「芸術」カテゴリーアーカイブ

古典を味わう者の特典を享受する通勤2時間

夏目漱石全作品の通読に挑戦を開始して、約半年になる。

「吾輩は猫である」からスタートして、「倫敦塔」「坊っちゃん」「草枕」「虞美人草」「それから」「満韓ところどころ」などを読み終わったところで、全体のちょうど折り返しまで来たので、少しインターバルを入れようと、ゲーテの「ファウスト」を読んでみた。

「ファウスト」は、だれもが思うところかもしれないが、なかなか手ごわい作品だ。

もちろん、自分の学のなさがその主たる要因なのだろうが、内容の9割以上は、理解不能と言ってよく、字面をただ眺めるだけで、意味をとることを放棄する時間帯が長く続いたりする。

何度読んでも、その状態は一向に変わらない。

ただ、今回は自分なりに一歩進んだ読み方はできたように思う。

というのは、意味をとらえようと思うことをやめたおかげで、森鴎外による翻訳された日本語が、絵画のように見え始めたことだ。

絵画に見え始めたことで、それは紙芝居になり、やがて映画のシーンも頭に浮かびあがっていくようになって。

すると、それなりの面白みを感じるようになってくる。

とりわけ、私が尊敬する映画監督、イングマール・ベルイマンが「ファウスト」を撮ったら、どんな画になるのだろうと想像しながら読み進めることが楽しい。

さらに、ベルイマンは、このシーンでどんな音楽を使っただろうかと考えると、楽しさも倍増する。

ちなみに、ベルイマンは「ファニーとアレクサンデル」では、シューマンの弦楽五重奏曲、同じシューマンの歌曲、ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲などがさりげなく使われているが、映画館で初めて見た当時は、既存のクラシック曲だとは全く気付かず、オリジナル曲と思い込んでいた節があったが、後々、たまたまシューマンやヴィヴァルディの作品を聞き流している時に、突然、映画中の挿入曲が流れて、飛び上がるほどに驚いた、という記憶がある。

「ファウスト」からいつの間にか話題がそれてしまったけれど、やはり後世に残り続ける名作というものは、いろいろな意味で、不思議な影響を投げかけ続けるものなのだなとつくづく感じる。

そう思うにつけ、Kindleで買った「ファウスト」は100円、夏目漱石全作品は300円で売られていることが、信じがたいほどの恩恵だと思う。

著作権が切れた作品なので、しかもほぼボランティアベースで編集されたものであるがゆえの廉価なのだろうが、ありがたい限りだ。

これは、いわゆる古典を味わう者の、特典というべきものなのかもしれない。

通勤の往復2時間、この特典を大いに味わう時間としていきたい。

2011年に購入したベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」完全版。手に入った時のうれしさといったらなかった
2011年に購入したベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」完全版。手に入った時のうれしさといったらなかった

最近見た映画3作品について

最近見た映画の感想を語ってみる。

ラインナップは以下の通り。

1.『エスター』(米:2009年)

2.『ショーシャンクの空に』(米:1994年)

3.『2001年宇宙の旅』(米:1968年)

*

1.『エスター』(米:2009年)は、ホラー映画。

娘がアマゾンプライムでたまたま見ていたものを便乗して見たという極めて弱い動機による。

いわゆるサイコホラーもので、次々と人が傷つけられ、殺められていくわけだが、意外な結末が用意されていて、「なるほど」と思う半面、その意外性ゆえに、怖さは半減どころか、むしろ雲散霧消してしまう感がある。

むしろ意外性を付け加えない方が、この映画は最後まで恐怖体験ができたように思う。

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2.『ショーシャンクの空に』(米:1994年)は、20年以上前の作品だが、評価が高いことで知られている。

評価の高いことから、いつかは見てみたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。

職場の後輩に勧められたこともあり、アマゾンプライムで見つかったので、見てみた。

感想としては、100点中65点というところか。

冤罪、友情、脱獄、解放……とそれなりに見どころはあるが、やや平板な感がぬぐえない。

一方、準主役のモーガン・フリーマンの存在感にはさすがと思わされた。

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3.『2001年宇宙の旅』(米:1968年)を見るのは何十回目だろう。

高校2年生の時(1978年ごろ)にリバイバル上映で見て以来、虜になっている。

約50年前の作品にもかかわらず、このクオリティ、このメッセージ性、そして音楽と映像の見事な融合……等々、何度見ても、驚異を感じてしまう。

最近のどんなホラー映画よりも驚かされ、どんなヒューマンドラマよりも感動させられる。

世にも恐ろしい映画だと思う。

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食べ物でよくあることだけど、究極においしいものを食べてしまうと、それまでおいしいと思っていたものがそうでもないなどと思えてしまうことがあり、そう思うと、究極においしいものを経験することは決して幸福なことではないという気もする。

いわゆる舌が肥えるという感覚だ。

映画にも同じことが言えて、究極の映画を見てしまうと、それまでいいと思っていたものが、途端につまらなく感じてしまったりする。

こればかりは、感覚にうそをつけない以上、仕方ないことだろう。

そう思うにつけ、『2001年宇宙の旅』などという個人的に思うに、究極の映画を多感な高校生で体験してしまった私は、残念ながら、その後、向き合う映画は、常にこの作品との比較の中で評価するようになってしまった。

ちなみに、『2001年宇宙の旅』に匹敵しうる作品を敢えて挙げるならば、イングマール・ベルイマン監督作品『ファニーとアレクサンデル』(スウェーデン:1982年)と鈴木清順監督作品『ツィゴイネルワイゼン』(日本:1980年)のみということになる。

写真は上記に挙げた映画以外の作品のオープニングシーン。この真っ赤な画面にピンと来たら、プロフィルページのコメント欄に正解を寄せてください(賞品は出せませんのであしからず)
写真は上記に挙げた映画以外の作品のオープニングシーン。この真っ赤な画面にピンと来たら、プロフィルページのコメント欄に正解を寄せてください(賞品は出せませんのであしからず)

死ぬまで芸術を味わうことができるという幸福

きょうの朝は久しぶりに超ラッシュにもまれての通勤となり、週明けにもかかわらず、既にぐったりの状態。

西武線の車両故障によるものだった。

いつもはこれを避けたいがために、ピンポイントの空いている電車を選んで乗っているのに、ダイヤの乱れとあってはさすがに仕方ない。

ストレステストということで、受け入れていくことにしようか。

電車のストレスについては、「草枕」で夏目漱石は以下のようにつづっている。

汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。

何百という人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。

情け容赦はない。

汽車ほど個性を軽蔑したものはない。

文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。

きょう、朝の通勤電車で散々な目に遭った直後に、この一文に出くわしたものだから、改めて夏目漱石という人間の透視眼の鋭さに感服するとともに、いつの時代も変わらぬ生老病死の理などに思いを馳せた次第。

そう思うにつけ、たった一日のラッシュで音をあげている自分は、心底ストレスに弱い人間なのだということを実感する。

ストレスに弱いから、ストレスを避ける、逃げる、よける術を徹底して身に着けてきたともいえる。

人生において、生老病死は四大ストレスと言っていいだろう。

このうち、死以外の3大ストレスを、これから日々やり過ごさなければならないがゆえに、ますますストレスの逃がし方が重要になってくる。

「草枕」」はまさに、このストレスの対処法としての芸術のあり方について、漱石の思いの丈を画家の視点を通して作品へと昇華させたものなのだろう。

中学2年生の時の初読時は、あまりの難解な言葉の羅列に全く理解できず、半ば意味を取ることを放棄した覚えがある。

ようやく今の歳になって、難しいと思いながらも、その言葉に味わいを感じられるようになったことは当然としてもうれしく感じるものだ。

先日のコーピングの列挙でもそうだったように、自分にとっても、最高のコーピングは芸術に触れることだ。

音楽や美術に向き合う時、いかなるストレスも雲散霧消してくれる。

本当にありがたいことだ。

かのアインシュタインは「死ぬとはモーツァルトを聴けなくなることだ」という名言を残したけれども、まさに芸術に向き合えなくなった時が死であり、逆を言うならば、死ぬまでの間は芸術に向き合うことができるという幸福を享受できるのだ、という幸福を実感する。

ヨーゼフ・ランゲ作「鍵盤に手を置くモーツァルト」
ヨーゼフ・ランゲ作「鍵盤に手を置くモーツァルト」