1.兆候 アーカイブ

自転車通勤が原因か――血液検査E判定

2005年6月20日(月)晴れ

久々の自転車出勤。天気がいいので、とても気持ちよかった。

職場で5月下旬に受けた健康診断の結果が返される。

血液関連に軒並み判定ランクD、Eの文字が並んでいる。

白血球:1,700→E判定(標準:3,300~9,000)
赤血球:290→E判定(標準:430~570)
ヘモグロビン:11.1→E判定(標準:13.5~17.5)
血小板:62,000→D判定(標準:140,000~340,000)

白血球、赤血球、血小板ともに、標準値の最低ラインのほぼ半分という数値。

血液の3大要素が減っているということは、つまりは貧血ということである。しかもかなり極端な。血液一般以外の肝機能、脂質、腎機能などはオールAであるにもかからず。

過去の結果を振り返るに、確かに赤血球、白血球、血小板の数値は右肩下がりの傾向にはあった。ここ数年ではC判定、D判定が大勢を占めるようになっていた。そして、今回はとうとうE。

ちなみに、判定ランクの意味するところは以下のようなものだ。
A:異常なし
B:現在心配なし
C:経過観察
D:要再検査
E:要精密検査
F:至急要精密検査

しかし思い当たる節は全くなかった。自覚症状も全くといっていいほどになかった。現に、この日も家から職場までの25キロを走ってきている。これまでも貧血でふらついたような経験は一度もなかった。

「やっぱり自転車が原因だろうか。走りすぎで貧血になることもあるのか……」

私の感想は実にこんな簡単なものだった。

結果のペーパーは家に持って帰ることもなく、社の机にしまいこんでしまった。

ちなみに、2004年の秋から続けてきた自転車通勤はこの日が奇しくも最後となってしまった。

約半年間の総走行距離は、2972.4キロだった。

<往路>

走行距離:27.14キロ
走行時間:1時間19分26秒
平均速度:20.4キロ
最高速度:31.3キロ
走行積算:2944.4キロ(2004年10月2日~)

<復路>

走行距離:27.93キロ
走行時間:1時間26分26秒
平均速度:18.4キロ
最高速度:32.3キロ
走行積算:2972.4キロ(2004年10月2日~)

体がだるい

2005年6月22日(水)雨のち晴れ

貧血という健診の結果を見たからというわけではないが、体調不良のため、会社を休む。たっぷり眠っても体のだるさが抜けない。

妻に健康診断の結果を話してみる。

私「健診の結果出たんだけど、中性脂肪がAになってたよ。自転車の鍛錬のおかげかな」

妻「あ、そうよかったじゃない。あとは?」

私「うん、それが赤血球とか白血球の値がEになっちゃってね」

妻「E? それって今まであった?」

私「いや、ない」

妻「結果の用紙見せてよ」

私「いや、会社に置いてきた」

妻「だめじゃない、ちゃんと持って帰って見せなきゃ。明日は必ず持って帰ってよ!」

私「了解です」

産業保健師に相談――自転車通勤を断念

2005年6月22日(水)雨のち晴れ

電車にて出勤。

産業保健師がちょうどきょう会社に来ているということで、アポをとって、相談に行ってみた。

保健師さんの話では、貧血の場合、まず疑ってみるべきは、臓器のどこからか血が漏れていないか、だという。

今回の健康診断では、潜血検査ができなかったので、まずそこから調べてみることを勧められる。

そうした周辺の原因を一つ一つ、つぶしていってから、造血の原因を当たった方がいいとのアドバイスだった。

なるほど、さすがである。

ということで、かかりつけの医者がなければ、推薦する医者のリストをつくるので、そこに行って検査してみてください、とのこと。

念のため、自転車のことも聞いてみたが、通勤は控えた方がいいだろうことを言われた。

仕方ない。残念だが、自転車通勤はしばらくお預けにしよう。暑くなってきた時期だけに、電車に切り替えるちょうどいいタイミングといえるかも、などと思ってみる。

横浜へ友人の見舞いに

2005年6月26日(日)晴れ

日曜だが、夜勤の当番。

午前中から家を出て横浜へ。

M氏と一緒に、事故で怪我をされたF氏のお見舞いに。

お見舞いとはいえ、F氏はわざわざ外に出てきてくれた。東神奈川で合流。横浜に移動して、喫茶店でゆっくりと話をする。

F氏は左手の肩と右手のひじを大きく損傷されたとのこと。頭、脚はほとんど無傷だったよう。頭が無事だったことは、本当に何より。ただ、肋骨が肺に刺さってしまったとのこと。痛そうだ。

いつも思うことだが、二人の話題は知識が豊富で驚かされる。自分の全く知らない固有名詞が、さも日常の話題のように連なり、絡まりあって展開していく様は圧巻としかいいようがない。自分がいかに何も知らないかということを、つくづく実感させられる。

F氏と別れ、M氏と食事をすることに。せっかくの横浜だからと、M氏の勧めにより、「崎陽軒」に入る。日曜のせいか、かなり混んでいた。
シュウマイ定食を注文。仕事を控えている私に気兼ねしてビールを頼もうとしないM氏に、私は「ビール大丈夫ですよ」と言い、ビールも追加注文。19時くらいまで種々、楽しくお話をさせてもらった。

夜勤のため、職場へ。作業をしようと思ったところ、なんとサーバーがダウンしている。これでは何にも作業ができない。システムのスタッフにメールを送ってみるが返信はない。上司への携帯にメールを送るがこちらもナシのツブテ。

ということできょうの仕事はあきらめる。

午前1時過ぎ、ホテルへ。

体がだるい

2005年6月29日(水)雨

出勤。
朝から雨。

きのう遅くなったこともあり、どうも寝起きが悪い。
起きてからも体がだるい……。

1日、極めて眠気がさして仕方がなかった。
疲れによるものか、それとも他の原因に基づくものなのか。

生命保険会社の事務所にて

2005年7月6日(水)晴れ

振休。

午前中は、生命保険会社の営業所へ行き、現在の契約内容について説明を受けてきた。

途中、激しくクレームをつけてきたおじさんの出現には閉口だったが、私たちの対応に当たった27歳の事務職員の女性は総じて悪くない応対だったと思う。
彼女は胸を患っていて、「私はもう新しい保険には入れないのです」と淡々と話していた。

しかし、思うに体を患っている人こそ、保険による援助が必要なのではないのだろうか。保険会社は、営利を目的とした民間であるがゆえに、保険金を支払うリスクの高い人の加入は避けたいというのは経済原理からいって当然のことだろう。しかし、どうも腑に落ちない。

家に戻ってから、高校時代の友人が営む歯医者さんへ。

Sちゃんと「パァッ」と

2005年7月7日(木)晴れ

出勤。

お昼、Sちゃんに会ったので、「パァッ」と行くことにした。いいタイミングだ。

きのうに引き続き、ネットで医療保険の申し込みにかかる。ところが引き落とし口座の銀行に残額が足りず弾かれてしまった。それで、さっそくメインバンクからネットで振り込み入金するものの、3時を過ぎていたので、決済が翌日になってしまった。

午後6時前にSちゃんと飲みに出発。いつもの居酒屋へ。ビールを3杯飲んだところで、Sちゃんがほとんど眠りそうな状態に。それで引き上げることにした。今回はお互いに疲れていたこともあって、じっくりと話し込むというシチュエーションに至らないまま終了。そういうこともある。

午後9時過ぎには家の最寄駅に着き、車の中で少し休む。2時間も眠ってしまって、家に着いたのは午後11時30分だった。でも休めてよかったと思う。

精密検査のための病院を決める

2005年7月8日(金)晴れ

出勤。

眠い。それにしても眠い。
この前、明け方まで起きていた、ということばかりが原因なのか。
やたらと眠くて仕方ない。

どうしてこんなに眠いのだろう。血液の異常の影響があるのだろうか。きょうのAさんとの飲みは少々心配である。もしかしたら、先延ばしにしてもらうことになるかもしれない。午後の体調と相談することにしようか。

精密検査のための病院は、妻と相談の結果、新宿区にあるK医療センターとすることに決めた。
紹介状がなくても、初診で総合内科を訪ねれば大丈夫とのこと。

いよいよである。

こういった形で、病気の疑いをもって病院に行くのは生まれて初めであるだけに、多少の不安はあるが、なんとか乗り切っていきたいと思う。

自分にとって初めての本格的な自己の宿命との対決になるかもしれない。
自分の人生としっかりと向き合うチャンスととらえたい。

しかし、きょうはそれにしても眠い。

その意味ではきょうが初めての自覚症状といえるかもしれない。
さきほど、エレベーターの前で、立ちくらみが来た。例の健診の診断が出てから初めてのことだ。

久々の粗相

2005年7月9日(土)雨

休み。

17時からアメリカの大学を卒業したH君を迎えての卒業&娘の誕生パーティーを開催した。近所の居酒屋で。

最初にビールをジョッキで2杯、その後、ワインを1本を皆で開けたが、これは明らかに飲み過ぎだった。
店を出るまではよかったのだが、家に帰ってから、急に気分が悪くなり、最後はもどした。

久々である。
でもそのおかげですぐに気分がよくなったが。

H君に対しても、せっかくのお祝いの席なのに、誠に申し訳なかった。

ここのところ、毎日飲んでいたせいもあるだろう。

病気なのかもしれないというのに、これではいけない。

反省、反省。

二日酔い

2005年7月10日(日)晴れ

休み。

きのうの飲みすぎで完全な二日酔い。起きることができなかった。

でも量的には、過去のそれに比べて、そんなに馬鹿飲みしたというわけではない。妻には卑しい酒を飲むからだと散々、言われたが……。

やはり体調が悪いのだろうと思う。血液の不良がそのまま影響しているかどうかは分からないが、少なくとも体調不良の要因になっていることは間違いなかろう。気をつけていくにこしたことはない。

あすはいよいよ病院デビューである。

初めての受診

2005年7月11日(月)晴れ

午前中、半休して病院へ。
朝、すっきりと起きられず。

新宿駅から歩く。迷いながらも、何とかK医療センター到着。この日は、真夏日。かなり汗をかいてしまった。

建物自体は新しくないが、“白亜の殿堂”といった表現がふさわしい大病院である。ベッド数は1000床近くあるという。
私が目指す血液内科もかなりしっかりしているとの情報も得ている。

よし、と気合を入れて、病院内へ。

正面玄関を入り、案内の方に初診であることを告げる。用紙への記入の仕方を教えてくれた。

記入して、受付に出す。紹介状などは特にないことを話す。3150円がかかる旨を告げられる。予定通りである。

お金とは明らかに違うコインが示され、これで写真を撮ってくださいと。言われるがままに写真機で顔写真を撮影。汗だくの顔が情けない。
1分とかからず写真は出てきていた。4枚つづり。席でしばらく待つと呼ばれた。写真を渡すと、診察カードに一枚貼られて、カルテが渡され、すぐ脇、右手の南カウンターに行くように指示される。南カウンターには2、3人が並んでいた。ここでまず、どこへ行くかが振り分けられるようだ。総合診療科へ行くように指示される。

すぐ近くに総合診療科はあった。看護師さんにカルテを渡し、しばし待つ。呼ばれる。

すると「血液内科へ行ってください」とのこと。カルテは、天井を走り回っているカルテ搬送ボックスが自動的に運んでくれるようだ。すごいシステムだ。見ていてあきない。

血液内科も遠くはなかった。初診受付のすぐ左脇。ここの看護師さんに紹介票のようなものを渡す。しばし待つ。時計がないので、時間の感覚がわからない。

ここは看護師さんが呼ぶのではなく、直接、医師がマイクで名前を呼ぶシステムになっているらしい。次々と名前を呼ぶアナウンスが続く。

「Fさん、13番へどうぞ」。呼ばれた。しかし、一瞬、入り口が分からず戸惑う。なんとか見つけて入室。

医師はH先生という方だった。いろいろ問診を受ける。

質問の中で特徴的だったのは、これまで揮発性の溶剤をかぐようなことがあったか、栄養剤などをとっているか、などだった。

胸、背中を診てもらう。横になって、触診。足のすそをめくった時、赤くただれた皮膚を見て、「脚、どうなされました」と即座に聞かれたので、「尋常性乾癬(ジンジョウセイカンセン)です」と答える。一時期ステロイド剤をつけたが、今は何もつけていない、飲み薬も飲んでいないことも。

予約を来週19日に入れていただく。

指示通り、採血へ。順番を待って採血4本。
中学生の時、採血で気を失って倒れたことがあった。確か刺し直したことに驚いて失神してしまったのだ。血液の病気になったからには、採血は日常となるので、いちいち倒れてもいられない。

会計へ。会計は書類の入ったクリアケースを会計中央部にある棚に上から置いていくのが決まりのようだ。 いずれにせよ、さまざまなその病院ならではの独特のシステムが構築されている。慣れるしかない。

しばし待ち、5人ずつぐらい呼ばれる。
9960円。うち3150円が紹介状の分だが、検査費に6000円以上かかった。意外とかかるものだ。

その後も、採血の結果が1時間くらいで出るという話もあったので、しばし待つが、呼ばれる気配もなさそうなので、来週聞くことにして病院を出る。

<この日の採血結果>
白血球:1,960(標準:3,300~9,000)前回比+260
ヘモグロビン:10.2(標準:13.5~17.5)前回比-0.9
血小板:50,000(標準:140,000~340,000)前回比-12,000

妻に電話。簡単に内容を伝えた。

ところが歩き出して、地下鉄の駅が見当たらない。また迷ってしまったようだ。てっきりこの方向と思い込んでいたのだが、ない。
おかしい。危険と思いながらそのまままっすぐ行くと、あきらかに違っている。まずい、どのように軌道修正をとるか……。こうなったら行けるところまで行くしかないとハラを決めたところに、同じ地下鉄路線の別の駅を見つける。よかったぁ。一つ先まで歩いてきてしまったようだ。

職場に着いたのは14時半を過ぎていた。

病院初体験、さすがに緊張と、道の迷いで歩いたせいかぐったりときて、仕事にならなかった。

昔も今も、言いなりです

2005年7月16日(土)晴れ

休み。

ぐったりである。やはり例の影響なのか。わからないが、いつものだるさではある。仕方ない。しのいでいくしかない。

娘(中1)が幼稚園時代から小学校低学年のころの創作物を引っ張り出しては盛り上がっていた。
その中でも出色だったのが、娘が恐らく小学校1年生の時書いた私宛の誕生日の手紙で、「悪いけど、これからも言いなりになってください」というくだり。

大いに受けた。

ぐったり

2005年7月17日(日)晴れ

休み。

ぐったりである。暑さの影響もあるだろう、体調の悪さは。

さて、あさっての検査結果はどうなるのだろうか。

だるい

2005年7月18日(月)晴れ

休み。

3連休の最後。やっぱり体のだるさは変わらず。仕方ない。今はこれに身を任せるしかないのだろう。

夜、買い物のため、久々に自転車に乗る。思い切り走ってみたいものだが、今は無理だ。急激な運動はしばらくは控えなければ。残念だが。

巨赤芽球性貧血か

2005年7月19日(火)晴れ

朝から病院へ。妻と。
検査の結果が出るので、妻もつきそうとのことで一緒に行った。最寄り駅からタクシーに。スポンサーが付くとさすがに待遇が違う。

予約機に診察券を入れ、予約票を受け取り、順番を待つ。9番へとのコール。初診の時の流れとやや違うので、ちょっと戸惑う。
やや奥の診察室。H先生より7月11日の採血の結果を説明していただく。

<7月11日の結果>
白血球:1,960(標準:3,300~9,000)
ヘモグロビン:10.2(標準:13.5~17.5)
血小板:50,000(標準:140,000~340,000)

一つの可能性としては、一つひとつの赤血球が大きいことから来る巨赤芽球性貧血ではないか、ということ。これは一般にいわれる鉄分の欠乏からくるものではないらしい。ビタミンB12が不足しているので、その可能性が高いと。実際に、赤血球の大きさを示すMVHという値がHighを示していた。

結論として、もう少し原因を調べてみようということで、骨髄検査(マルク)と内視鏡検査をすることになった。8月1日に。

もう一度、血の検査をしておきましょうということで、採血をして、会計を済ませ、病院を出る。

<7月19日の結果>
白血球:1,850(標準:3,300~9,000)前回比 -110
ヘモグロビン:9.6(標準:13.5~17.5)前回比 -0.6
血小板:43,000(標準:140,000~340,000)前回比 -7,000

病院近くの喫茶店に入る。病院の界隈は学生時代、よく歩いた街。この喫茶店にも頻繁に出入りしたものだ。この店の売り物は、350円でロールパン、サラダ、プリン、コーヒーのモーニングセット。25年前は280円だった気がするが、350円でも十分安い。コーヒーを飲みながら、妻と今後の方針などについて話し合う。

喫茶店を出て、一度病院に戻り、予約の確認をしてから、地下鉄の駅へ。今度こそ間違わなかったが、実はすぐ近くだった。

夏休みの旅行計画を立てる

2005年7月27日(水)晴れ

午前中、夏休みの旅行の宿泊先をネットで検索。最終的に北茨城の二ツ島というところのホテルに決まった。高速道路で一本で行けるということを最優先した。

午後、H歯科へ。午後2時半に出て、4時15分ごろに到着。埼玉なので、2時間近くかかってしまう、どうしても。
いよいよ、本歯の挿入。何年ぶりだろう。ホンモノの歯が入るのは。やはり気分がいいものだ。下の2本も型をとってもらう。次回、入れてもらって終了だ。
H(高校時代の同級生)には本当にどれだけ感謝してもしたりないくらいだ。ありがたい。
次回は、終わりごろに行き、クラス会の打ち合わせ含め、食事をしながら話すことにした。

家に戻って、家族で近くの居酒屋へ。近いということもあるし、こういう外食の仕方もたまにはいいかもと思う。

マルクの痛さ対策を立てる

2005年8月1日(月)晴れ

あすから8日間の夏休みに入る。

あすは緊張の骨髄検査(マルク)である。マルクの心構えについて考えてみた。

まずは痛さ対策である。さまざまなブログを探ったところ、だれもがマルクの痛さを強調している。

正直、自分は痛さに弱い。かつて簡単な怪我で何度も気を失った経験がある。そんな自分が、骨に穴をぐりぐり開けられるような仕打ちに耐えられるのだろうか。

そこで思い出したのが先日、DVDで見たメル・ギブソン監督の映画『パッション』。
映画の8割がリンチシーン。正視に耐えられない残酷なリンチが果てしなくキリストに加えられる。これがキリストにとっての必然の“受難”であったという。

次元は違うが、自分も病気という試練に直面して、乗り越えるべき必然の“受難”なのであろう。大げさだろうか。
とにかく、そんなことで気を紛らわすしかなかった。

初めてのマルク、内視鏡検査

2005年8月1日(月)晴れ

朝から病院へ。今回も妻に付き合ってもらう。タクシーで8時過ぎに病院到着。患者は既にかなり来ているがスタッフはまだ配置に付いていない状態。まずは採血室の奥、外来治療室へ。いよいよ骨髄の採取だ。

骨髄検査のことを通称「マルク」というらしい。しかし、なかなか始まらない。スタッフへの連携ミスなのか、看護師が確認したところ、聞いていなかったかのような様子がうかがわれる。さすがに若干の不安が襲う。

1時間近く待って、ようやく2人のスタッフが登場。一人はめがねをかけた、いかにも新米っぽい感じ。もう一人は何というか先輩で偉ぶった感じ。

まず腰の表面を消毒し、丸い穴の開いた紙が何枚も重ねられる。まるで手術のようだ。
穴を開ける場所が決まると、麻酔の注射を打たれる。

新米「痛くないですか?」
私「痛いです」
新米「では麻酔を足します」

麻酔を足したと思いきや、今度は何も聞かず、鈍い痛みとともにぐりぐりと針が刺さってきた。

これが採取の針らしい。

今まさに、自分の骨に釘(ではないが)が打ち込まれている――『パッション』の一シーンが頭に浮かぶ。
痛さを楽しむなどというゆとりは当たり前ながら、これっぽっちもなかった。

先輩「はい、これで終了です」

止血のため、30分ほど仰向けになって休む。

次に2階で内視鏡の検査へ。

まず喉に霧吹きのようなもので麻酔がかけられる。当然ながら苦くてまずい。ティッシュに吐き出す。

すぐさま検査室に呼ばれる。

担当は若い男の人だった。大学の後輩のH君によく似ている。

反射が強いと、おえっと来るので、もし心配なら反射を弱める注射を打ちますとのことだったので、迷わずお願いする。

マウスピースを口に入れ、カメラのケーブルが差し込まれる。来た、「うおーっ」と。それでも一度差し込まれたら、戻しそうな感じは続くものの次第に落ち着いてきた。

10分ほどで終了。

打った注射の関係でふらつくので、奥の安楽椅子で休む。約1時間。完璧に眠ってしまっていた。

目が覚めて待っていた妻と合流し、1Fに戻る。

しばし待ち、H先生の診察を受ける。

胃はきれいであるとのこと。胃からの出血ではないことがはっきりした。 ということは、原因は血液自体にある、という可能性が高まったことを意味する。

骨髄検査の結果は15日に出ることになった。

<8月1日の採血結果>
白血球:2,190(標準:3,300~9,000)前回比 +250
ヘモグロビン:9.2(標準:13.5~17.5)前回比 -1.0
血小板:46,000(標準:140,000~340,000)前回比 -4,000

夏休み3日目―実家へ

2005年8月3日(水)晴れ

お昼過ぎ、実家へ向けて車で出発。15時ごろに着くと連絡を入れておいたが、道(常磐道)が空いていて、14時に着いてしまった。

実家はいい。やはり落ち着く。

そして両親ともに元気なことは何よりうれしい。

病院で精密検査を受けたことは、両親には話さないでおく。やはり心配させたくないからだ。

夕方、車の掃除をする。自宅がマンションなので、ふだんは自力で洗車ができない。最近は実家に帰る半年に一度しか洗車をしてないことになる。

夏休み4日目―ニツ島のホテル泊

2005年8月4日(木)晴れ

ニツ島観光ホテル泊(両親とともに)。

14時ごろ実家を出発。約2時間で北茨城インター着。そこから10分程度でホテルに着いてしまった。近い。

ホテルの部屋はかなり古い。というより、申し訳ないがボロボロと言うに近い。しかしお風呂はきれいだ。食堂も美しい。この辺りに先に設備投資をかけたようだ。
実際、お風呂はグッドであった。ちょうど誰も入っておらず、一人用の露天もゆっくりと入ることができた。

18時、食事。これは圧巻であった。刺身、タコしゃぶ、岩カキ、どれをとっても一級品であった。部屋の古さはこれでちゃらというところか。

おやじさん、おふくろさんたちも喜んでいた。よかった。

夏休み5日目―スパリゾート・ハワイアンズへ

2005年8月5日(金)晴れ

9時にチェックアウト。スパリゾート・ハワイアンズへ。30分ちょっとで到着。
かつて常磐ハワイアンセンターと言われたところ。初めてである。ここに来たのは。

感想からいえば、たいして面白いとは思わなかった。横浜の中華テーマパーク“横浜大世界”と同程度といったところか。
最初から期待はしていなかったが。
昭和41年オープンというから、40年も続いていること自体は脅威。経営者と従業員の大変な努力があったことは想像に難くない。ただ、自分としては、それだけの年月、客を引き付け続けてきた魅力は、さほど感じなかった。

帰りは最後までおやじさんに運転してもらってしまった。申し訳なかった。

帰りがけ、実家近くの大むら(そば屋)へ。いつもの親子丼は絶品であった。ほんとにうまいわ、ここの親子丼は。

夏休み6日目―つくばLALAガーデンへ

2005年8月6日(土)晴れ

姉夫妻に連れていってもらい、つくばLALAガーデンへ。去年もここに来た。ちょうど1年ぶり。ここはいい。気に入っている。特にくまざわ書店はいい。売り場面積がとにかく広い。
自分は何も買わなかったが、娘は『20世紀少年』を2冊と『ウインクアップ』を購入。

妻はイーストボーイで、バッグをおふくろさん用に買っていた。娘が小遣いをもらったお返しという意味はあるが、妻はこういうところ、偉いなと思う。いつもきちんとしている。

夏休み7日目―知り合いのお葬式

2005年8月7日(日)晴れ

14時からガンで亡くなったKさんの告別式。自分は13時から、車の誘導役員につかさせてもらった。役員は自分のほか、Sさん、Hさん、Iさん。

炎天下だったのできつかったが、帽子をかぶっていったのは正解だった。きのうのお通夜には180人も来られたらしいが、きょうは暑いせいもあり、参列者はさほど多くなかった。50人くらいだったろうか。

Kさんのご冥福を心からお祈りしたい。

衆院解散の日に思ったこと

2005年8月8日(月)晴れ

1週間ぶりの出勤。

休み明けということもあるかもしれないが、どうも頭がすっきりしないのは確か。これは血のせいなのだろうか。頭がきちんと働いていない気がする。
しかもきょうは目の焦点が合いにくい。

この休みに感じたこと――親父さんのような生き方こそ、理想なのだということ。これまでも何度も何度も感じてきたこと。今回は特に。かつて親父さんが患って手術した年齢に自分も近づいたから余計そう思うのかもしれない。
面白い、やっぱり人生って。あと30年、親父さんの年齢くらいまで生きられるのだろうか。

骨髄異形成症候群を告げられる

2005年8月15日(月)晴れ

マルク(骨髄検査)の結果が出る日。

前回の内視鏡検査で、胃がきれいだったことから、私の貧血の原因がほぼ造血機能にあるということが絞りこまれてきただけに、この骨髄検査の結果が大きな鍵を握るというわけだ。

8:30
病院到着。いつものように妻が付き添う。

採血して診察室に呼ばれるのを待つ。さすがにいつもより緊張気味。

9:00ごろ
診察室に呼ばれる。

いつもであれば医師は「おはようございます」と微笑むのだが、きょうはいきなりその笑みがない。顔は曇り、うつむき加減の表情には、これから何か重大なことを語ろうとしていることを予想するに十分だった。

医師「骨髄の結果が出ました。骨髄に芽球といわれる未熟な細胞が多数見受けられます。このまま放置すれば必ず白血病に転化します」
私「白血病ということですか」
医師「白血病の一歩手前で、前がん状態ということです。病名は、骨髄異形成症候群といいます」
私「コツズイイケイセイショウコウグン……」

初耳の病名であった。
白血病ならほぼ誰でも知っている。しかし、骨髄異形成症候群といわれてピンと来るのは、恐らく血液疾患に詳しい人たちだけだろう。

私の場合、骨髄内の芽球の占める割合は16.6%。20%を超えると急性白血病の範疇に入るので、速やかな入院を、と医師に告げられた。

医師の声は極めて小さく、静かで沈んだものだった。おかげで私の後ろにいた妻は最後まで腰を浮かせ、私とほぼ顔を並べて、医師の話を聞いていた。

医師「治療については、白血病への転化が怖いので、入院しなるべく早く抗がん剤の投与をしていきます。ただ、この病気の場合、抗がん剤の投与だけで治すことはできません。骨髄移植をしない限り、完治は望めないでしょう」

白血病、前がん状態、抗がん剤、骨髄移植……どれもこれも、これまで自分とは全くかけ離れた世界のことと思っていただけに、聞いている当事者ではあるのだが、私はどこか他人事のようにメモを取っていた。

妻は明らかに動揺していた。抑えようと努力していたが、医師に質問する声が震え、要領の得ないものとなっていた。

私は痛みには極めて弱い人間だが、こうした場面ではかえって冷静になれる性質をもっている。ましてや自分自身のことであるから、動揺しても意味がない、というバランス感覚も働くようだ。

私「わかりました。大変お世話になりますがよろしくお願いします」

まだ医師に何かを聞きたそうだった妻を引き連れて、診察室を後にした。

14:00
喫茶店で、妻と今後の方針などについて検討した後、職場へ行き、診断等のことを説明する。入院は1週間以内と急ではあるが、夏休み期間ということもあり、仕事的には幸い、簡単な引継ぎで済み、入院までの間、自宅待機が許された。

職場の近くで待たせていた妻と合流し、帰りがけ、紀伊国屋書店で、白血病関連の書籍を購入して帰宅の途に着いた。

<8月15日の採血結果>
白血球:2,220(標準:3,300~9,000)前回比 +30
ヘモグロビン:9.4(標準:13.5~17.5)前回比 +0.2
血小板:45,000(標準:140,000~340,000)前回比 -1,000

歯の治療が終了

2005年8月17日(水)晴れ

闘病生活3日目。

夕方からH歯科へ。

歯科といっても近所ではなく、車で1時間以上かかる場所にある。なぜそのような遠いところにかかっているかというと、高校時代の同級生が開業している歯科であるためだ。

自費診療の差し歯は高い。ランクにもよるが1本10万から12万円はする。
以前、職場が近かったため通っていた歯医者は、差し歯7本で見積もりを計89万円と出してきた。ウチは歯に100万円近く払えるほど裕福ではない。

奥歯は保険適応のパラジウム合金で十分と1本3000円を4本で計12,000円で抑えた。

問題は前歯である。保険の歯でもいいかなと思ったが、せめて前歯だけでも、長持ちするいい歯を入れたい。

それで、同級生のHに相談してみたというわけだ。

H「わかった、“ともだち価格”でやってやるよ」
私「いやー、すまんなー」

この言葉を完璧に期待していたわけだ。でもやはり持つべきものは友である。

以上のような経過で、友人の歯科に通うようになってきょうで3回目であり、治療最後の日である。これで都合、7年にわたって続けられてきた歯の治療が完全に終了する。感慨深いものがある。

治療が終わった後、クラス会の打ち合わせでもしよう、と食事をすることにもなっている。

滞りなく治療が終わり、友人のHと駅前の居酒屋へ。
居酒屋とはいえ、自分は車なので飲めないが。申し訳ないがHだけで飲んでもらった。

病気のことを話すとHは深刻な表情になり、沈んでしまった。

決して、自分は悲観していない、必ず克服して元気になると信じていると、決意を語ったら、彼の表情は明るさを取り戻した。

友人として、心配してくれていることを痛いほど感じる。ありがたい。

別れ際、「あえて握手はしないよ」とH。

うん、必ず戻ってくるし、再会する、間違いなく。