「インド紀行」カテゴリーアーカイブ

人生綱渡りエピソード・卒業編(2)ストによるタクシー乗車拒否

14科目、規定のレポートを提出し、卒業をほぼ手中にした私は、いそいそと卒業旅行として計画していたインド行きの準備を開始する。

大学の友人Oとの気楽な二人旅。

バンコクをトランジット経由し、スリランカに入国し、数日滞在後、飛行機でインド上陸。

約10日間、鉄道で北上する旅は、しごく順調で、瞬く間に最終日を迎えた。

インド旅の2週間はあってないような時間だということを感じたものだ。

綱渡りは最終日に突然やってきた。

ムンバイで日本へのお土産を購入していたが、ことのほか時間をかかったことで、飛行機の出発まであと1時間を残すばかりになってしまっていた。

ただ、この時点では空港まではタクシーで約30分ほどなので、十分間に合う算段はあった。

店を出て、列をなしていたタクシーの運転手に「空港まで」と声をかけるが、運転手は眉をしかめて、手で追い払うようなしぐさをする。

乗車拒否だった。

しかし、慌てる必要もない。

タクシーは佃煮にするほど、停まっている。

隣のタクシーも、ほぼ同じ反応。

何かを大声で叫んでいるが、要領をえない。

さらに隣、さらに隣と声をかけるが、まさかの乗車拒否。

不安が次第に深まりだす。

一人の運転手がクルマを降りて、その理由を説明してくれた。

彼の話によると、その日はタクシードライバーのストのため、お客を乗車させてはならないことになっているというのだ。

私とOは思わず顔を合わせたが、Oのそれは蒼白そのものだった。

私も同様だったに違いない。

ムンバイでの出発便を逃してしまうと、そのあとの乗り継ぎの飛行機搭乗に間に合わなくなり、予定通りの帰国ができなくなるという問題が生じてしまう。

それまで、単なる声かけだった運転手への呼びかけはやがて懇願に変わり、それでも効き目がないとわかるや、最後の手段、「お金はいくらでも出す」を出さざるをえなかった。

ところが、である。

その言葉を出した途端に運転手の態度は豹変、3倍の値段を出すなら連れて行ってやると。

もう一度、私たち二人は顔を見合わせて、同時にうなずき、クルマに慌てて乗り込んだ。

運転手も請け合ったからにはと気合で飛ばし、片側3車線を対向車線に何度もはみ出し、先行するクルマをとんでもない勢いで抜き去っていく。

スリルは満点だったが、そのスリルを楽しむ心のゆとりは全くなかった。

「とにかく間に合うように頑張ってくれ」と汗の玉が浮き出た運転手の黒褐色の首筋を見つめ、祈った。

(つづく)

人生綱渡りエピソード・卒業編(1)崖っぷちの単位取得条件

学生時代に行った2回のインド旅行について、もう一度、振り返って書いてみたいと思うが、最も強い印象に残る事件から、やはり手をつけてみようと思う。

それは2回目のインド旅でのことで、大学の友人と2人で卒業旅行を兼ねたものだった。

2週間の旅程で、スリランカから入り、ムンバイまで北上するという主に南インドを中心とした行程だったと記憶する。

記憶するというように、この旅については記録が一切残っておらず、その2年前の一人旅が写真に焼き付けたように鮮明に記憶に残っているのに比して、ほとんどがぼんやりとした記憶しか残っていないのだ。

そう思うにつけ、友人との旅は日常の延長を引きずってしまうことになり、非日常としての旅の記憶が定着しにくいという法則があるような気がする。

さて、この2回目のインド旅で何があったのかについて。

結論から先に言ってしまうと、旅のおかげで、大学の卒業が危うくなり、同時に就職も取り消しになる恐れがあったということ。

結果的にギリギリセーフでの卒業ができたので、笑い話で済んでいるが、その状況に追い込まれた私のパニック度は尋常なものではなかった。

何回かにわたって、その顛末について書き留めておきたい。

当時、私はいわゆるゼミなしっ子で、ゆえに卒論はなし、後期の試験さえ可以上を取れば卒業という立場にあった。

極めて緩い卒業条件のように思われるが、実は1~3年までにコンスタントに単位を落としたツケが回って、4年時点で、14科目42単位という、野球でたとえるならば、同点9回裏ノーアウトフルベースの状態でマウンドに上がったようなもので、まさに崖っぷちに立たされていた。

前期は何とかクリアしたが、後期を一つでも落とせば、即留年が決まる。

就職は決まっている。

何としても、単位を落とすわけにはいかななかった。

ところが、私に幸運の女神がほほ笑んだ。

というのはその年の学校側の授業料値上げの方針に対して、学生自治会が反発し、授業、試験ともにボイコットするという事態が勃発。

結果、試験の代わりに、全科目がレポート提出のみによる卒業審査になったのだ。

心の中でガッツポーズした私は14科目のレポートをせっせせっせと書き上げた。

1科目当たりB5レポート平均10枚を14科目分、都合140枚を2週間ほどかけて仕上げたのだが、その間、クラブの合宿もあり、合宿に持ち込み、周囲がスキーに興ずるのを脇目に、レポート書きに腐心した。

無事、全レポートを提出することができ、崖っぷちの闘いにピリオドを打った、かに思えた。

しかし、その皮算用が、後に私を崖っぷちから足を滑らせ、指1本で崖に引っかかる絶体絶命の事態に追い込まれることになる。

(つづく)

学生時代のインド旅にもう一度、思いをはせてみる

「インド紀行」という、かつて学生時代に40日間、バックパッカーとして旅した雑感をまとめた文章がある。

全87回、約90000字、原稿用紙にして230枚にもなる長文だ。

さすがに長すぎて、最後まで読んだ人は私以外、一人もいないと思われる。

これを書いたのは自宅療養中の2007年4月ごろ、約2か月半をかけて一日一回と決め、書き続けたことを思い出す。

当時、自宅療養中とあって、仕事に行くことはできないが、家にただ漫然としていることもできず、以前から時間ができれば書き上げてみたいと思っていたので、とりかかったという次第。

折よく、肺炎で入院中に大学の後輩がお見舞いの差し入れで、「インドの歩き方」を持ってきてくれたので、それが大いに役に立った。

以前のブログでは、一回ごとの掲載だったが、新しいサーバーに移植する際、面倒ということもあり、87回分、まとめて掲載してしまっているので、とても読みにくい、自分ですら読む気がしないのは当然のことだろう。

しかも、勢いに任せて、かなり強迫観念で書いたこともあり、読み返すに恥ずかしい表現が多々ある。

ということで、久しぶりにリライトしてみようかという気になった。

というのも、実はこの一文は未完成で続きがある。

さらには、2回目のインド旅行のこともついでに書いておきたいということもある。

前回のように毎日ということではなく、不定期で思いのままに書いていこうと思う。

過去のことを何度も振り返って、どれほどの意味があるのかと思う節があるが、22歳という子どもと大人の狭間の時期に、日本とは極端に違った環境の中で見聞きしたものは何で、どう思い、感じたのかについて、振り返ることは決して無駄なことではないと思う。

若い自分との対話を繰り返しながら、これからの行く末について思いをはせてみる。

そう思うにつけ、あの旅行は自分にとって、珠玉ともいうべき思い出となっている。。

インド紀行を書いた当時の写真は紛失してしまってない。これを書いた当時、毎日ベランダに出て、空の風景を撮っていたので、カット写真代わりに使っていこうと思う
インド紀行を書いた当時の写真は紛失してしまってない。これを書いた当時、毎日ベランダに出て、空の風景を撮っていたので、カット写真代わりに使っていこうと思う