私にとって人生の最高の教科書でありバイブル・絵本「半日村」

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小学校の教科書で取り上げられ

半日村という絵本があります。

これは私が数ある絵本の中で最も好きであり、大切にしてきた特別な存在です。

小学校の教科書で取り上げられたりしているので、「知ってる、知ってる」と思う人も多いはずです。

実際、私も教科書で知った口となります。

ただ、なぜ少年期の私の心をとらえたのかは記憶があいまいゆえ、不明です。

10年ほど前のことでしょうか、娘を連れて、隣町に買い物に行った時のこと。

娘が絵本売り場で品定めをしているのを横目に、適当に絵本をいくつか棚から引き出しては返すということを繰り返しているうちに、ある本が目に飛び込んできました。

まさにその表現がふさわしいほどの飛び込み方であって。

よくマンガの効果で強調したいものから、多数の線が放射状に描かれることがありますが、あれをリアルに体験したのもこの時ばかりだったような気がするのです。

それほどの衝撃的な再会だったように思い起こされるのです。

小さい布袋を片手に

作・斎藤隆介、絵・滝平二郎という名コンビによる半日村という絵本が私に何を強く訴えかけたのか。

それは、主人公・一平の生き様に深く感動したからにほかなりません。

あらすじはこうです。

半日村という村は名前の通り、目の前に高い山が壁のようにそそり立っているため、日が半日しか差さないのです。

日が差すわずかな時間こそ、小鳥はさえずり、子どもたちも楽しく遊ぶのですが、あっという間に日は陰り、村中が暗くなってしまいます。

ゆえに米のとれ高も他の村に比べて低く、貧しさにあえぐほかない宿命を背負っていました。

一平の親の「こんな村に生まれたことを嘆くほかない」とのつぶやきを耳にした一平は、突然、何かを思ったような表情を浮かべます。

翌日の朝、一平は小さい布袋を片手に山に登り、てっぺんの土をかき集めては、降りてきて、ふもとの湖にザァーっと流し込みました。

この作業を黙々と続けるのです。

徐々に合流する村人は増え

その姿を見た一平の友達たちは、何やってんだバカがと揶揄しますが、一平は取り合わずに作業を続けます。

そんな一平の行動が何日も続くうちにバカにしていた子どもたちがやがて、なんだか面白そうだと思い始め、遊びがてらに一平の真似をしだします。

それを見ていた大人たちも、最初は子どものやることだと冷ややかに見ていたものが、次第に、そんなんじゃ効率が悪い、道具を貸してやるという者も現れ、さらには大人が作業を手伝うように。

それを見た村人も自分たちも手伝わなければ悪いような気がして徐々に合流する村人は増えていき。

一平の父は死に、大人の多くも死に、一平が父になったある朝、山の高さは半分になり、日は燦々と降り注ぐように。

湖は埋め立てられ、作付面積も広がり、とれ高は倍に。

それ以来、半日村は一日村と呼ばれるようになりました。

不可能を可能にした一平という「ゆらぎ」

あらすじにしてはかなり詳細にわたってしまいましたが、これ以上は略すのは難しいのです。

この物語から学ぶべきはどういうことなのでしょうか。

一平がだれに言われることもなく事を始めた自主性、あきらめない心。

次第に協力者が増えていったという漸進性と人と人との信頼の醸成と団結。

そして強力なリーダーシップに負わない一人ひとりの自立性。

不可能を可能にした一平という「ゆらぎ」と「やぶれ」としての存在などなど。

まだまだ掘り起こせばいくらでも出てくる深い意味合いがこの物語には詰め込まれているのです。

私は何か行き詰まりを感じた時には必ず、この半日村を開いては自らを鼓舞するのです。

その意味において、半日村は私にとって、最高の人生の教科書であり、バイブルでもあるのです。

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