90歳のKさんに勇気づけられ教えられたこと

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満面の笑みをたたえ

月一度の地域の寄り合いに参加しました。

私の隣に座られたのは今年で90歳になるおばあちゃん、Kさんです。

Kさんはいつも私に気がつかれると、満面の笑みをたたえて、手を握りしめてくれます。

その温かくて、力強いこと。

ありがたいことです。

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こういう生き方をしたい

Kさんは耳が遠くておられるようで、参加者が普通の音量で話す声はほとんど届かないようでした。

時々、私に切なそうな目を向けて、「私、耳がだめだから」とため息をつかれていました。

私は頷くだけで何も言ってあげることはできません。

それでも、決まって集会に参加されようとする前向きな姿勢のKさんには感動を覚えます。

見習わなければと思うと同時に自分は90歳まで生きることができるのだろうかとも。

無理だろう。

でも生きられたら、こういう生き方をしたい。

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5問中2問を見事正解

この日の催しの一つにゲームがありました。

数式がパネルで出題され、早い者勝ちで答える脳トレです。

自分がうんうん唸りながら、暗算しているそばで、Kさんは涼しい顔で手を挙げ回答されるではありませんか。

見事、正解。

「私、昔から目だけはよかったの。いつも一番だったのよ」と話すKさんの表情には先の憂いは一切消え去っていました。

全部で5題出されたうち、Kさんは2問も正解、これには一同、拍手喝采でした。

とてつもない脳の若さに私も驚嘆すること仕切りです。

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あふれる経験の言葉

Kさんの90年にわたる人生航路をその一分すら知る由もない私ですが、今、90歳にして輝きを放つその姿勢を思うにつけ、その風雪の奥深さを思わざるをえません。

私は昔から、若者よりもお年寄りと話すことが好きでした。

なぜなら、その人だけが持っている無限ともいうべき経験の言葉が、私のこれからの人生の道を照らし、豊かにしてくれるように思えるからです。

逆を言えば、若者には私はまだ与えるべき経験を積んでいないという自覚があるゆえ、気後れしてしまうのです。

無理もないことでしょう。

そう、だから私は年配者を常に心から尊敬します。

そんなことを確認できた今月の集会でした。

参加できて本当によかったです。

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自分のがんサバイバーの定義は完全に間違っていたと気づかされ

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誇りと傲慢が背中合わせ

旧ブログ「MDSサバイバーの自己省察」から、現在の「顛末の大略」へと改名して、ふと思うところがありました。

私は果たして、「がんサバイバー」と自認してもいいものだろうかという考えです。

どうしてそういう考えが起こったかというと、「サバイバー」という言葉の響きには、病を乗り越えて生き残ったという誇りの半面、傲慢さが含まれてはいないかというものです。

つまり誇りと傲慢は表裏一体なのではないかと。

というのは、がんが完治し、克服することができたと高らかに宣言してしまうことで、いわゆる「一抜けた状態」、つまり、がんとの闘い終了といった安易な側面をもたらしてしまわないかと思えてならないからです。

実際、日本においては「がんサバイバー」という言葉が定着していないように思うのは私だけでしょうか。

もしそれが仮に当たっているとしたら、いたずらな自己主張を嫌う日本人らしい反応なのではないかと思ったりするのです。

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がんは克服できない

「がんサバイバー」という言葉と概念がどういう形で生まれ、普及したのかは私自身よくわかっていませんが、どのように受け入れていくべきなのかについて、ネットで検索してみると、こんな記事にいき当たりました。

がんサバイバーの時代 ~「がんを克服した」はやめましょう~

ヨミウリオンライン内「ヨミドクター」の記事であり、日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授・勝俣範之(かつまた・のりゆき)氏執筆の記事とあれば、信頼性は十分だと思っていいと思います(内容そのものということではなく、出所という意味において)。

記事を引用します。

 がんの診断を受けた人は、生涯を全うするまで、がんサバイバーであり、再発するかしないか、治ったか治らないかは関係ありません。

 これは、がんの治療後に長期生存した人だけをサバイバーとする古い考えと異なった概念です。

この時点で、私のがんサバイバーの定義は完全に間違っていたことが明らかになりました。

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がんに勝ち負けはない

そして勝俣医師はこう続けます。

やや引用が長くなりますが、重要な個所です。

 そもそも、がんに勝ち負けがあるのでしょうか。

 病気に勝ち負けがあるのでしょうか。

 がんが再発しなかった患者さんが、「勝ち」で、

 がんが再発・進行した患者さんは、「負け」なのでしょうか?

 がんが再発しても、がんとしっかり向き合って、立派に生活してらっしゃる患者さんがいます。このような患者さんも立派にがんを「克服している」と思います。

 がんが再発していないことの意味で、「がんを克服した」と言うこともおかしなことです。

目からうろこの見解です。

私の浅はかな定義は打ち砕かれるとともに、「がんサバイバー」の言葉には、一切の傲慢はなく、むしろ希望と誇りのみに満ちたものであるということが、私の中ですとんと落ちてくれました。

「がんは死ぬまで克服などできない」と聞くと、一見、ネガティブな考え方のように思えてしまいますが、真意はそうではなく、がんとは一生つきあっていくべきものなのだという肯定的にがんを受け入れていこうという心の持ちようを言うのでしょう。

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わだかまりが一気にとれ

ひとたび、がんにかかったのであれば、どんな状態にあったとしても、それはがんサバイバーなんだと。

死ぬまで。

勝俣医師の見解が絶対的に正しいという判断基準はないと思います。

ただ、私はこの考え方に納得しました。

私は胸を張って宣言しようと思います。

「私はがんサバイバーです」と。

胸にわだかまっていたつかえが一気にとれたような気がしてよかったです。

「MDSサバイバー」から「顛末」へのタイトルの移行をしなければ、このことを改めて考えてみようという気も起らなかったに違いありません。

「顛末」効果、思いのほか挙がっているようです。

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卒業にまつわる私の黒歴史について。贈る言葉は「自殺するな」

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心配していた愛子様も無事に

卒業シーズンですね。

皇室ファンというわけではないですが、愛子様も無事、中学校をご卒業なされて何よりです。

東宮御所の前を通るたびに、愛子様、大丈夫かななどと、勝手に心配していたこともあるので、この際、お祝いの気持ちを伝えさせていただいたところで、決して罰は当たらないでしょう。

私の娘も2年前に大学を卒業したため、もうこれ以上、卒業という空気を味わうこともなくなりました。

あ、強いていえば、私自身の職場からの卒業がありましたか。

さらに言えば、人生からの卒業は死ぬことになります。

そう考えると、あと少なくとも2回の卒業が待っているわけですね。

人生における一つのステージに区切りをつけ、新たなステージを迎えることを、端的に卒業と言われることが多くなりましが、これは尾崎豊の詞「この支配からの卒業」の影響は大きいと思われます。

そう歌って人気絶頂だった尾崎は、いともあっさりと生からの卒業をしてしまったわけで、その意味でも老いてカリスマを失う機会を永遠に放棄した生き様というか、死に様には感慨を覚えざるをえません。

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体罰が日常だった担任に

私の卒業の記憶を掘り起こすと、あまりろくなものが出てきません。

小学校の卒業式では、担任に声をかけられた際、「おい、お前、自殺なんかするなよ」が私に与えられた贈る言葉でした。

まあ、体罰が日常茶飯の変わった教師だったので、さもありなんと、小学生の私も妙に冷めた思いで受け止めたのですが、これを両親に話した時は、さすがに怒ってましたね。

普段は物静かな父親が真っ赤になってましたから。

もちろん、抗議はしなかったようですが、今であれば、結構な騒動になっていたかもしれません。

情緒不安定だったあの担任の先生こそ、自殺していないだろうかと時折心配になります。

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他人と取り違えられ

中学の卒業はもっと悲惨でした。

卒業アルバムが他人と取り違えられたのです。

しかも、名前まで間違って。

写真としての私はそこにいますが、氏名としての私はそこに存在せず、中学を卒業したことになっていないわけです。

これも学校を出た後の祭ということで抗議のしようがありませんでしたが、アルバムを見返すたびに、私は「○○○○君」なのですね。

高齢な担任だったので、きっと校正が甘くなったのでしょう。

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両親を引き連れての意気揚々が一転

高校は無難でしたが、大学もかなりの不始末がありました。

これは私自身の不始末なので、人を責められませんが、意気揚々と両親を連れて卒業式会場に向かい、「卒業証書を受け取ってくる」と学生課に赴くと、職員からは冷めた表情で「卒業保留となっています」と告げられたのです。

二日前に卒業旅行から帰ったばかりの私は、卒業はできているとばかり思い込んでいたのですが、一つの学科が不可判定、つまり卒業資格を満たしていなかったのです。

真っ青になった私は両親を連れて自宅にとんぼ返りし、翌日締切の追加課題に嫌な汗を流しながら向かったことは言うまでもありません。

締め切りが翌日に教授宅必着だったので、何とか徹夜で仕上げ、始発で教授宅最寄りの中央郵便局まで行って、「今日中に着きますよね」と局員に念を押して投函しました。

さらに念押しで教授に「どうか卒業させてください」との懇願の電話も入れました。

これらの努力が実り、ぎりぎりセーフの卒業はかないました。

このように卒業と聞くと、暗くて黒い思い出ばかりが散らばっているのです。

ちなみに、小学校の担任に釘をさされたのが功を奏したのか、私はいまだに自殺をすることなく、生き続けることができています。

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