常に死という存在を意識させてくれる二人の芸術家、モーツァルトとクレー

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ドイツ語で死を意味する「Tod」

娘とスマホでアイドルの動画を見ていた時、ふと聞かれたことがあります。

「この待ち受け画面、ずっと変わってないね。やっぱり好きだから?」

「そうそう、常に死ということを意識していくためにも、この待ち受けしている」

その画像とは、スイスに生まれ、20世紀の前半ドイツで創作活動を展開したパウル・クレーの「死と炎」という作品です。

パウル・クレー「死と炎」の待ち受け画面。顔のパーツがTod(死)という文字で描かれている
パウル・クレー「死と炎」の待ち受け画面。顔のパーツがTod(死)という文字で描かれている

一見すると何かのキャラクターのような、少し滑稽味のある絵なのですが、その顔がドイツ語で死を意味する「Tod」の文字で描かれているのです。

死は不吉であり、恐怖の対象とされていますが、一方で死があるから生もあるという意味においては、一度は生というものを譲り受けた以上、それこそ死ぬまで、死というものを意識し続けなければならない、というのが私の考え方です。

必ず、一度はだれのもとにも訪れる死。

この宿命からは誰一人として逃れることはできないからです。

鎮魂曲を作りながら息を引き取る

「死ぬとはモーツァルトを聴くことができなくなることだ」との名言を残したのは、かのアルベルト・アインシュタイン(音楽学者のアルフレート・アインシュタインとの説もあり)だそうですが、音楽が、そしてとりわけモーツァルトの音楽が大好きな私にとってはよく分かる心情です。

そのモーツァルトは35歳の若さで亡くなっていますが、他人の依頼とはいえ、「レクイエム」の作曲の半ばで息をひきとったというのも、不思議の感に打たれます。

モーツァルトが劇作家、ダ・ポンテ宛の手紙に「レクイエム」の作曲中の心情を以下のようにつづっています(Wikipedia「レクイエム」より)。

最後のときが鳴っているように思えます。
僕は自分の才能を十二分に楽しむ前に終わりにたどり着いてしまいました。
しかし、人生は、なんと美しかったことでしょうか。
生涯は幸福の前兆のもとに始まりを告げたのでした。
ですが、人は自分の運命を変えることは出来ません。
人はだれも、自分で生涯を決定することは出来ないのです。
摂理の望むことが行われるのに甘んじなくてはいけないのです。
筆をおきます。
これは僕の死の歌です。
未完成のまま残しておくわけにはいきません。

この願いも空しく、この鎮魂曲は未完成に終わります。

引き継いだ弟子が一応の完成をさせますが、そのクオリティの差は一聴瞭然ともいうべきで、モーツァルト作と弟子作の曲にとてつもない断層ができあがってしまっています。

体調の悪さに悩まされながらも、自分にむち打ち作曲に打ち込んだモーツァルトの遺作を聴くたびに、手紙に遺した切実なる思いが胸に迫ってくるのです。

芸術の魂のリレー

先に触れた画家、パウル・クレーもモーツァルトをこよなく愛し、絵画の技法にもその作曲法から学んだともいわれています。

実際、クレーの作品に向き合うと、まるで音色によって描かれた絵であるような錯覚に陥ることがあります。

その意味において、私にとってクレーという画家は、最も音楽というものに肉迫する絵画表現を実現したと思えてなりません。

そのクレーの絵画に敬意をこめて、詩人・谷川俊太郎氏がクレーの作品に詩をつけて出版した「クレーの絵本」という著作があります。

谷川氏は絵本のあとがきで以下のように書いています。

若いころから私は彼の絵にうながされて詩を書いてきた。
ちょうどモーツァルトの音楽にうながされてそうしてきたように。
「詩」は言葉のうちにあるよりももっと明瞭に、ある種の音楽、ある種の絵のうちにひそんでいる。
そう私たちに感じさせるものはいったい何か、それは解くことの出来ない謎だ。

その領域こそ違え、モーツァルト、そしてクレー、さらに谷川俊太郎へとつながる芸術の魂のリレーを見る思いがするのは私だけでしょうか。

死んでもなお聴き続けたい

クレーの「死と炎」に谷川氏は次のような詩をつけています。

かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもないわたしはわたしのほねになる

続けて、死後には何一つも持っていけないことをうたったうえでこう締めくくっています。

せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに

アインシュタインは死んだらモーツァルトを聴けなくなってしまうと物理学者らしく死を定義していますが、詩人の谷川氏は死んでもなお聴き続けるんだという意志を示しています。

私はどちらに共感するかといえば、やはり谷川先生ですね。

死んでもなお聴き続けたいですし、モーツァルトの天上の音楽はあの世でこそ、鑑賞の価値があると信じているからです。

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