「IT」カテゴリーアーカイブ

インターネットがもたらす恩恵について改めて考えてみる

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テレワークという働き方

人工透析70回目。

きょうは透析中に、急ぎの仕事の依頼があり、対応した。

30分ほどで終わってしまう単純な作業だったが、やはり人手が多ければ多いほど早く終わるという性質の仕事だったため、クリニックからとはいえ、協力できてよかったと思っている。

それから、メールの対応数本、それに伴う全社的な告知までも職場からできてしまうというありがたさ。

こういう働き方をテレワークとか、リモートワークと呼ぶらしいが、いいことだと思う。

特に私のような透析患者の場合、否応なしに時間の拘束がある身分にとっては、透析室における4時間あまりの時間を有効に使わない手はないということで。

*

ウィンドウズ3.1に飛びつく

それもこれも、インターネットという標準的ネット環境が今や当たり前のものになったということが一番大きいし、職場もそこに追いつけと、それなりに投資して環境を整えてきてくれたという面もある。

思い返すに、私がインターネットというものに初めて接したのは、22年前の1995年のころだと記憶する。

当時、マイクロソフトのウィンドウズ3.1というOSの時代で、それ以前のいわゆるMS-DOSと呼ばれていた真っ黒な画面にひたすら文字を打ち込むという無味乾燥な世界から、アプリケーションをアイコンでクリックするだけで起動し、使えてしまうという、パソコン初心者でも取っ付きのいい製品ができたことで、私も飛びついたというわけ。

初めて買ったデスクトップパソコンは富士通DESKPOWER FMV466Cという機種だった。

仕様は、CPU:Intel486 Dx2 66MHz、MEM:8MB、HD:420MBというもので、値段は¥182,400。

大枚をはたいて買ったこのパソコンにそれこそ夢中になったものだ。

*

一晩に数千円の課金も

ただ、当初は今では考えられない、スタンドアロン状態。

インターネットの普及はまだ2年ほど後のことで、かろうじてつなげることができたのは、パソコン通信という、インターネットの前身のようなもの。

富士通が運営していたニフティがそれで、BBSなどに入っては趣味の音楽の話題を交わしたりした。

もちろん、電話回線で、モデムをガーピーガーピー言わせながらつなげる。

確か14400kbsという速度だったと思う。

それでもデータ自体が軽いから遅いとは感じない、牧歌的な時代だ。

ただ、電話代、接続料がそれぞれ従量制でかかるので、一晩で数千円もかかってしまったなどということもあった。

初めてインターネットにつないだのも、パソコン通信を通してという変則のもので、名前すら忘れてしまった横浜の通信会社のものを使ったはず。

最初に現れた、外国語表記のページがゆっくりと表示された時はさすがに、「おお今、自宅に居ながら世界とつながっている」と感動したものだった。

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ネットが生活の糧に

きみまろさんではないが、あれから20年、インターネットは恐ろしいほどのスピードで進化し、巨大化した。

そして私たちの生活にすっかり溶け込み、なくてはならないものになっている。

デバイスもパソコンからモバイルに代わり、今やスマホ全盛期と言っていい。

そう思うにつけ、ネットの黎明期から勃興期、発展期のそれぞれに立ち合い、それが仕事にもなり、従って、生活の糧にもなってきたということを思うにつけ、不思議と思うと同時に、ありがたいとも思えてくる。

そして、今、透析をしながらもネットにつながって、仕事ができている。

なんという恵まれた環境だろうか。

今書いているこのブログも、ネットの落とし子の一つということもいえる。

当たり前になったネットという世界だが、実は今、ものすごい現象が進行しつつあるんだということを改めて認識したりもする。

スマホ依存はいただけないが、私はこれからも敬意をもって生活に多大な恩恵をもたらしてくれているネットという世界に向き合っていこうと思う。

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1999年ごろの自宅のパソコン。デルのデスクトップ。確か30万円近くした
1999年ごろの自宅のパソコン。デルのデスクトップ。確か30万円近くした

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来週のシャント手術、1週間の入院が決まる

先日、腎臓内科を受診し、27日にシャント手術、1週間程度の入院というスケジュールがほぼ確定した。

いよいよ、という気がする。

クレアチニンが2台にはねあがり、腎不全を診断されたのが2008年、以来、じりじりとクレアチニンは上昇し続け、今年に入り、5→6となったところで、限界となった。

それでも、2008年に行った生検当時、「早ければ1年で人工透析」と示唆されていたことを考えると、8年前後引き延ばすことができ、御の字といえようか。

私の腎臓が悪くなった原因は、生検の結果によると、MDSの治療の過程において、腎臓内の微細血管に血栓がつまる形で起こる血栓性微小血管障害症(thrombotic microangiopathy: TMA)だったらしい。

生検を行った時点で、約7割の糸球体が死滅しており、残り3割で8年間、頑張ってきてくれたということになる。

その残り3割も、今や1割を切って0.8に。

そう思うにつけ、機能の1割を切って、なお日常生活(もちろん倦怠感やむくみなどの支障はあるものの)を送ることができる臓器がある、ということ自体が不思議というか、奇跡のような気もする。

もちろん、胃のように全摘しても、生きていくことができる臓器はあっても、心臓や肺などが機能1割を切っていきられるなど、考えられないだろう。

44歳で、余命半年を告げられ、さい帯血で生き延びることができ、55歳で腎臓の機能を失い、人工透析によって生き延びるという綱渡り的生き方を思うと、あまりにも大きな支えによって自分は生かされているのだということを痛感せざるをえない。

日々感謝であり、日々が貴重な一日であると思う。

物議をかもした長谷川豊氏の言説は、極端な物言いであるというさまざまな反響から取り下げられたが、ある一定の層の声を代弁しているということも事実に違いない。

その意味において、多額の医療費をまかなってもらいながら、生かされているのだということは、常に心のどこかにとどめつつ生きていかなければならないのだと感じる。

頑張ろうと思う。

入院中の唯一の友となるタブレット。自分自身にゆっくり向き合う時間にしたい
入院中の唯一の友となるタブレット。自分自身にゆっくり向き合う時間にしたい

どんなにテクノロジーが進化しても人の手を超えることはできない

日曜日は自宅から社内ネットワークに入って仕事をする、いわゆる在宅勤務の日。

通勤によるタイムロスがゼロ、職場の無駄なエネルギー(照明、エアコンにかかる料金)の節約にもつながるというメリットは大きい。

きょうの朝も、いつものように職場に接続するパソコンを立ち上げたが、つながらない。

職場のネットワーク接続に拒否されたというメッセージ画面。こうなっては、手も足も出ない
職場のネットワーク接続に拒否されたというメッセージ画面。こうなっては、手も足も出ない

どうやら、職場のパソコンが何らかの理由により、電源が落ちてしまったようだ。

職場のネットワークには、職場にある自分のパソコンを常時起動しておき、リモートデスクトップを利用して接続する方法をとっているので、パソコンの電源が落ちていては、手も足も出ない。

電話をしてみるが、日曜の朝7時、もちろん、だれも出勤している者はいない。

あきらめかけたところで、ふとアイデアが浮かんだ。

「そうだ、警備の方にお願いしてみよう」と。

警備室の外線に電話を入れて、お願いしてみると、快く引き受けてくれた。

5分待つ。

接続を試みると……つながった。

警備室に電話し、お礼をする。

「お名前を」と聞くと、「Fといいいます」とのこと。

「おかげさまで、仕事ができます」と、感謝。

話は変わるが、仕事を終えた午後、久しぶりに映画「2001年宇宙の旅」を見た。

人のためのテクノロジーの進化が暴走を招き、やがては人間を支配していくという現代の預言書のような映画だ。

1968年の公開だから、およそ50年前の映画にもかかわらず、そこに含まれる現代性や映像のクオリティの高さは、舌を巻くほかない。

何度見返しても驚嘆してしまう。

人の手を離れ、暴走したHAL9000(宇宙旅行の運行システムすべてを司るコンピューター)を、ボウマン船長は一つひとつ、手作業によってAIの回路を断ち切っていくのだが、詰まるところ、人間の手に勝る存在はないのだという一つの結論を示しているかのようだ。

私の場合も、結局のところ、警備のFさんの手に負わざるをえなかったように、その手がなければ、それこそ手も足も出なかった。

今後、ますますテクノロジー依存が深まる社会が進んでいくのだろうが、最後の砦の部分は、人間の手にゆだねられる余地を残しておくことが、大切なんだろうことを感じる機会となった。