TB:みんなどうしてるの?3

身につまされるようなお話[みんなどうしてるの?3]を読み、思うところありましたのでTBさせてください。光景が目に浮かぶようでした。

電車で、道端で、困っている(いそう)な人を見かけたら、どうするか――これってすごく難しい問題だと思う。自分もいつもものすごい葛藤を強いられるし。
基本的には、まるこびっちさんが紹介してくれたエピソードにあるように、①遠巻きにして面白がる②遠巻きにして心配する③見て見ぬふりをする、のいずれかであり、④積極的に声をかけていく、という人はごくまれ、ということになるのではないか。

ちょっと角度は変わってしまうかもしれないけど、以下のようなことを思い出した。

以前見たテレビで、困った人がいる場合、東京と大阪において周囲の人々の反応はどう違うか、という実験をした番組があった。
女性がコンタクトを落とした、という想定。繁華街の歩道で女性が腰をかがめて何かを探しているという状況だ。
東京では、ほとんどの人が、一瞥し、いぶかしがるものの、通り過ぎていってしまう。かなりの時間が経過し、ようやく「どうしました?」と声をかける人が出て、コンタクトを一緒に探すことになる。それでも2、3人だったかな。
一方の大阪。1分もたたないうちにおじさんが「どうしたんや?」と声をかける。女性が事情を説明すると、そのおじさん、おもむろに周囲に声をかけ、「この人がコンタクトをなくしたって言うんや、みんなで探したってんか」と協力を求める。周囲にいた人のかなりの人数が足を止め、一斉にしゃがみだし、コンタクト探しに集中する。記憶では10人をくだらなかったのではないか。

結局のところ、その番組は、関西人の方が関東より人情に厚い、ということを示したいために仕込んだ実験だったと思う。まあ、関西人が人情に厚く、関東人が薄いかどうかは別として、この実験から読み取れることはむしろ、リーダーシップをとった「おじさん」の存在だったと思う。もし、東京にも、同様のリーダーシップをとれるだれかがいれば、あっという間に大阪と同様な“人の輪”ができていたはず。つまりは、多くの人が、何か困っている人があれば助けたいと思う。しかし、その助けるきっかけがつかめないために、遠巻きにして面白がるか、いたたまれないような気持ちで見守るしかできないのだと思う。

なぜ、遠くから見守るのが大勢を占めるのか。僕が思うに、基本的には、“困っていると思われる人”が本当に困っているかどうか、を判断するのに迷うからだと思う。本当に困っているなら、「助けてください」とか、「協力してください」とか言うはず。しかし、そういう働きかけがないのに、ただ状況的に困っているんだろうなというこちらの判断で果たして出て行っていいものなのか――これって他人に対する思いやりを持つ人であればあるほど、考え迷ってしまうことなのではないかと思う。

ほんとに難しい。困っている人を目の前にした時は……。
ということで、オチも何もないTBでごめんなさい。

追記:ちなみに、自分が困った状態に陥り、周囲の人に助けを求めたい場合、「誰か助けて!」と叫んでもだれも助けてくれないという実験結果があるそうです。具体的に「そこの方、助けてください」などと指名をするのがポイントだとか。でも、切羽詰まった時に、果たして指名する余裕が果たしてあるのかどうか……。

日時: 2004年07月05日 09:11 | パーマリンク

僕もやってみました!マスクマン占い

[panacheさんのBlog「やってみました!マスクマン占い♪}]

マスクマン占い

僕もやってみました!
僕は馬カラスだそうです。
馬カラスという動物のイメージは難しいですが、占い自体は、そうかも…と結構納得。

いつか本当の母を捜して、カルカッタに行かねばなりません。

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fugueさんは 馬カラス です!

● 馬カラスさんのあなたは、大人の落ち着きと子供の無邪気さの両面を持ち合わせている人です。急なアクシデントにも余裕で対応したかと思うと、新しいゲームに大はしゃぎするかわいさも。そのギャップがたまらない魅力となり、周りの人をとりこにします。それが時には行き過ぎて、人を振り回してしまうこともありますが、憎めないと思われるのは、あなたの人徳でしょう。TPOに合わせてのふるまいを器用にこなし、どんどん社会に進出していくので、うらやましがられる反面、やっかみを持つ人もいます。けれど、それさえも自分を育てる栄養にしてしまうのが、あなたの強さです。『どれが本当のあなたなの?』と興味を持たれることも多いはず。ミステリアスな雰囲気を武器に、世間を楽しく泳いでください。
ミステリアスな仮面の下は、一見コワモテですが心はとてもまともな人格者。
交通事故にはくれぐれも気をつけてくださいね。

● fugueさんの本当のお母さんは、現在、インドの都市カルカッタをさまよい歩きながら、あなたの名前を叫んでいます。

日時: 2004年07月03日 09:01 | パーマリンク

キース・ジャレットの<ケルン・コンサート>

この曲を初めて聴いたのがかれこれ20年前。
衝撃的だった。
そしてその衝撃は今に続いている。
この音楽が人間が作ったものだろうか。
しかも即興で。

この曲との出会いのきっかけを作ってくれたのは大学時代のサークルのIさんという先輩だ。

Iさんは“悪魔”というアダナをつけられていた。
いつもサングラスをしていて、黒い服を着て、私生活は全くの謎。
まさに悪魔を地でいくような人だった。

学生時代のある日のこと。サークルのラウンジに寄ってみるとIさんがいた。
何か難しそうな本を読んでいた。
挨拶をしてベンチに向き合って座ったがIさんはこちらに一瞥もくれない。
しばらく沈黙の時が続いた。
さらに沈黙の時が続いた。
さすがにいたたまれなくなり、何か話題を作らないと考えた。

Iさんはジャズに詳しいということを聞いていたので、
「Iさん、ジャズでお勧めの曲を教えてください」
と話かけてみた。
すると、Iさん、初めて僕の存在に気づいたかのように、
「ああん、キース・ジャレットは聴いてるか?」
知らなかった僕は、いいえと答えた。
Iさんは「ケルン・コンサートを聴くといいよ」
とそれだけ言うと、また本に目をやって、僕の存在は消えたようだった。

『ほんとに悪魔か、この人……』
真剣にそう思ったものだった。

時を経ずして、<ケルン・コンサート>を入手し、聴いてみた。

驚いた。
この世のものとは思えない音楽。
衝撃的だった。

それから20年、僕はこの曲を聴き続けている。
果たして何千回聴いただろう。
いや、何万回か。

そんな僕にとっての奇跡とも思える音楽を教えてくれたI先輩に今深く深く感謝している。

その後に聴いた(とはいえ数年前)、<パリ・コンサート>も、自分にとっての音楽の殿堂入りを果たしている。
あと残るは<ソロ・コンサート>。
いつかは聴いてみたい。
今すぐにじゃなくて。

日時: 2004年07月03日 08:57 | パーマリンク

骨髄異形成証拠群発症~臍帯血移植~人工透析生活へ