11.社会復帰への道 アーカイブ

友人Oと再会

2007年4月10日(火)晴れ

闘病生活605日目。
臍帯血移植1年と137日目。

11時半。
妻と一緒に友人Oに会う。自宅近くのレストランで。
何年ぶりだろう。

事前のメールのやりとりの中で、だいぶ風貌が変わっていることを知らせておいたが、Oは「思ったほど変わってないよ」と。
お互い、加齢の変化の範囲かな、と笑う。

病気のことなど、さまざま妻から話をしてもらう。
優秀なスポークスマンがいることはありがたい。

夕方から仕事だということで、2時過ぎに別れる。
きのうまでの海外出張で疲れているはず。しかも仕事を控えているというのに。それを押してきてくれたことに感謝したい。

近々、また会うことを約して別れる。

人に会うことは重要な社会復帰へのステップとなると思う。
それが大学時代の親友との再会からスタートできた。

これからもできるだけ、人と会う機会を多くもっていこうと思う。

家に戻って2時間眠る。

足のむくみは変わらず。
できれば今回は利尿剤を使わず、乗り切っていきたい。

写真はレストランに置いてあったアンティーク風のピアノ。

8月のOB会に間に合うか

2007年4月11日(水)曇り

闘病生活606日目。
臍帯血移植1年と138日目。

7時30分起床。

8時半、アクエリアス到着。命の水。
きのう注文で一日で届くのは早い。重い思いをせずに届く通販はやはり素晴らしい。

11時ごろ、ふらふらとなって眠る。きのう、遅くまで妻と話したことがきいているようだ。

眠っていると中学時代の同級生Sから電話。テニス部のOB会を後輩たちが計画しているらしいので、とりあえずのお知らせをということだった。
8月18日。
うーん、どうだろうか。微妙だ。それまでに千葉まで一人で行ける体力が戻っているか。そこを目標にという設定も考えられるが、結局だめで迷惑をかけても申し訳ない。

ノートパソコンを特価.comで注文。パナソニック、レッツノートのY4にした。基本、家で使うので、画面が大きい方がいいかと。14.1インチは、やはり大きい。作業はしやすいだろう。OSは迷わずXPにした。

足のむくみがひどい。
体重も通常より5kgも多いのはやはりむくみのせいだろう。
歩きが基本のリハビリにむくみは大敵。
なんとか克服して、本格的なリハビリプログラムを始動させたいところなのだが。

写真は4年間頑張ってくれているレッツノートR1。職場でも家でも病院でも、本当によく活躍してくれた。これからも頼むぞ。

退院-2か月ぶりのジュニア話で盛り上がる

2007年5月11日(金)晴れ

闘病生活636日目。
臍帯血移植1年と168日目。
入院30日目、退院。

退院の準備。ケースに身の回りの品を詰め込む。

11時過ぎ、妻、義姉さん来る。S先生に御礼とあいさつ。

ナースステーションにいた看護師さんたちと記念撮影。去年の退院以来のいい記念になった。

皆さんに御礼を言って、退院。2か月間、本当にお世話になりました。

荷物を車に置いて、LBへ。12時半ごろだったので、いつもより若干混んでいた。
いつものようにリゾットを注文。おいしい。1か月ぶりの満足だった。

ここでお姉さんとは別れ、車で自宅へ。

16時、久々の自宅。

やっと帰ってこれた。そういう実感。

サーバーも黙々と動いてくれている。
何も変わっていないことにほっとする。
唯一変わったことは、届いたまま使われてこなかったパソコンがあったことか。

夜、娘とジャニーズジュニア話で盛り上がる。相当たまっていたのであろう。とにかく話が止まらない。いいぞいいぞ。たっぷり話そう。これからずっと話せるぞ。
ジュニアの新メンバーを覚える訓練が始まる。覚えにくいのは、船曳君、潮田兄弟、森田君も難しい。宮舘君、江上君、岩本君は覚えた。完璧だ。2か月のブランクは大きい。ゆっくりと覚えていくことにしよう。
それにしても、浅香君のジュニア脱退は残念だ。期待が大きかっただけに。何か相当なる理由があったに違いない。
話は夜11時過ぎまで続いた。

AKB48のチームBもこれからえ覚えていかなければならない。
しなきゃいけないことがたくさんあるぞ。さて、頑張ろう。

堂々たる富士山に励まされる

2007年5月12日(土)晴れ

闘病生活637日目。
臍帯血移植1年と167日目。

8時起床。

久々の家での眠りはいいものだった。

ベランダから見える富士山がまぶしい。堂々とした姿に励まされる気がする。

新しいパソコンにソフトを入れたり等、使いやすく整備する。
画面が大きいことが、かえって違和感さえある。

さっそく、新パソコンにて、日常ブログ、インド紀行(19)路線バスに振り落とされる をアップ。

朝食。
久々のパン、ハム、レタス、たまねぎサンド。
家の定番。やっぱりこれがいい。

夕食
久々の外食。
おいしかった。
普通の生活ができることのありがたさが身にしみる。
おかげで外の空気を吸うことができた。
家でもそうなのだが、病気以来、お酒を飲むことが全くないので、外食でかかるお金も以前よりはだいぶ低く抑えられているようだ。
5年間はお酒を飲まないと決めている。
いや、もしかしたら一生飲まないかもしれない。それでもいいと思っている。

ウォーキング実践初日の結果は

2007年5月16日(水)晴れ

闘病生活640日目。
臍帯血移植538日目。

7時半起床。

午後、小金井公園に出かけ妻と散歩をしてきた。
ゆっくりではあったが、かなり歩いたので、5000歩近くいったかと思ったが、実際は2700歩。

帰りがけ、既に疲れが出てきて、次第にぐったりしてきた。

家に着くと、ふらふらに。限界だった。すぐ眠る。3時間。

夜、食事をするが、食欲がない。歩いたので本当なら食欲が出ていいはずなのだが。

入院の2か月間、ベッドの上で過ごしたことで、それまでわずかに復活した筋肉は再びほとんどそげ落ちてしまったようだ。また、体もまだ運動に順応した反応ができていないのかもしれない。

きょうは決して無理したつもりはなかったが、体力回復の道のりは、容易なものではないことを感じる。

きょうのブログは公園の光景や写真の掲載などするつもりだったが、そこまでの気力が出ず。

退院からまだ5日。ここは焦らず歩みを進めることにしよう。

自転車グッズを注文

2007年5月17日(木)雨のち晴れ

闘病生活641日目。
臍帯血移植539日目。

9時起床。

きのうの公園散歩の疲れが残っており、お昼から16時まで昼寝。これでやっと疲れがとれた。
きのうの公園デビューは、予想以上に身体的負担をもたらしたようだ。

ということで、というわけではないが、きょうサイクルベースあさひに、ヘルメット、グローブ、ポンプ、メンテナンス用DVDなどをネット注文。いよいよ2年ぶりに自転車乗り再開へ向けて動き出すことにした。
ウォーキングもままならないのに、自転車は時期尚早かもしれない。しかし、自転車で宗谷岬を目指す目標を果たすためには、千里の道も一歩から。地道に取り組んでいくことにしたい。

あすは福生図書館へ行く予定。

「だめ~×」で朝のストレッチ

2007年5月20日(日)晴れ

闘病生活644日目。
臍帯血移植542日目。

10時起床。

退院をすると特記事項はぐっと減る。闘病にかかわらない話題がこれから増えるだろう(更新のない日は、日常ブログをチェックしてみてください。)

朝、家族3人でラジオ体操。この後、娘にタキツバの「だめ」の振り付けを教えてもらう。ストレッチにはもってこいかもしれない。

体調はいい。昼寝の必要もない。

まずは24日の外来までは体調を崩さないようにがんばりたい。

日常ブログ、インド紀行(27)土産を購入。船便で日本へ をアップ。インド旅は中盤へ突入(ヒマラヤ奥地で行った難行苦行の模様をつづっていきます。ここで私は空中浮遊の技を獲得しました。
 
 
 
 
 
 
=もちろん冗談です)。

インド紀行、休載の危機!?

2007年5月22日(火)曇り

闘病生活646日目。
臍帯血移植544日目。

9時起床。

日常ブログ、インド紀行(29)おんぼろバスの旅始まる をアップ。

病院で書き溜めておいたインド紀行のストックがいよいよなくなった。このまま書く時間がとれなければ休載に追い込まれてしまう。家は病院と違って検査や治療のイベントこそないが、一人でいるわけではないので、集中的に物を書くような時間があまり取れない。
インド紀行に限らず、どうしても自宅ではブログの更新頻度、ボリュームともに落ちる。仕方ないことだろう。

あさっては退院以来、初めての外来となる。体調はいいので、まず問題はないと思うが、いい体調で臨みたいものだ。
病院の帰りがけ、職場に寄る予定もしている。実に約2年ぶりの職場。こういう言い方をしていいのか分からないが、やはり楽しみだ。心配をかけてきた職場の皆さんに会い、心からお礼を言いたい。皆さん、元気だろうか。早く会いたいものだ。

ジェネリックに変更を検討

2007年5月23日(水)晴れ

闘病生活647日目。
臍帯血移植545日目。

9時起床。

日常ブログ、インド紀行(30)日本人ツーリストと出会う をアップ。

明日は一日外来で忙しいので、インド紀行を書く時間がとれないので、2回分をなんとか書き上げる。スリナガルからレーへ移動の模様。
インド滞在7日で30回となった。何回分までいくだろう。単純に計算すれば、1週間30回だから、5週間滞在で掛ける5で150回となる。今、考えていることは、番外編として、2回目のインド旅の一部も振り返ってみたいと思っているので、160回程度のボリュームとなるだろうか。
今はこの紀行文を書いている時が最も楽しいと思える。若いころの免疫力がよみがえってくるようで。
160回続けられるかどうか分からないが、できるところまでやってみよう。

サイクルベースあさひから、注文していた自転車グッズが届く。自転車復活のために、2年間手入れをしてこなかった自転車を整備する。
これもできれば、メンテナンス日記としてブログで連載していきたい。

明日の外来で、薬をジェネリックに変更してもらうためにネットで薬価などを調べてみた。
薬価を基に妻に計算してもらうと12種類の薬のうち、該当したのは4種類。それでも薬価は半分から3分の1になるので、少しでも安くなることだろう。
先生に相談してみるつもりだ。

退院以来初めての外来

2007年5月24日(木)晴れ

闘病生活648日目。
臍帯血移植546日目。

7時起床。

日常ブログ、インド紀行(31)警察で一夜を明かす をアップ。

退院以来、2週間ぶりの外来。妻とともに9時半出発、11時過ぎ、病院着。

<きょうの診察メニュー>

(1)レントゲン

(2)採尿

(3)採血(Ta先生による)

(4)ベナンバックス吸入(カリニ肺炎予防)

(5)Ta先生診察

(6)Fu先生診察

以上のように盛りだくさん。

結論としては、今度こそ肺炎のぶり返しもなく、問題なし。

ほっとする。

抗生剤(オーグメンチン)の服用もきょうで終了。

この調子でいきたいものだ。

なお、ジェネリックへの変更については重要な情報を友人からもらい、見送ることにした。このことについては後日、改めて触れてみたい。

きょうはさすがに疲れ、時間も遅くなってしまったので、詳細はあす、書き加えることにしよう。

残念ながら職場に立ち寄ることはできなかった。

インドに集中した一日

2007年5月25日(金)晴れ

闘病生活649日目。
臍帯血移植547日目。

9時起床。

日常ブログ、インド紀行(32)“苦難の報酬”は黄金の絶景 をアップ。

S先生、新人看護師Wさんからメールをもらう。いずれも温かい励ましの言葉。ありがたい。うれしい。

さて、きょうはインドに集中だ。がんばらねば。
33~37回までを頑張って書き上げる。これで5日分のストック。少し余裕ができた。

きょうからDVDサイクルメンテナンスの日常メンテのABCを見て学んでいくことにする。

タイヤの空気圧、部品交換(タイヤ、ブレーキシュー)編。なるほど、メンテナンスのポイントが分かりやすく解説されている。

きょうはDVDを見て学ぶだけにするが、明日はできれば自転車を家に持ち込み、実践してみたい。

2年ぶり自転車の感触を味わう

2007年5月26日(土)晴れ

闘病生活650日目。
臍帯血移植548日目。

11時半起床。

日常ブログ、インド紀行(33)ギリシア彫刻の瞳に見とれる をアップ。

夕方、近くの中華料理屋さんへ。
なるべく辛い料理は避けるようにしているが、一品だけ、やや辛い豆腐料理を頼んだところ、一口でアウト。熱さにはだいぶ慣れてきたが、辛さは以前、子ども並み、いや以下のようだ。

帰りがけ、マンション内の駐車場に初めて停める。というのは、今住んでいるマンションに移って9年間、外れ続けていた敷地内の駐車場が、いよいよ当たり、きょうから停められるようになったのだ。長い長い冬の時代だった。前のマンションから通算すると苦節17年、外の駐車場で頑張ってきた甲斐があった。

駐車をする際、トランクに積んでいた自転車を降ろし、家に持ち込んだ。2年ぶりである。病気をして以来、自転車は車のトランクに積みっぱなしだった。タイヤの空気はすっかり抜けてしまっていたが、車の中に保管していたので、錆びなども見当たらず、簡単なメンテナンスですぐに乗れそうである。
自転車を転がした感触は、ただただうれしかった。元気になって、また自転車に乗れることが、ただうれしい。

とはいえ、すぐに自転車に乗れるわけではないので、それまでゆっくり、メンテナンスに専念しようと思っている。

韓国ドラマ『ホ・ジュン』が面白い

2007年5月27日(日)晴れ

闘病生活651日目。
臍帯血移植549日目。

10時半起床。

日常ブログ、インド紀行(34)一行はすべて単独ツーリスト をアップ。

DVDで『ホ・ジュン』2、3話を見る。面白い。『チャングムの誓い』を撮った監督による作品。全56話と先は長いが、できれば最後まで見てみたい。

プリンターのインクの詰め替え作業。だいぶ慣れてきたので、手を汚さずに済むようになってきた。

15時ごろから、自転車メンテナンスの作業に取り掛かる。きょうの主な作業は、メンテナンスの基本中の基本、タイヤの空気入れ。
詳しくは、日常ブログ に。

修学旅行の準備に全力

2007年5月28日(月)晴れ

闘病生活652日目。
臍帯血移植550日目。

8時半起床。

日常ブログ、インド紀行(35)絶世の美女に巡り会う をアップ。

娘が6月4日から修学旅行へ行く。楽しみにしていることだろう。そこで娘から、持って行く携帯電話にいつも聴いている音楽を入れてほしいとのオーダーがあったので、その作業にきょうは全力で取り組んだ。
作業工程は以下の通りだ。
まず娘がテレビから録画した音楽(ジャニーズジュニア、ハロプロ、AKB48)の曲をMDに録音。
MDの曲を私がパソコンでMP3にして取り込む。
そしてMP3になったデータを携帯電話に転送する。

きょう渡されたMDは約100曲。どれも短い曲だが、100曲のボリュームはなかなかのものであった。お昼から開始して、携帯への転送が終わったのは、夜の11時だった。

これで少しでも娘が旅行中、快適に過ごせれば。それで満足。

音楽が好きというのは、きっと私に似たのだろう。私も音楽がないと生きていけない、典型の人間だから。

インド紀行は前半のヤマ場に

2007年5月29日(火)晴れ

闘病生活653日目。
臍帯血移植551日目。

8時半起床。

日常ブログ、インド紀行(36)隆介さんから酒宴の誘い をアップ。

インド紀行のストックがなくなってしまったので、数本をまとめて書いた。ヒマラヤの奥地、レーが舞台。私とほぼ同年代の若者7人が偶然集まった一期一会の合宿の模様を描いている。
レーはラダック地方といわれ、インドでも仏教が今も根付いている独特な地域。私のレー滞在は1週間だったが、若者との交流、仏教文化の追求はとても濃い体験をもたらしてくれたと思っている。
インド旅、前半のヤマ場といっていいかもしれない。乞うご期待である。

ここ数日間、自転車のメンテナンスをどう進めていくかについて悩んできたので、病気をする前に通っていた自転車サークルのメンバーだったYさんに相談の電話をしてみる。

貴重なアドバイスをいただく。詳細は日常ブログ自転車メンテナンス(2)に。

そうだ、そういえば図書館に行くといいつつ、延期したままになっていた。あすこそ図書館へ行ってみるとしようか。

午前3時、ルーターに異常発生

2007年5月30日(水)晴れ

闘病生活654日目。
臍帯血移植552日目。

8時半起床。

日常ブログ、 インド紀行(37)智美さん、いきなりの号泣 をアップ。

きのうの夜中、携帯へのメールで起きる。
サーバーが不調であることを知らせるメールだった。
時計を見ると午前3時。
だれも見る人もいないだろう、明日の朝でいいとまた眠った。

朝5時前に目が覚めたので、パソコンルームに行ってみると、ルーターのインターネット接続に異常のランプが。
確認のため、自己サイトに接続するがやはりつながらず。
ルーターの設定画面で再起動、再接続をすると、問題なくつながった。
とりあえず一安心だったが、ルーターに何が起こったのか。原因はわからなかった。

しかし、しかし、怪我の巧妙か、ここのところFC2、ジュゲムなど、特定のサイトがつながらない現象が続いていたが、なぜか突然つながるようになった。これも原因不明。

2月に自宅サーバーでサイトを開設して以来、一度だけ、ルーターの不調があったが、その他のトラブルは全くなく運営を続けてこれた。入院していた2か月間も、しっかりと動いてくれていた。

外に出かけた時にこういう事態に陥ることもあるだろう。そのときは、どうか復活するまで気長に待っていてやってください。

勇気を出してジェネリックでいいのだろうか

2007年6月1日(木)晴れ

闘病生活656日目。
臍帯血移植554日目。

日常ブログ、 インド紀行(39)バザールで民族衣装を購入 をアップ。

きょうはチューブトレーニングがお休みの日なので、後日、ゆっくり考えたいと思っていたことについて。

前回の外来診察の際、ジェネリック薬品への変更を検討したが、結局、取りやめた。

その直接の理由は、診察にかかる直前、私の友人からメールで、ジェネリックへの変更は見送った方がいいとの忠告をもらったことだった。

発病から1年半が過ぎ、これまでにかかった医療費はかなりの額に上り、今後も長く薬とのつきあいを続けていかなければならない事情を考えると、少しでも薬代は抑えたいと思うのは当然だろう。

私は現在、12種類の薬を服用しており、月の薬代は本人負担分で2万円弱となっている。
調べて見ると、12種類中、ジェネリックが作られている薬はわずか4種類。しかももともと薬価の低い薬ばかりなので、差額は約1000円に過ぎなかった。

それでも、これから先、長いのだから、わずかでも安くなればと思ったわけだが、友人の指摘によると、(1)成分は全く同じとは限らない(2)成分が同じでも作り方の違いによって吸収量が違ってくる――ことがあるのだそうだ。事実、日経メディカルが行った医師へのアンケートによると約7割が後発品は先発品より劣ると回答しているという。

詳しくはこちら。
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=798513035

品質のこともさることながら、私がジェネリックをやめようと思った最大の理由は、新しい薬が作られなくなってしまう恐れがあることだ。
新薬の開発には10~15年の年月と数百億円の開発費が必要だという。ジェネリックの普及によって、この新薬開発費が捻出できなくなってしまえば、医学は確実に停滞してしまう。

何においても価格破壊が進む世の中にあって、薬が安くならないのはおかしい、という考え方にあっては、ジェネリックの普及は極めて自然な流れに思える。

しかし、それを手放しで喜んでいいものか。

勇気を出して聞いてみるのもいいが、その勇気が単なる蛮勇となり、後悔することにならないように、将来を見据えた慎重な構えが必要なのだと思う。

チューブ、ウォーキング実践ともに順調

2007年6月2日(金)晴れ

闘病生活657日目。
臍帯血移植555日目。

日常ブログ、イ ンド紀行(40)智美さん、突然の“改心” をアップ。

カリキュラム通り、チューブトレーニングを実践。

きょうは太ももとすねの前側の筋肉を鍛える運動。プログラムに沿って、「膝を伸ばす、曲げる」を繰り返す。当初はチューブを持つ手を胸の前に固定して持っていたが、試しに頭の後ろに持っていき、固定したところ、二の腕の筋肉に負担がかかることが分かり、一石二鳥を狙って、その体制で何回か繰り返してみた。

なかなかいい感じであった。

恐らくこのようなバリエーションはいくらでも作れるに違いない。慣れてきたら、いろいろと変化をつけて試してみようと思う。

きのうは歩数が2000歩を超えた。その理由はPCルームに足を運ぶ回数が増えたことによる。
私は、FMから録音した音楽番組をパソコンに取り組むという作業をしているのだが、基本的にその場を離れているため、録音が終わると、次の番組に切り替える作業をするため、足を運ばなければならない。その往復の回数が、それなりになるので、歩数が増えているのだ。
入院後、しばらくはこの作業を中断していたのだが、意外な運動効果を考えると、いい結果をもたらしているのかもしれない。

ただ、一つ気になるのは、ここのところ、やや足がむくみ気味であること。ラシックス(利尿剤)を減らしたことが直接の原因だろうが、やや心配ではある。体重は58~59キロ代と増えてはいないので、大丈夫だろう。
月曜日の外来で先生にしっかり診ていただくことにしよう。

オーグメンチン内服再開

2007年6月4日(月)晴れ

闘病生活659日目。
臍帯血移植557日目。

7時起床。

日常ブログ、 インド紀行(42)僧服の子どもは夢かうつつか をアップ。

妻と外来へ。
CTの予約が13時半に入っているため、1時間前の12時半に病院到着。
行きの車も空いていたが、病院の患者さんも空いている。

採尿、採血の後、CT撮影。

そして診察。

T先生、CTの画像をじっと見て、しばらく無言。
しばし緊迫した空気が流れ、「肺に新たな影が見えるんですよ」とT先生。
私もじっと目を凝らして見ると、確かに一つの画像に小さいがもやもやとした丸い影がある。
T先生、F先生を呼び、相談。
結果、オーグメンチン(抗生剤)を再開しましょうということになった。

次回は2週間後。

7Fに上がり、Aさんに会う。
痔がひどく、激痛に悩まされているとのこと。私にも経験がある。本当に苦しい、厳しいものだ。
「4度目の移植をしようと決意をしているんだが、この痔が…」と、不安を語っておられた。
何とかよくなって、移植を成功させてもらいたいと強く願うもうのである。

会計を済ませ、LBへ。
私はいつものリゾットを。ここのリゾットは本当においしい。満足、満足。

さて、新たにできた肺の影が広がらないように、しっかり消していかなければ。さすがに入院はもう避けたい。絶対に避けたい。

4000歩、さすがに疲れた

2007年6月5日(火)晴れ

闘病生活660日目。
臍帯血移植558日目。

7時起床。

日常ブログ、 インド紀行(43)新調の民族服で街歩き をアップ。

きのうの外来の疲れが出る。

レストランに行き、帰りがけチョコレート屋さんまで歩き、帰りの坂を上り、病院に戻って7階でAさんに会いと、よく動いた一日だった。

歩いた歩数4000。退院以来、最高の歩数だ。

普段の家での生活は1000歩~1500歩が平均。しかもマンションなので、階段はない。

体力の回復はやはりなかなか難しい。

あすは車検のため、お出かけの予定。

車も人もメンテナンスが肝心

2007年6月6日(水)晴れ

闘病生活661日目。
臍帯血移植559日目。

8時起床。

日常ブログ、 インド紀行(44)日本人バックパッカーとの対話 をアップ。

午後、車の車検のため、妻とともに車検館へ。
5年前に新車を購入して、今回が2回目の車検。
ざっと見積もってもらったところ、エンジンオイル、エレメント、ブレーキオイル、ミッションオイル、バッテリー、エアコンフィルター、ワイパーブレードとフルセットで交換を勧められた。
この2年間は病気のため、車の手入れは全くといっていいくらいできていなかったので、すべて二つ返事で了承し、交換してもらうことにした。

作業にかかる時間は1時間半。その間、近くのレストランで食事をして待つ。レストランまで100メートルあまりの距離であったが、筋力のなさゆえ、歩くのが遅い。妻が歩く背中がどんどん遠くなる。息もあがる。体力のなさを痛感せざるをえない。

電話で知らせがあり、車検館へ戻り、車を受け取る。内外の清掃がされ、美しく蘇っていた。

走った印象も、以前はノッキングがひどかったが、スムーズな走りになっていた。

人間の体も同じだろう。普段からの手入れがやはりいかに大切か。車ですら、たった1時間の手入れでここまで変わる。人間は車のようにはいかないが、だからこそ、常なるメンテナンスへの取り組みこそ必要なのであろう。

娘が修学旅行から帰ってきたので、妻とともにJRの最寄り駅まで、車で迎えに行く。帰りがけ、レストランへ。すると驚いたことに、昼間、車検館へ行く時に見かけた小学生の少女が、お母さんとともにレストランにいたのだ。確かに見覚えのある顔、服装。間違いない。こういう偶然もあるのだと一人、感心してしまった。

修学旅行のみやげをいただく

2007年6月7日(木)曇り

闘病生活662日目。
臍帯血移植560日目。

日常ブログ、 インド紀行(45)王宮の塔、空、そして月 をアップ。

娘が修学旅行で買ってきたお土産をいただく。

ゆべし
くるみゆべし
ままどおる
チーズケーキ(世界のガラス館)
ジャクソン・アールグレイ

どれもおいしかった。

撮影してきた写真でも盛り上がった。

写真上、おみやげ。
写真下、修学旅行で泊まったホテルにて(娘撮影)。

2週間ぶりの外来

2007年6月18日(月)晴れ

闘病生活673日目。
臍帯血移植571日目。

2週間ぶりの外来。

往きは私の運転。

外来メニューは以下の通り。
(1)採尿
(2)採血
(3)レントゲン
(4)吸入
(5)診察

血液数値、レントゲンともに問題なし。

食事の後、病院内の理髪店へ。

すっきりとしてもらった。気持ちがよい。

帰りは妻の運転で。往復の運転は疲れるので、運転を代わってもらえると助かる。

家事の手伝いに挑戦していこうとブログに書いたが、続かない。ちょっとしたことだが、どっと疲れが出てしまう。もうしばらくは無理だとあきらめた。もともとあまり好きではないということもあるかもしれない。
妻には大変申し訳ないが、家事の一切をしてもらう苦労をかけてしまう。

病院近くのレストランで。

血液疾患患者に100の質問

私の大切な友達であるネイトさんがブログで、「血液疾患患者に100の質問」に答えておられたのを読んで、私も、という気になった。

さっそくとりかかったが、100を一気にはきついので、20ずつにわけて回答してみたい。

血液疾患患者に100の質問
質問配布:『癌々行こうぜ』

01 お名前(HN)は?
ふぐえ(fugue)です。

02 生息地と原産地はどこですか?(市町村ぐらいまで)
生息地:東京都多摩地域
原産地:東京都大井町

03 生年月日(×代も可)と性別と血液型は?
1961年6月12日

B→A

04 身長と体重は?
170センチ、60キロ

05 職業は?
ただいま休職中。

06 未婚or既婚?あるいは事実婚?
既婚

07 子供はいますか?
一人、中学生の娘がおります。

08 血液疾患の一般病名は?(急性骨髄性白血病、慢性骨髄性白血病、再生不良性貧血など)
骨髄異形成症候群

09 確定診断後の詳細な分類は?(AMLやMDSならFAB分類などを)
RAEB2

10 病気を発見したきっかけは?(検診or自覚症状)
職場の健康診断

11 精査のきっかけになったときの血液検査の数値を覚えていますか?(もし覚えていたらその数値の一部でも)
白血球:1,700(標準:3,300~9,000)
赤血球:290(標準:430~570)
ヘモグロビン:11.1(標準:13.5~17.5)
血小板:62,000(標準:140,000~340,000)

12 病気が見つかる前に何か自覚症状はありましたか?
全くありませんでした。毎日、往復55キロを自転車で通勤してたんですから。

13 過去に成人病やがん検診は受けたことありますか?そのときに何か指摘されていませんでしたか?
ありませんでした。

14 発病は何歳のときですか?
44歳です。

15 病名告知はすぐにありましたか?
ありました。

16 告知された時の心境は?「もうダメだ」と思いましたか?それとも「自分は死なない」と思いましたか?
意外と厳しい病気になってしまったものだな、と思いましたが、死のイメージは全くありませんでした。

17 セカンドオピニオンはとりましたか?それはどの段階ですか?(告知直後、治療前、移植前など)
とりました。移植前です。

18 告知後や治療途中にカウンセリングや心療内科や精神科を受診しましたか?
入院中(移植前)にカウンセリングの先生に来ていただきました。3時間は語りあったでしょうか。

19 あなたのキーパーソン(心の支え)は?
妻です。

20 入院治療を受けた病院でそのまま外来を受けていますか?
はい。

21 現在どんな治療中をしていますか?(治療後の経過観察、薬物療法、化学療法、分子標的療法など)
治療後の経過観察です。

22 外来の間隔は?毎週、毎月?
2~3週間です。

23 待ち時間はどのくらい待ちますか?
ゼロです(体感として)。採血結果の待ち時間中に吸入などを行うので、実質待ち時間はありません。

24 外来の医療費はいくらくらいですか?(薬代も含む)
自己負担分で2~5万の間です(マルク等が入ると高くなります)。

25 外来は血液内科だけですか?それともGVHDはそれぞれ別の科ですか?
血液内科のみですが、肺炎で入院した際は別の科が担当でした。

26 外来のマルクに不安はないですか?
全くありません。

27 ぶっちゃけ外来担当医の評価は?(5段階評価、コメント、どちらでも可)
満点です。

28 入院目的は(初発治療、再発治療、精査など)
初発治療と肺炎治療のため。

29 カテーテルは入れましたか?それはどんなタイプですか?
中心静脈カテーテル(CV)で首から挿入しました。一度、差し替えあり。

30 どんな治療のために入院していますか?(経過観察、薬物療法、化学療法、分子標的療法、造血幹細胞移植、合併症治療)
造血幹細胞移植(臍帯血移植)を受けました。

31 その治療法に決めた理由は何ですか?
骨髄移植のドナーのタイミングが合わなかったため。

32 現在の治療は病気に対して効果を発揮していますか?
はい。

33 治療に使用した薬品名をいくつくらい覚えていますか?
10種類程度。

34 これまでトータルの入院(治療)期間は?(現在入院中の方、退院されている方に)
約7か月。

35 治療を受けきた病院は複数ですか?それともひとつですか?
ひとつです。

36 概算でこれまでにかかった治療費は?
約1500万円。

37 いちばん辛かった治療や副作用は?(免疫抑制療法、化学療法、造血幹細胞移植)
移植に伴う生着熱、粘膜障害、頻尿など多数。

38 再発の不安はありますか?
ない、と言ったらうそになります。

39 寛解で再発して移植といわれたらどうしますか?(移植の患者さん以外)

40 移植から何日、何ヶ月、何年経過しましたか?
580日(約1年7か月)経ちました(2007年6月27日現在)

41 移植の方法は?(ミニ移植、フルドーズの前処置を行うコンベンショナルな方法)
フル移植です。

42 前処置は?(抗ガン剤+放射線、抗ガン剤のみ。使用した薬品名など)
放射線12グレイ、キロサイト×4、エンドキサン×4

43 幹細胞のソースは?(骨髄、末梢血幹細胞、臍帯血)
臍帯血です。

44 ドナーさんは血縁それとも非血縁?
非血縁の男の赤ちゃんです(宮城臍帯血バンクより提供していただきました)。

45 ドナー候補は何人いましたか?
複数です。ちなみに決め手は細胞数よりもCD34の数値でした(詳しい理由はよくわかりません)。

46 移植を決めてからどのくらいの期間で移植できましたか?(病院都合やバンクコーディネート都合)
1か月半です。

47 Day0(移植日)の何日前に入院しましたか?
1か月半です。

48 移植前検査でしんどいものはありましたか?
胃カメラ、痔の検査。

49 無菌室には何日いましたか?
約1か月。

50 生着まで何日かかりましたか?
21日。

51 輸血は何回しましたか?
数え切れません。

52 無菌管理は厳しかったですか?
以前に比べるとだいぶ緩くなっているということでした。

53 生着まで何を考えていましたか?
ひたすら、苦しさに耐えてました。

54 移植中に感染や発熱、何らかの痛みなど、辛い合併症を併発しませんでしたか?
40度近い熱が続きました。

55 移植に踏み切った理由は?
それしか生きる道はないとお医者さんに言われたからです。

56 移植後の経過はいかがですか?(輸血の有無やGVHDといった合併症などに関して)
GVHDが皮膚に出ています。細菌による肺炎を起こしました。

57 仕事や家事、学業は発病前と同じようにできますか?また、同じようにできるようになったのは、移植後どのくらいたってからですか?
まだ休職および自宅療養中です。

58 仕事や家事、学業は発病前と同じようにできますか?また、同じようにできるようになったのは、移植後どのくらいたってからですか?
あれ? ダブリ?

59 移植後に予防接種をしたことがありますか?
ありません。

60 造血幹細胞を提供してくれたドナーさんに何か一言(血縁、非血縁問わず)
あなたのおかげで、今、こうして生きています。ありがとう、心から感謝いたします。

61 今後、もし再発したら、どういう治療法を選択をしますか?
考えたくないですが、もう一度、臍帯血移植を選択します。

62 治療した病院を選んだ理由は?
臍帯血移植で日本有数の実績を誇っていること。

63 転院はしましたか?
はい。

64 選んだ病院の良いところ(スタッフ、入院環境、治療などから特に気になった点を)
スタッフの心にゆとりがある。設備が新しい。

65 選んだ病院の悪いところ(スタッフ、入院環境、治療などから特に気になった点を)
特にありません。

66 入院中担当になった医師とは上手にコミュニケーションできましたか?
はい。

67 入院中楽しかったことは?
看護師さんらスタッフの皆さんとのコミュニケーション。

68 入院中つらかったことは?
食べたいものが食べられないこと。

69 入院中に感じた病院の雰囲気は?(明るい暗い、トイレが遠い(笑)など第一印象を)
申し分なし。

70 ルームメイトはどうでしたか?正直な話、ムカつくヤツとかいませんでした?
いませんでした。適切なアドバイスをいただきました。

71 院内のスタッフで素敵な人いました?
たくさんいました。

72 院内食で美味しかったおかず(メニュー)と、まずかったおかず(メニュー)は?
おいしかった:ラーメン
まずかった:高野豆腐(ただ嫌いなだけですが)

73 低菌管理中や無菌室で出た病院食で美味しいおかず(メニューでも)は?
無菌室では、全く食事をとれませんでした。

74 入院する時のおすすめグッズってあります?
ふりかけ、お茶漬けなどご飯の友。

75 退院したらまず何を食べたいと思いましたか?
モスバーガーのホットチキンバーガー(私が入院中に販売終わってました…)

76 初めての骨髄せんし(以下、マルク)は覚えていますか?
前の病院ですが、めちゃくちゃ痛かったです。

77 マルクはこれまでに何回しましたか?
10回ほど。

78 マルクはどこからですか?
腸骨(腰)。

79 マルクの痛みを表現すると?
今はそうでもありませんが、慣れるまでは、キリストの受難。

80 マルクの検査結果について、医師の説明はていねいですか?
普通だと思います。

81 マルク担当の医師を指名したことはありますか?
ありません。

82 マルク以外にしんどかった検査はありますか?
検査ではないですが、CV挿入。

83 看護師さんの採血は上手でしたか?
はい。

84 血縁関係に血液疾患の方はいますか?
いいえ。

85 血縁関係に血液疾患の方はいますか?
あれ、だぶり?

86 特定疾患はすんなりと認められましたか?(再生不良性貧血の患者さんに)

87 タバコやお酒は嗜みます?
タバコは10数年前にやめました。お酒は病気がわかって以来、飲んでいません。

88 治療後に、食べ物など嗜好に変化が出ましたか?
大好きだった白いご飯が食べられなくなりました。

89 何か健康食品を使ったことはありますか?
ありません。

90 血液疾患になってやめたこと、または始めたことってありますか?
やめたこと:お酒。
始めたこと:チューブトレーニング、リハビリを兼ねた自転車のメンテナンス。

91 発病直後に限らず、自分の血液疾患ついて詳しく調べましたか?
ネットで病気の解説や患者さんのブログをかなり読みました。

92 5年生存率ってどう思いますか?
がんサバイバーとして、生き抜きます。

93 食生活orストレス、自分ではどっちが病気の原因だと思いますか?
さあ、こればかりはわかりません。

94 「患者の会」みたいなのに入会してますか?
いいえ。

95 今後、最悪のケースを迎えた場合、ホスピス行きますか?それとも最後まで戦いますか?
ホスピス=死を受け入れるという意味ならば、最後の一瞬まであきらめずに生きることを選びたいです。

96 自分は血液疾患とは無縁だと思ってましたか?
はい。

97 一応これ記入した年月日を書いておいてください
2007年6月27日。

98 自分に向けて一言お願いします
ここまで来れたのは周囲の皆さんが支えてくれたおかげなのだから、片時もその感謝の気持ちを忘れてはならない。そして元気になって恩返しをしていくのだ。

99 自分以外の血液疾患の癌患者さんに向けて一言お願いします
厳しい病気ですが、一緒に乗り越えていきましょう。これまで以上に明るい未来が開けると確信して。

100 100の質問に答えてみた感想は?(疲れた以外で)
この100の質問を考えていただいた方へ、ご苦労さまでした、ありがとうと言いたいです。

フルコースだったきょうの外来

2007年7月9日(月)晴れ

闘病生活694日目。
臍帯血移植592日目。

妻とともに外来診察へ。3週間ぶり。

行きは私の運転で。帰りは妻の運転で。

今回のメニューは
(1)採血
(2)ベナンバックス吸入
(3)CT
(4)診察
(5)マルク
というフルコース。

ということで、きょうは早めの出発、到着を目指した。

前々回から外来を木曜から月曜に移してもらったのだが、これは正解だ。行き帰りの車の数、病院の患者の数ともに明らかに木曜より少ない。空いているに越したことはない。

きょうの総括。
(1)採血数値、問題なし。腎臓のクレアチニン1.7が相変わらず高いのが気になるが、Igg(免疫力)は497と目標の500台までもう少しというところまで乗ってきた。
(2)ベナンバックス吸入――いつも通りだが、音楽を聴きながらなので、快適に過ごせた30分。
(3)CT、前回見つかった影は、心持ち縮小。抗生剤の効き目によって小さくなった可能性ありということで、オーグメンチン服用を継続。
(4)肌はだいぶよくなってきましたねと先生。
(5)最近、快感に変わりつつあるマルク。それほどに先生は上手だ。

次回は1か月後。久々か、初めてか。冒険の1か月。頑張って乗り切りたい。

帰りがけ、7階でお世話になった担当看護師さんのFjさんとばったり。お元気そうだった。今は4F外科病棟に移っているとのことで。私が退院した直後に移られたらしい。
今後の私の入院は4F指定で、と冗談ともつかない本気の話をさせてもらった。
Fjさんの笑顔、本当にいつもさわやか。元気をいただいた。

「ジェッディン・デデン」ウォーキング

これまでがんサバイバープログラムによるリハビリを実践してきたが、ややマンネリとなりつつあるので、オリジナルの方法を考えて見た。

名づけて、「ジェッディン・デデン」ウォーキング。

「ジェッディン・デデン」とは、トルコの軍隊行進曲。NHKの名作ドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲で有名となったものだ。

やり方は簡単。
「ジェッディン・デデン」に合わせてただ歩くのみ。「ジェッディン・デデン」は行進曲だけあって、歩行のリズムにぴったり合う。しかもこの曲を聴いてわかるように、どこかに物悲しさが漂うところが、妙に後をひく。
どれだけ歩くかは、それぞれの体力、体調に合わせて決めればよし。

私は音源を携帯でダウンロードし、アラームで15分起きに曲が鳴るようにしている。ちなみにNHKのサイトの「阿修羅のごとく」から探せる。

ネットで音源を聴いてみたい方は、↓をどうぞ。

Mehtertv.comより
Mehtertv.com

効果あり、「ジェッディン・デデン」ウォーキング

きのうから開始した「ジェッディン・デデン」ウォーキングの成果が出ている。

きのうの歩数は2710歩。ふだんの歩数の平均1500歩より1000歩以上伸びた。

でもその反動で、きょうは疲れが出た。

ゆっくりいくことにしよう。

仕事の依頼がきた

きょう、職場から電話があり、仕事の依頼を受けた。仕事といっても、出勤するわけではなく、在宅でできる簡単なもの。まずは在宅からという配慮に感謝したい。
復帰に向けたスケジュールなどについても話ができた。

さて、いよいよだ。

一カ月ぶりの外来

いつものように車で妻とともに病院へ。

マルク結果、以上なし。ほっとする。

医師からは「腎臓を除いてはいい状態にあります」とのこと。
腎臓は、移植前のバクタ服用、移植直後のサンディミュン投与から悪くなった。
すべてがいい状態、ということにもなかなかならないだろう。時間をかけてゆっくり治していくしかない。

更新をしばらく休みます

友人から、お見舞いとしてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が送られてきました。

ありがたい。

しばらく、カラマーゾフに没頭したいので、更新を休みます。

サーバー稼動時間のお知らせ

地球温暖化防止の観点から、サーバーの24時間稼動をやめ、夜12時ごろから朝9時ごろまでの稼動を停止します。したがいまして、その間、ブログを見ることができません。

どうかよろしくお願いします。

告知から2年

きょう8月15日で病気の告知からちょうど2年目となります。

告知された日もきょうのような厳しい暑さの日だったと記憶しています。

いまだ社会復帰は果たせていませんが、こうして生きていられることが何よりの幸せです。

これまで支えていただいた皆さんに心より感謝いたします。

当面の目標である2010年11月24日を目指して、一日一日を丁寧に生きていこうと思います。