょう。

私の娘も2年前に大学を卒業したため、もうこれ以上、卒業という空気を味わうこともなくなりました。

あ、強いていえば、私自身の職場からの卒業がありましたか。

さらに言えば、人生からの卒業は死ぬことになります。

そう考えると、あと少なくとも2回の卒業が待っているわけですね。

人生における一つのステージに区切りをつけ、新たなステージを迎えることを、端的に卒業と言われることが多くなりましが、これは尾崎豊の詞「この支配からの卒業」の影響は大きいと思われます。

そう歌って人気絶頂だった尾崎は、いともあっさりと生からの卒業をしてしまったわけで、その意味でも老いてカリスマを失う機会を永遠に放棄した生き様というか、死に様には感慨を覚えざるをえません。

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体罰が日常だった担任に

私の卒業の記憶を掘り起こすと、あまりろくなものが出てきません。

小学校の卒業式では、担任に声をかけられた際、「おい、お前、自殺なんかするなよ」が私に与えられた贈る言葉でした。

まあ、体罰が日常茶飯の変わった教師だったので、さもありなんと、小学生の私も妙に冷めた思いで受け止めたのですが、これを両親に話した時は、さすがに怒ってましたね。

普段は物静かな父親が真っ赤になってましたから。

もちろん、抗議はしなかったようですが、今であれば、結構な騒動になっていたかもしれません。

情緒不安定だったあの担任の先生こそ、自殺していないだろうかと時折心配になります。

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他人と取り違えられ

中学の卒業はもっと悲惨でした。

卒業アルバムが他人と取り違えられたのです。

しかも、名前まで間違って。

写真としての私はそこにいますが、氏名としての私はそこに存在せず、中学を卒業したことになっていないわけです。

これも学校を出た後の祭ということで抗議のしようがありませんでしたが、アルバムを見返すたびに、私は「○○○○君」なのですね。

高齢な担任だったので、きっと校正が甘くなったのでしょう。

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両親を引き連れての意気揚々が一転

高校は無難でしたが、大学もかなりの不始末がありました。

これは私自身の不始末なので、人を責められませんが、意気揚々と両親を連れて卒業式会場に向かい、「卒業証書を受け取ってくる」と学生課に赴くと、職員からは冷めた表情で「卒業保留となっています」と告げられたのです。

二日前に卒業旅行から帰ったばかりの私は、卒業はできているとばかり思い込んでいたのですが、一つの学科が不可判定、つまり卒業資格を満たしていなかったのです。

真っ青になった私は両親を連れて自宅にとんぼ返りし、翌日締切の追加課題に嫌な汗を流しながら向かったことは言うまでもありません。

締め切りが翌日に教授宅必着だったので、何とか徹夜で仕上げ、始発で教授宅最寄りの中央郵便局まで行って、「今日中に着きますよね」と局員に念を押して投函しました。

さらに念押しで教授に「どうか卒業させてください」との懇願の電話も入れました。

これらの努力が実り、ぎりぎりセーフの卒業はかないました。

このように卒業と聞くと、暗くて黒い思い出ばかりが散らばっているのです。

ちなみに、小学校の担任に釘をさされたのが功を奏したのか、私はいまだに自殺をすることなく、生き続けることができています。

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