激坂を圧倒的な走りで駆け抜ける母が蘇らせたツールへの思い

通勤途上で見かける印象深い人々については以前にも書いたが、ほかにもまだまだいるので、書きとめてみたい。

最寄り駅に向かう道すがら、少し前を必ず行く女性がいるのだが、朝の忙しい時間にもかかわらず、歩みがとても遅い。

そんなに年配でもなく、私より少し若いであろうに、なぜ歩みが遅いかは、ホームまで行って理解できた。

というのは私は6時49分の準急に乗ると決めているのだが、その直前の急行が遅れたり、なかなか発車できずにいたりすると、ホームで待つ場合、車内の人たちの視線にさらされる状況が生まれる。

あまり居心地のよくない状況を避けて私は、一本前の急行が発車するまで、ホームの手前で足踏みをしたりするのだが、かの女性は、まさに私と同じ行動パターンの人だったのだ。

人の考えることは大なり小なり一緒ということか。

西武新宿は先頭に主たる改札があるため、真ん中で乗車すると、かなり長く歩くことになるので、前を行くさまざまな人たちを観察できて、なかなか楽しい。

その中で、きょうはお初の方だったが、大振りの手提げかばん(ショルダーベルトなし)、これでもかと物を詰め込んで、片手で重そうに歩く男性に遭遇。

左手には特大の長傘。

完全に両手が不自由な状況での通勤はさぞつらいことだろう。

余計なお世話かもしれないが、私とのあまりのスタイルの違いに崇敬の念すらわいてくる。

JR新宿駅から乗り込んでくるかわいい小学生たちについては前回書いたが、その子どもをホームで見送るお母さんがいる。

そのお母さんは、ただ手を振るばかりか、深くお辞儀をする。

お辞儀? 子どもに? と不思議に思い、振り向いて納得した。

子どもを二人連れたお父さんとおぼしき男性が、お母さんに向かって会釈をしていた。

同級生のお父さんにわが子の付き添いも託したという構図が判明。

なるほど、お母さんのお手振りとお辞儀の連続という不思議な行動の意味をとることができた。

会社の最寄駅からの途中、急坂があり、出勤時、私は下る形になるのだが、対抗するように、その激坂をとんでもない勢いで自転車でかけ登るお母さんがいる。

クラウディオ・キアプッチか、はたまたマルコ・パンターニかを彷彿とさせる力強い走りにはいつも圧倒させられる(もちろん、電動アシストだけれど)。

そういえば、世間ではツール・ド・フランスが今年も始まっているようだ。

最近はすっかり見なくなってしまったツールだが、職場の激坂を息上がることなく駆け抜けるお母さんの雄姿をあおぎ、かつてはまり、熱くなったツールを、今年は久しぶりに見てみようかな思った次第。

ロードバイクを購入した際、もらったツール・ド・フランスのカレンダー。ストロボの反射でやや見えにくいけど、この山岳の風景にはやはりわくわくさせられる
ロードバイクを購入した際、もらったツール・ド・フランスのカレンダー。ストロボの反射でやや見えにくいけど、この山岳の風景にはやはりわくわくさせられる

美しい自転車のフォルムに心躍り、走行再開を夢見る

私にとって自転車は、思い入れの深い乗り物だ。

これまでロードバイク2台、ミニベロ(20インチ以下の小径車)2台を購入し、大切に乗ってきた。

しかし、病気によって、その機会はほとんど奪われることになった。

2005年からの半年の入院、その後の2年間に及んだ自宅療養の期間を含め、自転車に乗ることはもちろんできなかったが、5年完治を機に、いよいよ再開したのが、2011年1月だった。

きつい闘病を乗り越え完治を勝ち取ったご褒美に、約30万円をはたいて、ロードバイクを購入した。

約15年ぶりのロードバイクに心は躍り、休みのたびに多摩湖サイクリングロードに繰り出して体を動かすことを楽しんだ。

ところが、である。

ロードバイクは靴をペダルに固定するのが常なのだけれど、足が固定され安定する半面、締め付けによって皮膚に靴擦れがどうしてもできてしまう。

私は治療の過程から始まってしまったGVHD(移植片対宿主病)という合併症がひどく、足の甲がただれやすくなっていたのだ。

しばらくは痛みを我慢していたが、走るたびに潰瘍が広がり、ひどくなり、やがて痛みで自転車で走るどころか、歩くことさえ支障をきたすほどになってしまった。

以来、この数年間はロードバイクはトランクルームにしまったまま。

走らないので汚れない。

汚れないから、メンテナンスもしないという状態が続いてしまっている。

そんなある日、ランチで青山まで足を伸ばしたところ、「モールトン展~素晴らしき小径車の世界」という展示会が目に止まり、思わず引き込まれてしまった。

モールトンはイギリスの小径車メーカーで、私もかつてミニベロを買おうとした時、選択肢の一つに挙げたことがある。

お昼時だったが、会場は閑散としており、写真撮影もOKとあって、かなりの写真を収めさせてもらった。

美しく、気品さえただようフォルム。

やはり、自転車はいいなぁと改めて思い起こさせてくれた。

幸い、足の皮膚は潰瘍もほぼ治り、赤みが残る程度まで回復してきている。

GVHDが完全に収まっていないゆえ、自転車に乗ってしまうとまた再発してしまう恐れがあり、簡単には走り出すことはできない。

ともあれ、自転車はトランクルームに眠っていて、逃げてはいかない。

ゆっくり治して、気兼ねなく走る状態になるまで、もうしばらくの辛抱。

それまでは美しい自転車を眺めて、エア走行でも楽しむとしよう。

病気直前の半年間は片道27kmを自転車通勤したこともある。

多摩湖をバックに私の愛車・オニキス。購入して5年になるが、ほとんど乗ることができておらず、今も新品同様の状態
多摩湖をバックに私の愛車・オニキス。購入して5年になるが、ほとんど乗ることができておらず、今も新品同様の状態

2020年東京オリンピック開催までに自転車レーン1000kmの実現を

ここ3日間はオリンピックムード満開であろうと思われるので、その熱が冷める前に、オリンピックを開催するに当たって必要と思われることを一言述べておきたい。

結論から言うと、「日本におけるガラパゴス化した自転車の走行の在り方を抜本的に改めること」だ。

さらに簡単に言うと、「世界から見て極めて恥ずかしい悪習である歩道走行をやめること」だ。

自転車の歩道走行は長年にわたって、当たり前のように続けられてきたが、世界から見れば、類を見ない変わった習慣であることをまず、認識しなければならない。

自転車は「車」との漢字が付くように、文字通り「車両」に属することは言うまでもない。

しかし、その車両が、歩行者の空間であるはずの歩道をわが物顔に突っ走る。

これは明らかに間違っている。

法律では、「自転車通行可」の標識がある歩道は自転車の通行が認められてはいるが、それでも徐行が義務付けられている。

ところが、実際は20kmくらいのスピードで飛ばす自転車はいくらでも目にする。

そして、やっかいなのが彼らはそれを間違ったことだと微塵も思っていないことだ。

しかも歩道走行だけではない。

自転車運転者の多くが信号やルールを守ろうとしない。

運転免許がないから、抑止力が効かないからなのか。

実際は赤切符を切られることで、刑事罰を負う恐れがあるということを知らないだけなのだろう。

実際に刑事処分を受けて初めて、自分が犯した愚かな行為に気づくことになるわけだ。

おそらく、取り締まりを強化したところで、この悪習を断ち切ることは無理だろう。

根本的な解決策を求めるならば、人の行動を促すシステム自体を見直すしかない。

つまり、道路構造の改善だ。

その見本はロンドンにある。

ロンドンはオリンピックの開催に向けて、自転車通勤のための弾丸道路の設置など、「自転車革命」と銘打ち、徹底的な改革を推し進めていった。

結果、ロンドンにおける自転車の交通分担率は急激に増加し、クルマの渋滞減、大気汚染などの環境の改善にも寄与することになったという。

東京の自転車条例ができたが、まだ明確な目標が掲げられていない。

今回のオリンピック開催決定を期に、7年後を目指して、たとえば「東京に自転車レーン1000km」を設置するなどの目の覚めるような目標を掲げ、そこにまい進していってほしいと思うのだが、どうだろうか。