2.入院 アーカイブ

入院生活スタート

2005年8月22日(月)晴れ

闘病生活8日目。

入院初日。
自分の人生の中で初めての入院体験である。

最寄り駅で、実姉と合流。姉をドナーとする血縁者間骨髄移植の可能性があるので、HLAの型を調べるため実家から出てきてもらったのだ。

駅構内のスタバでコーヒーを1杯、一息つく。

9:55ごろ
タクシーで病院へ。
入院受付の手続きを行う。これは20分くらいか、かなりかかった。

10:30ごろ
病棟5Fの病室へ。
Oさんという看護師さんよりあいさつを受ける。

病室は555号室。4人部屋である。なんと窓際。これはラッキーである。気分的には全然いいものだ。他の患者さんには申し訳ないが。

すぐさま、心電図とレントゲンをとるように指示される。

まず、2F心電図室へ。心電図の計測を受ける。これはいつもの健診とほぼ変わりがなかった。

階段を下りて1Fレントゲン室へ。パジャマ姿はほとんど見られない。外来が多い中で10分ほど待つ。いよいよ自分は入院患者になったのだと実感。

まず、歯のレントゲンを撮る。
次にお腹、鼻腔、などなどさまざまな部位を撮影。

それぞれのフィルムや結果をもらって5Fに戻る。

次に採血。K先生より。11本を一気に。以前であったら、この本数を見るだけで目を回していただろう。しかし、さすがに血液の病気にかかったことでハラが決まったのか、11本、特に最後は大型であったにもかかわらず、一気に終えることができた。やるときはやるのだ。

<8月22日の採血結果>
白血球:1,620(標準:3,300~9,000)前回比 -600
ヘモグロビン:9.2(標準:13.5~17.5)前回比 -0.2
血小板:43,000(標準:140,000~340,000)前回比 -2,000

次に採尿。消毒をし、尿を2本。検便を2個。

同じ病室の向かいMさん、はす向かいのHさんにごあいさつ。

13:30
O看護師の案内で病棟内のオリエンテーション。
・尿をカップにとってすべて蓄尿する。カップは洗って逆さにしておいておく。
・シャワーは、予約に名前を書いて入ることができる。
・冷蔵庫も使用可能。
・ロビーであれば、携帯&ネットOK。
・食事は自分で下げる――等々。

15:00
心臓超音波検査(2F)。

15:40
歯科検査(2F)
特に問題なし(これには絶対的に自信があった)。
しっかりとしたブラッシングとイソジンのうがいを勧められる。

18:00
H先生、K先生による病状と治療方針の説明(於医師室)。

・染色体の異常は認められない。
・20%の異常細胞。未熟な細胞が多いタイプ。20%を超えると白血病。経過はゆっくりしているので、骨髄異形成症候群。
・白血病に準じた抗がん剤治療が必要。
・抗がん剤の強さは骨髄の結果を見て。以前より増えていれば強めに。横ばいであれば弱めに。その状況を見て決定する。
・長期的には……
抗がん剤だけでの完治は難しいので、骨髄移植が望ましい。
(1)骨髄移植の場合、ドナーは全身麻酔で骨盤から骨髄を採取。(2)末梢血幹細胞移植は、血を採って、薬で白血球を増やす。
・骨髄移植は必ずということではないが、選択肢の一つではある。抗がん剤治療がうまくいき、感染症がひどくなければ早期の移植へ。1年以内。
・抗がん剤治療は大変。感染症、粘膜などがやられる。
・抗がん剤治療は今週中からスタートしたい。
・面会の制限は特にないが、カゼをひいている人、小さい子どもは×。
・無菌室といっても効果が絶大というわけではない。
・感染症のほとんどは体の中から出てくるもの。外からということはあまりない。
・手洗いを習慣づける。面会の人にも手洗いをしっかりとしてもらう。
・抗がん剤治療の後、3~4週間後に白血球が増える可能性がある。その状況を見て外出が可能に。

18:30
妻と姉、帰る。
姉は握手をしたいが、菌が着くといけないからしないと言って帰って行った。

食事をとる。

19:45
お隣のNさんとあいさつ。

続きを読む “入院生活スタート” ≫

2度のマルク。そして退院へ

2005年8月23日(火)晴れのち雨

闘病生活9日目。
入院2日目。

6:00
起床

3時にトイレに起きてから、断続的に目が覚めた。5時前くらいから空が白み始めて、ますます眠れなくなったが、5時半過ぎ、一度眠りに落ち、6時に起床の声がかかって起きた。目覚めは、いつも通りか。

きょうは午前中、マルク(骨髄穿刺)の予定が入っている。

7:30
K先生による採血3本
朝食前でないと調べられない値(血糖値など)のためということらしい。
きょうの検査は午前中にマルク、耳鼻科、皮膚科とのこと。皮膚科については、脚の乾癬について調べてもらえるのがありがたい。Nクリニックではどうにもならなかったから。

8:00
朝食。きょうも完食。
食欲は完璧だ。
これがいつまで続くかが問題ではあるのだが。

ベッドの頭の方を上げてみた。座椅子のようで、なかなかいい感じである。これで楽にPCに向かうことができる。素晴らしい。

8:40
H先生はじめ、医師スタッフが総出で巡回。これにはちょっとびっくり。
脚の乾癬を重点的に見ていかれた。

10:00
新米君とK先生がやってきた。
本日のメインイベント、マルクのスタートである。

前回同様、腸骨から。
2回目なので、未知に対する恐怖はないものの、あのグリグリと全身の血を抜かれる嫌な感覚は前回と全く変わらなかった。

しかも、K先生のとっても嫌なつぶやきが聞こえてしまった。

K先生「あれ~、脂しか取れてないなぁ。細胞入ってるかなぁ…」

医師のこうした不安げなつぶやきほど、患者にとってグサリと来るものはない。

何? もう一回やるとか言わないでくれよと心の中で思わず叫ぶ。

私の叫びが通じたのか、K先生「うん、まぁ、大丈夫だろう」と収めてくれた。全身の力が抜けるようにホッとする。

血を止めるため、30分間、仰向けになって安静に。

11:35
耳鼻咽喉科に呼ばれる。
特に問題なし。
しかし、あの鼻から吹き付けられた薬は苦くきつかったぁ。いろんなところで、思わぬ伏兵が待っているものだ、病院というところは。はぁ、全く。

12:20
昼食、完食。

昼食を終えて、一息ついているところで、K先生が顔を見せる。何か言いづらそうな感じ。その顔を見て、ピンと来た。

「まさか、もう一度マルクを?」

この予感はずばりだった。午前中の採取では、K先生のつぶやきの通り、脂しか採取できず、有効な細胞が取れなかったというのだ。

正直嫌だった。しかし、子どもじゃないので、「嫌です」というわけにもいかない。否応なしに承諾をする。

13:30
きょう2度目のマルク。
今度はK先生、M先生の二人がかりで胸骨から採取。きつさはお尻の時と何ら変わらない。面と向かっているので、グリグリされたり、ギューっと引っ張られる様が視界にばっちり入るので、きつさの度合いはお尻の時以上だった。

14:30
姉、父、母、妻、娘が見舞いにやってくる。

娘が病室に入れないため、ロビーで面会。父母に病状、経過などを説明する。

15:00ごろ
呼吸器科へ。
肺活量の測定。女性のとってもいい感じの先生だった。

15:30
皮膚科へ。
女性の先生。こちらもいい先生だった。乾癬を中心に見ていただいた。乾癬とは若干違った症状が見られるとのことだった。決して悪い状態にはないとのこと。

16:30
H先生、K先生より治療方針について説明。
自分、妻、姉で受ける。

骨髄を2回とった結果の判断。
お尻からの骨髄が脂ばかりであったということから、明日から予定していた抗がん剤治療は一旦、中止にし、MRI、シンチグラムの検査をした上で、また治療方針についても再考していきましょう、ということになった。検査までに時間も空くので、退院なさって、自宅で療養していてくださいとのこと。

思わず耳を疑う。

え、退院? きのう入院したばかりなのに?

医師の話では、治療を始められない以上、入院していてもストレスはたまるでしょうし、お金もかかることですから、自宅でくつろいでいた方が楽でいいのではないですかという説明。

その理屈は分かるが、きのうは1年は覚悟してくださいと言われた翌日に、一時的とはいえ、退院とは。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。

H先生に骨髄の状態を顕微鏡で見せていただく。確かにところどころ、形がゆがんだ細胞が散見された。これが未熟な芽球という奴か。うーん、なんでこいつがこの自分の体の中に発生してきたのか。考えてわかることじゃない。

18:45
夕食、完食。

20:00過ぎ
就寝。
検査の連続の疲れとマルクの後遺症で、あっという間に眠ってしまったようだ。

仮退院の日

2005年8月24日(水)晴れ

闘病生活10日目。
入院3日目。

6:00起床

きょう仮退院し、2週間ないし、3週間程度の自宅静養となる。その間、MRIやガリウムシンチの検査を外来で受けることになる。

8:00
朝食

いつものように完食。

8:35
部屋が急に騒がしくなる。大名行列(医長回診)だ。シャーっとカーテンが開き、H先生を先頭に若手医師がゾロゾロと列をなす。
H先生、「そういうことで、申し訳ありませんが、一度退院していただいて」とささやくように自分に話しかけた。

きのうからきょうにかけて、とにかく眠い。

周囲がシーツ交換が始まる。また騒がしくなった。私は入院したばかりで、なおかつきょう退院するので、交換を免れる。よかった。

正直なところ、もう少し長く入院する時間がほしかった。なかなかそうはさせてくれないというのも何か意味があるのか。

きょうはなんだろう、頭が痛い。

9:00
K医師より生保に提出する診断書をいただく。

内容は以下の通り。

<疾病名>
骨髄異形成症候群

<発病から初診までの経過>
定期健診で白血球1700/ml、ヘモグロビン11.1g/dl、血小板6.2×10a/mlと血球減少指摘されて精査目的で外来受診。

<初診時の所見および経過>
上記同様の内血球減少認め、上部消化管内視鏡上、出血病変等なく、血液学的疾患の可能性あったため骨髄検査施行したところ、低形成骨髄中に、10~20%程度の芽球と鉄染色上、赤芽球の50%に鉄芽球性の変化を認めた。骨髄異形成症候群から急性白血病への転化が心配される所見であり、現在、精査中。

9:00
向かいのベッドのMさんにあいさつ。
Mさんは今月初めに入院され、骨髄性急性白血病だとのこと。

隣のNさんにあいさつ。
発病してから9か月になるとのこと。急性リンパ性白血病。
Nさん、どこかで見たことのある顔のような気が……。結局思い出せなかった。

続いてはす向かいのHさんにあいさつ。Hさんは悪性リンパ腫。

皆さん、すごい病気にかかっていらっしゃるのだと改めて痛感。ここはまさにガン病棟なのであると認識を新たにする。つまり、自分もガンであるということも。

11:00ごろ
妻が退院手続きを済ませ、退院。

感染症等の用心のため、タクシーで自宅まで帰ることにした。

私と妻が病気に対する今後の話などをしていると、タクシーで運転手さんが話しかけてきた。
ご自身、脚の病気から、左脚の切断を余儀なくされたものの、タクシー会社への転職、結婚、そして家を建て、一人娘さんを立派に育てあげた話を聞かせてくれた。
もともと画家になる夢があったとのことで、今は趣味で描いている絵を、携帯に取り込んだものを何枚も何枚も見せてくれた。
素晴らしい生き方だと心の底から感心した。

病気に立ち向かおうとしている自分がそこまで鮮やかな人生の軌跡を描いていけるのだろうか、不安ともプレッシャーともつかない気持ちに襲われる。
だけど、それは当然のことだと思う。不安はだれにでもある。しかし、それを跳ね除けていく、あきらめない気持ちがあれば、必ず人生を開いていけると思う。
きょうお世話になったタクシーの運転手さんには、本当に勇気づけてもらったと感謝している。

骨髄異形成証拠群発症~臍帯血移植~人工透析生活へ