数万人の兵士の命を奪ったインパール作戦からわずか17年後に生まれたことを知り愕然とする

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■作戦の名に値しない作戦

先日、NHKスペシャル「戦慄のインパール作戦」を見て、まさに戦慄が走る思いがしました。

大東亜戦争において、戦況が悪化した日本軍の劣勢を挽回しようと目論んで挑んだインパール奪還の作戦は、あまりにも無謀であり、無計画なものだったと。

戦争という行為は総じて愚かしいことは言うまでもないですが、その最も典型例がインパール作戦なのかもしれません。

その作戦とは、イギリス軍に占領されていたインパールに数万規模の兵士を送り込み、奪還するという単純なものですが、3週間で可能と踏んだ司令部が、食料も3週間分しか持たせなかったというもの。

しかも、足りない分の補給は敵から奪うことを想定したといいます。

あまりにも楽天的な、甘すぎる発想に基づく、作戦の名に値しない作戦です。

■マラリアなどの感染症が蔓延

3週間と区切った理由は、それを過ぎると、雨季に入り、行軍にも戦闘にも支障をきたすから。

実際には、行軍は深いブッシュに道を阻まれ、予定通りに行かず、さらにはイギリス軍の予想以上の反撃によって、大幅にずれ込んでいきました。

行軍は結局、数か月に及び、食料は尽き、雨季になり、さらに遅れが生じていきます。

マラリアなどの感染症が蔓延し、兵士は力尽き、次々と倒れていったといいます。

まさに地獄絵図の死の行軍が司令部の命令のもと続けられたのだといいます。

■「何人殺せば、奪還できる?」

現地の司令部官による信じがたい言葉が記録されています。

「何人殺せば、奪還できる?」というもの。

普通に考えれば、敵の何人を殺せば、とれるのだという意味となりますが、実際は日本兵が何人死ねば、とれるのかということなのだと。

この言葉には戦慄をおぼえました。

兵士の命をあまりにも軽視した物言い。

指導者にあるまじき、冷酷な考え方に愕然としました。

■指導者を導く民度をと誓う

司令官がその悪魔のような言葉を言い放ったのは1944年です。

ということは、私が生まれるわずか17年前に同じ日本人で、かくも残忍な思考と命令が下せる人間がいたという事実。

もちろん、現在の17年と比較することはできないとしても、もし自分がもう少し早く生まれていれば、その地獄絵図を体験したのかもしれないのです。

愚かな指導者に導かれた民衆ほど悲劇的な存在はないわけであり、そう思うにつけ、指導者を選ぶことができなかった時代の不遇に思いを致さざるを得ず。

私たち民衆が賢くあり、指導者を逆に導くような民度と過ちを二度とおかさないという誓いを立てることの重要さを痛感するのです。

それをしなければ、無為な戦いに命を落とした兵士たちの魂が浮かばれることはないでしょう。

決して。

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