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K君の転職に思うこと

私の職場の後輩(K君としておく)が転職を決意した。

K君は社歴わずか3年の中途組で、さらなるステップアップを目指すという。

事実、彼が移る新しい会社はだれもがうらやむような超大企業で、収入も現在の2倍以上が保証されるらしい。

大したものだと思う。

K君は勤勉で、常にパワフル、話も上手く、おまけに優秀とあって、入社直後から、だれもが一目置く存在だった。

そんな実力を備えていれば、ウチの会社に長くとどまるはずもないというのも、納得するところではある。

K君の特徴をさらに挙げるならば、声が大きい(特に電話)、歩くのが速い、横文字の言葉を多用、机周りが乱雑、時々、ぽっかりと仕事に穴を空ける…くらいだろうか。

常に何かに追われ、生き急いでいるという感じが全身から発散していた。

その忙しい自分が大好きで仕方ないようにも見受けられた。

すべてが地味で目立たないタイプの私にとっては、まさに対極を行くような人物だということを感じていた。

私は今の職場に新卒で入り、以来31年になる、典型的な終身雇用型の人間なので、K君のような胆力を見せつけられると、同じ人間なのだろうかといぶかる気分になる。

特に会社人生の後半は、そのエネルギーの大半が闘病に費やされてきただけに、何とか置いてもらうだけでも感謝に絶えず、転職など思うべくもない状況が続いてきた。

ところが、そんな私でも、かつて一度だけ、転職を考えたことはあった。

もう20数年前のことだから時効だと思って書いてしまうけれど、とある音楽出版社に若干名の募集がかかったのを知り、採用試験を受験したのだ。

その会社はクラシック専門の雑誌出版社で、クラシックにどっぷりとはまっていた当時の私は実力試し、運試し半分でトライしてみた次第。

受験会場に足を踏み入れて、驚いた。

若干名の枠におびただしい数の受験者が殺到していた。

もちろん数えたわけではないので、受験者が果たして何人いたのかは知る由もないけれど、ざっと見積もっても5、600人は優に超えていたと思われる。

この時点で、完全に戦意を喪失した私は、むしろ楽しみながら試験用紙に向き合ったという記憶がある。

当然ながら不合格だった私は、以来、博打に似た転職という危ない橋を二度と渡ることなく、分相応な職場のお世話になってきたというわけだ。

正解だったと思う。

そして、振り返るに、唯一の転職の試みの運試しは、まさに落ちたことで、幸運をもたらした、つまり、自分はなんだかんだといって、強運なのだという確信に至っている。

定年まで残されたあと5年、粛々とご奉公させてもらおうと、新たな決意をしている。

入社30年でもらった記念のバッグ。もったいなくて一度も使ってない
入社30年でもらった記念のバッグ。もったいなくて一度も使ってない

自分という人間はつくづく性悪な人間だと思う

自分という人間はつくづく性悪な人間だと思う。

というのは、きのう、職場であるいたずらをして、人間観察をしてみたのだ。

いたずらといっても、たいしたことではない。

いつもは新人がやってくれていることを、新人が休みの場合は朝早い私が代わってしてきたのだが、それをしなかっただけのこと。

新聞の陳列とコーヒー入れがそれ。

いつもであれば、7時50分に到着する私より先に新人が出社していて、新聞、コーヒーの準備ともに済ませてくれている。

だが、たまに新人が休み、もしくは午前休みの時は、部屋に明かりが付いておらず、すぐにそのことがわかるので、私が代わりに新聞をとってきて、陳列棚に並べ、続いてコーヒーメーカーでコーヒーを入れる準備をする。

それが日課。

そのことに別段、不平も不満ももたずにやっていたのだが、いつも他部局の人間が、陳列した直後の新聞を、さも当然のようにかっさらい、しばらくして返す時には、くしゃくしゃの状態になっている。

そのことをしばらくは静観していたものの、自分の心の置き所が悪かったのか、気持ちがくしゃくしゃしていたので、いたずらを思いついた。

新人が休みとわかったので、自分は新聞もコーヒーも何もせずにいて、さも当然と新聞を取りに来たり、コーヒーを飲みに来たりする人間がどんな反応をするか、観察してやろうと思いついたのだ。

出社して、何喰わぬ顔をして、朝ドラに夢中を装いながら、人間の動きをつぶさにチェック。

いつもの他部局の人間が、新聞をとりに来た。

いつものように何紙かを物色して持ち去ろうとするが、数秒して立ち止まり、新聞を凝視する。

首をひねる。

新人が来ていないことを確認。

新聞を元の場所に戻す。

この一連の動作、ものの30秒足らず。

朝ドラに夢中のふりをしながら、横目でがっちりと観察していた私は……。

次のコーヒー編。

当然のように、新しいコーヒーが入っているものと、注ぎにきた人間は、きのうのコーヒーだとは気づかずに……。

自分という人間はつくづく性悪な人間だと思う。

こういう人間にだけはなりたくないと思っていたが、人間の根源的な宿命には逆らえなかったようだ。

極めて人間性の悪いポストをしてしまったことを反省し、せめて写真だけは、心洗われる風景をと思い、新宿御苑の庭園を添えておく
極めて人間性の悪いポストをしてしまったことを反省し、せめて写真だけは、心洗われる風景をと思い、新宿御苑の庭園を添えておく

新宿御苑の東屋には、幸福な後姿があった

桜の季節が過ぎたところを見計らって、新宿御苑にランチに行ってきた。

きょうは近くのモスバーガーで食料を買い込み、大木戸門近くの東屋で昼をとった。

吹き抜ける風はやや冷たいものの、寒すぎるということはなく、心地よいものだった。

この東屋は日本庭園の方を向いていて、美しい庭を愛でながら、食事をしたり、お茶をしたりすることができる。

三々五々、人が訪れては、思い思いに時間を過ごしている。

とても幸福に満ちた光景だ。

4、5列に並んだベンチのうち、やはり人気は庭に最も近い席で、常に満席状態にある。

私も初めはそこに座ってみた。

でも2回目以降は、ずっと後ろの最後列に座るようになった。

後ろからの人の目が気にならないというのが一番の理由であるけれど、人々が談笑したり、ぼうっと庭を眺める後ろ姿をぼうっと眺めるのが好きだからということもある。

そういえば、映画館も、音楽会も、飛行機も、好みは最後列だった。

やはり心が落ち着くのだ。

最後列は。

大木戸門近くの東屋から日本庭園を望む。ここでのランチが至福のひと時
大木戸門近くの東屋から日本庭園を望む。ここでのランチが至福のひと時