「社会」カテゴリーアーカイブ

小競り合いの向こうには寛容という共感があった

NHKスペシャルで、不寛容社会について、討論が行われている。

参加者からは、過剰反応、同調圧力、承認欲求、欲求不満などのキーワードが飛び交っている。

ネットの進化、価値観の多様化が、本来、寛容社会を深めるものとかつて想像していたものが、むしろ他者との共感性は失われつつあるということを実感する。

やや次元は違うが、先日、電車の乗り込みで、小競り合いを2回も経験してしまった。

最初は、電車のドアが開き、降車の人たちをドアの脇で待っていた時のこと。

降車の人が切れたところで、乗り込もうとしたら、後ろからぐいとひじで押される圧力を感じ、はずみで足がもつれかけたのだ。

相手は長身、金髪の若者。

こちらのひじも相手に当たったので、「すみません」と謝るも、無表情で、何事もなかったようにスマホを見入っていた。

二度目は、帰りの西武新宿駅。

私はいつも最後列の左端に並ぶことを習慣としている。

その日、いつもの場所に並ぼうとすると、3列の枠のうち、右2列に長い列ができていて、左端には先頭の一人しかいない。

左端は座ることができる確率が低いので、みな避けているのであろうと、躊躇なく、左端の2番目に並ぶ。

降車がすべて完了し、1歩前に出たところで、私の右側にいた若者にひじでこずかれる。

思わず足がもつれそうになるが、こちらはルールを守っているので、そこはこらえる。

ドアが開き、乗り込もうとした瞬間、同じ右の若者から、2度目の肘内攻撃を受け、完全に足がふらついた。

「やられたな」と思いつつ、私は座る気は最初からないので、隅の手すりにつかまったのだが、ふと、目の前を見ると、その若者が向かいの手すりの前に立っているではないか。

「あれれ?」

お互い目を見合わせ、一瞬、言葉を失う。

しかし、若者の目に憎悪はなかった。

私は小競り合いになった場合、自分が悪くなくても、「すみません」と謝るのを信条としている。

一度目の小競り合いの時もそうだったように。

今回も、若者に向かって、「すみませんでした」と謝る。

すると、若者も、「こちらこそ、すみません」と意外な言葉。

私はやや戸惑いながら、ドアの外を指さし、「あの枠の中までは並んでいいんですよ」と言い訳とも説明ともつかないような話をした。

若者は「ああ、そうでしたね、勘違いをしました」と素直に過ちを認めていた。

若者は、私が列を割り込んだと誤解し、正義感をもって、私に肘打ちを食らわしたのだということが明確になり、自分の中の怒りの気持ちも雲散霧消した。

NHKスペシャルで、脳科学者の中野信子さんは人間は基本的に不寛容な存在、それを認識しながら、いかに寛容を醸成するかが重要と語っていたが、そうなのだろう。

人の間と書いて、人間とはよく言ったものだ。

不寛容な人が、間を知り、学ぶことで、人間になっていく。

二度目の小競り合いで、私と若者の彼は、人間同士でいることができたのだろうか。

できればそうだと思いたい。

私たちのこれから #不寛容社会と題されたNHKスペシャルのホームページ。番組の結論的には「分かり合えないということをどう分かり合うか」という禅問答的なものに落ち着いていたが、詰まるところ、答えはないということなのだろう
私たちのこれから #不寛容社会と題されたNHKスペシャルのホームページ。番組の結論的には「分かり合えないということをどう分かり合うか」という禅問答的なものに落ち着いていたが、詰まるところ、答えはないということなのだろう

いぶし銀の富松、深津が開く男子バレーボール、リオへの道

バレーボール男子リオ五輪最終予選が開幕した。

現在、ベネズエラ戦を観戦しながら、このブログを書いている。

セットカウント1対1、日本にいい流れがきているところだ。

メンバーの中で、注目の選手といえば、何といっても、スパイカーの石川祐希、柳田将洋の両選手だろう、世間的には。

場内を見渡しても、ファンが手にするうちわのほとんどがこの両選手のもの。

石川はかわいいし、柳田はイケメンとあれば、女性に人気がないわけがない。

事実、私の妻は石川ファンだ。

私が注目するメンバーは、セッターの深津英臣、ミドルブロッカーの富松崇彰の両選手。

きょうも二人がいぶし銀の活躍をしている。

素晴らしい。

深津はかつての猫田をほうふつとさせる名人芸的トスワークでチームの要を引き締めている。

富松は31歳とベテランながら、ムードメーカーとして、コートの空気を盛り上げる。

男子は前回、残念ながら、五輪出場を逃してしまったが、今回は何としても出場権を獲得してもらいたい。

私のバレーボール体験の始まりは、1972年のミュンヘン五輪だ。

言うまでもなく、同五輪において、男子は金メダルを獲得、日本中に歓喜をもたらした。

男子バレーボールが金メダルをとったのは、後にも先にもこの一回限り。

私はまだ11歳、小学校5年生だったが、金メダルの瞬間は大泣きして喜んだことを今もよく覚えている。

以来、男子バレーは長い長いトンネルの時代が続く。

ミュンヘンで日本が編み出した戦術、たとえばB・Cクイックや一人時間差などが外国勢に真似されたばかりか、体格差を生かしたパワープレーに歯が立たなくなっていってしまった。

しかし、ここに来て、今回のメンバーはかつてのミュンヘン時代を思わせるようなムードのよさがある。

もちろん、若手の躍動がその象徴ではあるが、その輝きを引き出しているのが、深津であり、富松であろう。

まだ開幕まもないが、そのスタートダッシュにおいて、この二人が締めていることを見て、リオ出場は間違いないと確信する。

ミュンヘンへの道から続く、リオへの道を力強く進み、日本に再び、金メダルを持ち帰るという夢を見させてもらいたいものだ。

写真と本文は関係ありませんが、リオへおおしく旅立つことを期待したい
写真と本文は関係ありませんが、リオへおおしく旅立つことを期待したい

大関・清國の美徳が今によみがえる国技・大相撲

稀勢の里の快進撃によって、大相撲が盛り上がっている。

きょうの千秋楽で同じく全勝の白鵬との大一番は、近年にない高揚感をもたらすに違いない。

どちらが勝っても、全力の真剣勝負。

歴史に残る名勝負を期待したい。

さて、私と相撲のかかわりはさほど深くないとはいえ、好きな力士はその時代時代にいた。

私がまだ小学校5年生のころに、気持ちを入れ込んで好きになった力士がいた。

清國という大関がその人だ。

大関在位28場所、優勝の経験もある大大関だった。

秋田県出身、性格はいたって穏やか。

派手さはない半面、立ち合いに必ず両手を付くという生真面目なスタイルは、私の子ども心にも尊敬の念をもたらしたものだ。

肌が白く、美しいその姿、立ち振る舞いは、今も目に焼き付いて離れない。

生真面目さゆえ、ここ一番の時に、力を出し切れず、がっかりさせられたことも少なくない。

子どもの私は清國が好きすぎて、大一番をテレビで見ることが怖くてできず、清國の取り組みになると、自転車で外に駆け出し、終わったころに戻ってくるということを繰り返していた思い出がある。

大相撲は国技といわれる。

私は国粋主義者ではないけれども、やはり、大相撲と聞くと、日の丸と君が代、そして日本人の美徳というものを想起させる。

日本人が古来より大切にしてきた、慎み、和の心、そして矜持など、多くの美徳が発揮されてこそ、国技にふさわしいスポーツといえよう。

今場所の稀勢の里は、そのたたずまいにおいて、国技にふさわしい心技体をもって、堂々たる風格さえ感じさせるものがある。

そういえば、昨今の立ち合いは、必ず両手を付かなければならないという決まりになり、反した場合は行事から待ったがかけられることになったらしい。

実際、その場面を私も見る機会があった。

素晴らしいことだと思う。

かつて清國が、不利になったとしても、あえて両手を付いて立ち合いをした美しい精神が、ここにきて蘇ったようで、ファンとしては心からうれしく思う。

さて、きょうの千秋楽、両関取は、どんな真剣勝負で日本中を湧かせてくれるのだろうか、楽しみにしたい。

俵屋宗達「風神雷神図」をモチーフにした京都・建仁寺の看板。大相撲とは直接の関係はないが、きょうの取り組みは風神と雷神の戦いのような鬼気迫るものになるに違いない
俵屋宗達「風神雷神図」をモチーフにした京都・建仁寺の看板。大相撲とは直接の関係はないが、きょうの取り組みは風神と雷神の戦いのような鬼気迫るものになるに違いない