3.自宅待機 アーカイブ

3.自宅待機 アーカイブ

同僚からメールの激励

2005年8月25日(木)台風

闘病生活11日目。
自宅療養1日目。

9:00起床。

食事をしてから、だるさが抜けないので、お昼過ぎまで休む。

19:30
メールチェック。

職場の同僚などから激励のメールが届く。しかし、退院したことはメールでは知らせなかった。かえって心配をさせてしまうからだ。またいつ入院になるかもわからないのであるし。

20:00
食事。

NHK『世界遺産シリーズ』のトレドを見る。
とても見ごたえがあった。

スペインを代表する画家のエル・グレコについても触れられていた。
しかし、意外にも、かの有名な『聖衣剥奪』という作品が、カトリック教会から認められなかったことは初めて知った。宮廷に抱えられていたとはいえ、決して順風満帆の人生ではなかったのだ。
その文脈から、トレドの街を描いた作品が、なぜあのように暗く沈んだ意匠によったのかもよく理解できた。

作品の背景を知ることは、絵画を鑑賞する上で、やはり大切なことを実感する。知識のための知識は不要だが、命が何かを深く感じとるための知識は不可欠だ。

スペイン王国がカトリックによって支配しようとしたことが、あの『カラマーゾフの兄弟』で展開される異端審問官の世界をつくったことの一端も分わかった。

Sちゃんより、“パァッ”っと激励メール

2005年8月26日(金)台風一過の晴れ

闘病生活12日目。
自宅療養2日目。

9:00
起床。

午前中はゆっくりする。

Sちゃんより、激励のメール。
ありがたい。
早く復帰して、“パァッ”っとやりたいものだ。

午後
DVDで録りためておいた、NHKスペシャル『文明の道』を3、1、2集の順で見る。

アレクサンドロス大王の足跡について。
このシリーズを貫くテーマ、「寛容と融和」を全面に出した内容だった。

このテーマは、自分のライフワークのテーマでもある。

これを実践の領域にまでもっていくまでは、死ねない。
何としてもこのテーマを現実のものとしていくために、この病気を治さなければならない。

23:00
妻の実家に2泊させてもらっていた娘が帰ってくる。

HLA―姉と3座不一致

2005年8月29日(月)晴れ

闘病生活15日目。
自宅療養5日目。

8時起床。

10:40
病院へ車で出発。車で病院へ行くのは今回が初めて。

12:20
病院到着。

昼間ということもあり、若干道は混んでいた。早稲田通りを中心に行ってみた。駐車場は外来&お見舞いについては、3時間まで100円という安さ。素晴らしい。本当に良心的な病院だなぁということを実感。

採血を受け、診察に。

きょうの最大の眼目である、姉とのHLAの結果だが、残念ながら合わなかった(3座不一致)。したがって、ドナーを骨髄バンクに求めることになる。自分に合うHLAをもったドナーの方はおられるのだろうか。

<8月29日の採血結果>
白血球:1,790(標準:3,300~9,000)前回比 +170
ヘモグロビン:8.3(標準:13.5~17.5)前回比 -0.9
血小板:34,000(標準:140,000~340,000)前回比 -9,000

確実に血液の数値が下がってきている。血小板は2万を切ると輸血が必要だという。かなり差し迫ってきているわけだ。

20:00
友人のOとTEL。状況などを話した。Oの職場でも白血病を克服して復帰した人がいることを話し、励ましてくれた。ありがたい。

MRI検査

2005年8月30日(火)晴れ

闘病生活16日目。

16:30
MRI検査のため、病院へ。きのうに続き、車で。きょうは妻に行き、帰りともに運転してもらった。なかなかしっかりしてきたと思う。もう安心だ。ちょうど1時間半かかった。

MRI検査は、CTスキャンのような筒状のところに体を入れられて行うものだったが、磁気を発生させてするもののせいか、音がすごかった。ギュイーンとか、ガガガガとか、マシンガンで撃たれるような音。耳栓はさせてもらったものの、ほとんど耳栓の効果はなかったに等しい。それでも、痛み等が皆無なことはうれしい。

残すは来週のシンチグラム検査。5日に注射を打ち、7日に検査。そして8日に、今後の治療方針について、診断が下される。さて、どのような結果となるのか。

帰りも同じルート。ほぼ1時間半。行きと一緒くらいであった。

心に沁みるメンデルスゾーン

2005年9月1日(木)晴れ

闘病生活18日目。
自宅療養8日目。

SさんからCDを送っていただく。メンデルスゾーンの六重奏曲と八重奏曲。いずれも渋く、落ち着いた曲だ。ありがたい。病院へもっていく曲のリストに加えさせていただいた。

添えられていたお見舞いのカードの励ましの言葉は、とても暖かく、心を打つものだった。妻もSさんの文章を読み、本当に心遣いのできる人と言っていた。こういうところに人柄が出るとも。その通りだと思う。

こういった人を励ますという場面において、その人の人柄、性格、つまりは生き様が映し出されるものであるということを学ばせてもらっていると思う。

入院の唯一の友?――ノートPC

2005年9月2日(金)晴れ

闘病生活19日目。
自宅療養9日目。

入院に備えて、病院に持ち込むノートパソコンのハードディスクが20GBと小さいので、80GBにして、自宅にあるMP3ファイル(40GB)を一気に持ち出す計画を立てる。

移植ともなれば、音楽を流暢に聴いている余裕もなくなるかもしれないが、いつでも聴けるという安心感はやはり換えがたい。

ハードディスクの換装は4万円以上かかるが、パソコン自体の買い替えに比べれば4分の1の費用で済む。
私のノートPCはパナソニックのレッツノートR1という機種で既に2年使用しているが、まだまだ十分使える。ノートPCもさまざま試してきたが、何といっても、このレッツノートのシリーズは素晴らしい。大きさ、重さ、堅牢性、静音性、バッテリーどれをとっても群を抜いている。

これから先の入院ライフが果たしてどのようなものになるかは、たった3日間の予行演習からはうかがい知れないものがある。ただ、言えることは、病院で向き合うことになるのは、医者、看護師のほかは、ほとんど自分かノートPCに尽きるのではないかということだ(患者同士の交流は未知数)。とあれば、ノートPCは、入院中の極めて重要な友となろう。

大学浪人中、勉強に明け暮れた自分の唯一の支えの友が“たばこ”であったことを思い出す。これと同じような感覚なのかもしれない。

いずれにせよ、入院という非日常の環境の中で、大きな試練が待ち構えていることは間違いない。

バンク登録のHLA一致ドナーは4人

2005年9月5日(月)雨

朝から病院へ。今回も車で。行きは自分が、帰りは妻が運転。妻の運転も板についてきた。

採血を先にして、シンチグラムの注射のためRI棟へ。RIとは、ラジオアイソトープの略だという。
注射自体は3分もかからずに終わった。注射をした医師は、この病院には珍しく、ひんやりした感じの人だった。

外来に戻り、診察を待つ。
数値の変化はさほどなかった。ほぼ横ばいである。

MRIの結果を見せてもらう。やはり、予想通り、骨髄の絶対量は少ないという判断だった。低形成性という定義がされるらしい。低形成の場合、抗がん剤による治療はできない。これでほぼ、移植のみが唯一の治療法であることが確定的となった。

H先生から、骨髄バンクのドナーについての言及。私と同じHLAの型をもった人は4人いるということを教えてくれた。

4人……この数は果たして多いのか少ないのか。とにかく、この4人の中から、最高のドナーをたぐりよせていくしかない。祈るばかりだ。懸命に祈ろう。

夜、娘の宿題を少し手伝う。

<9月5日の採血結果>
白血球:1,910(標準:3,300~9,000)前回比 +120
ヘモグロビン:8.6(標準:13.5~17.5)前回比 +0.3
血小板:36,000(標準:140,000~340,000)前回比 +2,000

いつか、秋田へ

2005年9月6日(火)雨

闘病生活23日目。
自宅療養13日目。

天気の悪い日が続く。台風が近づいているという影響もあるようだ。自転車に乗っていた時はあれだけ天候を気にしていた自分だが、今は籠の中の鳥。天気も全く気にならなくなってしまった。当たり前だけれども、不思議なものだ。

きょうは病院もなし。完全休養日。というか、静養日。

秋田のおばから電話をいただく。よくなるように祈っているよ、と。うれしかった。

秋田はおふくろさんの実家があり、子どものころ、お盆には毎年のように遊びに行った思い出の地。

元気になって秋田へ遊びに行きたい。いつか必ず。

シンチグラム検査

2005年9月7日(水)晴れのち嵐

闘病生活24日目。
自宅療養14日目。

14時からのシンチグラム検査のため、病院へ。シンチグラムとは、微量の放射性物質を注射で体に入れ、その分布の仕方で、骨髄の細胞の量や分布が分かるのだという。

きょうは義理の姉さんに車で連れていってもらう。12時出発。順調に流れ、13時半前には病院に着いた。

早めだったが、検査を始めてもらった。30分近かったろうか、横たえた体を乗せた台がゆっくりゆっくり動き、全身を撮影。体を動かさないでください、との指示は守ったが、30分間はさすがにきつかった。

終わった後、地下の喫茶で妻、姉さんと少々話す。

帰りがけ、台風の影響のすごい嵐になっていた。傘すらさせない暴風雨である。申し訳ないが、義姉さんに駐車場まで車を取りにいってもらい、乗り込む。病気でなければ、確実に自分が嵐を駆け出していたシーン。

走り始めるとみるみる天候は回復し、まぶしい夕日が車中に射し込んでいた。

骨髄移植の治療方針が固まる

2005年9月8日(木)晴れ

闘病生活25日目。
自宅療養15日目。

11時20分から診察のため、病院へ。きょうは大事な診断が下るということで、茨城から父母、姉。妻の方からお母さん、お姉さんと総勢7名がそろった。

診察では、自分、妻、姉が診察室に入り、H先生から話を聞いた。
内容は以下の通り。

・骨髄の絶対量はやはり少ない。瀰漫性骨髄異形成症候群。
・赤血液と血小板がじわじわと下降気味にある。
・白血球は横ばい。
・再生不良性貧血との境界線。
・抗がん剤を使うのは、得策ではない。リスクがかなり高い。
・実際に使っていたら、大変なことになっていたと考えられる。
・骨髄移植を進める。
・バンクには現在4名のドナー候補がいる。
・ドナーからは体重1kgあたり15ccしかとれないので、なるべく体格ががっちりした人が望ましい。
・申請のための書類に記入を。

音楽と日記に浸る

2005年9月10日(土)晴れ

闘病生活27日目。
自宅療養17日目。

ハードディスクの換装(20G→80G)を依頼していたノートPCがきょう届いた。

さっそく音楽などデータを転送した。かなりファイル名の長さなどでひっかかったが、何とかうまくいった。

今、音楽を聴きながら、この日記を打っているが、快適である。パソコンに入れ込んだ約2000曲のライブラリからランダムに再生している。

♪テレマンのリコーダー協奏曲。

換装前のノートPCであれば、絶対に聴くことのなかった曲。そう思うと、やはり、今回の換装は正解だったと思う。約4万円かかったが、決して高くつくものではないと思う。
これを新しいPCで購入しようと思えば、22、3万円はしてしまうのだから。HDDの回転音やアクセス音も極めて静かである。今回のは日立のHDD、前回のは東芝。この違いなんだろう。当たり前のこととはいえ、パナソニックのPCに東芝製が入っていたり、日立が入っていたり、全く面白いものだ。

♪グールドによるベートーヴェンのバリエーション。

夜には、Tおじさんから電話があった。H家の宿命を背負ってくれたのだなということを話されていた。ありがたいことだ。心配をかけて本当にすまないと思う。息子さんも難病にかかっているとのことを聞く。一緒によくなっていきたいものだ。

♪モーツァルトのミサ曲ハ短調。

これも自ら選曲してはなかなか聴くことがない曲。ランダム再生ならではだ。

あぁ、ゆっくりとこの日記に向かいたいところだ。本当にゆっくりと心置きなく。

なんという素晴らしい音楽だろう。モーツァルトに熱中した、あのころを思い出さずにはいられない。

きょうはなぜか、左の腰骨の辺りが時々、ずきずきと痛む。なんだろう。病気のせいではないだろうが。

さて、きょうは妻のために、早めに休むことにしよう。それが大事なのだ。

♪ガーシュインのパリのアメリカ人。

久々にノートPCに向かい、ご機嫌である。本当に音は静かだし、いい。素晴らしい。完璧だ。これまで2年間使ってきたが、これであと3年は大丈夫だろう。

あすは、総選挙の投票日。そして、あさっては骨髄バンクの申請である。いよいよ戦いが始まろうとしている。頑張らなければ。

♪高橋悠治のパーセル最後の曲集。

眠る前にふさわしい曲。さて、休むとしよう。

生きよ、20世紀少年

2005年9月12日(月)晴れ

闘病生活29日目。
自宅療養19日目。

午後から病院へ。今回も義姉さんと一緒に。

車の中で、娘が買ったコミック『20世紀少年』を読み始める。きょうで1~3巻を読み終えた。面白い。あまりの面白さに引き込まれる。特に主人公らと自分がほとんど同じ世代であることも魅力の一つ。最近の漫画とはいえ、ジェネレーションギャップは全く感じない。

15時20分からの診察。

自分たちが診察室に入る前、お母さんに寄り添われた若い娘さんが出てきたのだが、泣いている。号泣というほどではないが、シクシクと。お母さんが髪をなで、慰めている。

私たち3人、思わず息を呑む。白血病の宣告? と勝手な想像を。でも当たらずとも遠からずであろう。特に若い娘さんであるがゆえにショックも大きいのは当然だ。思わず、お互い乗り越えていきましょう、と心の中で念じた。

診察室に呼ばれ、3人で中に入る。すると、H先生は、いつになく、表情が暗く、かつ声も極めて小さい語り口だった。

H先生の話は以下の通り。

・染色体の異常は認められなかった。染色体に異常があると、白血病に移行しやすい。
・正常細胞に対する芽球の比率は多い。しかし、全体からの割合からすると少ない。
・移植という治療は決してパーフェクトといえるものではなく、リスクを伴うもの。抗がん剤、合併症等によって治療の過程で命を落とす確率は20%。そして、再発の危険性、さまざまな感染症……安全な治療とはいえないが、この治療方法を希望されるか。

最後の意志確認には、思わず3人がうなずいた。

<9月12日の採血結果>
白血球:1,660(標準:3,300~9,000)前回比 -250
ヘモグロビン:8.2(標準:13.5~17.5)前回比 -0.4
血小板:34,000(標準:140,000~340,000)前回比 -2,000
続きを読む “生きよ、20世紀少年” ≫

『20世紀少年』にはまる

2005年9月13日(火)晴れ

闘病生活30日目。
自宅療養20日目。

午前中、一度起きてパンを食べたのだが、すぐにだるくなり、眠った。結局夕方4時ごろまで眠っていた。

最近の体調の傾向として、午前中は×。午後から夕方にかけて復活。21時から0時過ぎにかけてが好調というパターン。

赤血球が減り、ヘモグロビンが8台にまで下がっている。普通なら、この数値は貧血で立っていられない状態だという。でも自分の場合、長い時間をかけてじりじりと下がってきたので、体が慣れてしまっているようだ。

しかし、妻も言うように、苦しんで寝込んでいるわけではないので、幸いと思う。

『20世紀少年』の4巻読了。5巻にも入る。見事なストーリーの展開だと思う。しばらくは、この世界にはまりそうだ。
漫画にはまるのは、最近ではA君から借りた『ベルセルク』以来。
ちなみに自分にとってのナンバー1は吉田戦車の『伝染るんです』。これを超える漫画はいまだにお目にかかっていない。

きのうから、とにかくあまりプレッシャーやストレスを自分に与えずにいこうと決める。無理をするのもあまりよくないと思うから。

『20世紀少年』でいさかい

2005年9月14日(水)晴れ

闘病生活31日目。
自宅療養21日目。

自宅待機が始まってから、しばらく伸ばしていたヒゲを剃る。さすがにヒゲが煩わしいものに感じてきた。すっきりした。気持ちがいい。

『20世紀少年』5巻~9巻を一気に。ストーリーは次第に佳境に入っていく。
この漫画をめぐっては、妻と若干のいさかいが起こった。
当然だろう、夫の病気を何とかしようと必死に頑張っている妻からすれば、漫画に夢中になっている自分の姿は、お気楽としか映らないだろうから。腹が立つのもうなずける。

でも若干の反論はさせてもらった。
確かに漫画ではある。されど漫画である。娘が見つけ、娘が買って、私に貸してくれた漫画である。ただの漫画ではない。大事なものなのだ。

何か自分にとっても意味を見い出せるものになるに違いないと思っている。

再発防止、なぜできない

2005年9月15日(木)晴れ

闘病生活32日目。
自宅療養22日目。

朝日新聞の記者が犯した虚偽メモ(長野県の田中知事関連)に関する検証記事を読む。朝日はこのような検証をよくする、昔から。“サンゴ”の時もそうだった。しかし、再発防止のためにと、こういうことをする割には、同様の事故を朝日はよく起こす。なぜだろう。重要な教訓であり課題だと思う。

『20世紀少年』10巻~14巻。

妻が16時から、職場に行き、状況と今後の方針を説明に。17時から同期のIさん(同期だが、年上なので、さん)と面会。どのようなものになったのだろうか。

漫画を一気に読んだこともあり、妻が出ていってからは、疲れて眠ってしまった。

妻、20時に帰る。万事、うまく運んできてくれたとのこと。Iさんは、やはり自分のことをわかっている、と妻も感じてくれたようだ。今回の病気で、妻の自分に対する理解も一歩深まったといっていいかもしれない。そして、妻への理解も同時に、深まった。そういう意味があるのだ、と改めて思う。

持つべきは友

2005年9月16日(金)晴れ

闘病生活33日目。
自宅療養23日目。

きのう妻と話したIさんが、昼、同期メンバーを呼んで、妻が話した内容を伝達してもらった。その中で、Iちゃんが臍帯血移植ネットワークの役員をよく知っているので、何か役に立てることがあれば、と言ってくれたそうだ。その節にはぜひともお願いしたいものだ。やはり持つべきものは友である。

『20世紀少年』15、16巻。17巻も途中まで。

思うにつけ、『20世紀少年』が投げかける“ともだち”の意義、意味。深いものを感じる。近年にない、素晴らしいコミックであると思う。Aちゃんが好きな『ベルセルク』もよくできた内容だと思うが、身近な題材の中で描ききっているという点においては、浦沢直樹作品の方が上をいっていると思う。

近所に住む知り合い、Hさんより妻へ大激励あり。本当にありがたい。
Hさんが、妻に駆け寄り、手をとって大情熱で語ってくれたとのこと。妻は思わず泣いてしまったそうだ。自分自身、涙が出そうになった。

その気持ちを裏切らないためにも、何としても生き抜かなければ。

去年のきょうは、家族3人で銀座の日比谷バーに行き、結婚記念日のお祝いをした。そして今年はこの通りである。面白いものである。本当に面白い。面白すぎてウソのようだ。

♪きょうの就寝前曲、モーツァルトの「グランパルティータ」。

Aさんから『蘇生』をいただく

2005年9月17日(土)晴れ

闘病生活34日目。
自宅療養24日目。

妻が朝から東京に用事で出かけ、15:30からは私の友人でアーチストとして活躍するAさんと会ってくる。どのような話になるのだろうか。楽しみだ。妻には自分の代理として動いてもらっていて、本当にありがたいことだ。このことはずっと忘れない。

『20世紀少年』17、18巻読了。

学生時代のサークルの後輩N君宛のメールを書く。せっかくの食事のお誘いだったが、病気のことを話し、丁重にお断りした。全く残念だ。N君にしても同席の予定だったK君にしても、学生時代、大切な思い出を刻んだ後輩であり、友人だ。先輩方にはどのような形でお知らせするか、悩むところだ。

闘病生活35日目か。1か月が過ぎた。早いものだ。

妻がAさんと会い、話をしてきてくれた。Aさんからは、私のために描いたという絵をいただいた。『蘇生』というタイトル。血管の中を音を立てて血流が押し寄せてくるような生命力にあふれた絵である。ありがたいことだ。大切にさせていただくことにしよう。

本当にありがたいことだ。きのうのHさんといい、きょうのAさんといい、自分のことを大切に思っていてくれている。本当にうれしい。本当にありがたい。
このありがたさを、ありがたい、というままで終わらせてはならないと思う。恩返しをしていくのだ。

♪アイブスのシンフォニー2番の2楽章。

 いい。惹かれるものがある。単純な現代音楽とは違う、なんだろう、魅力がある。同じアイブスの『セントラルパークの夕暮れ』にニュアンスは似ている。

さて、眠ろうかな。1時半を回った。

♪就寝前曲……ヴィヴァルディ『四季』

あまりに人口に膾炙した作品だが、何度聴いても飽きない。いいものはいい。

私は幸福である

2005年9月18日(日)晴れ

闘病生活35日目。
自宅療養25日目。

10時起床。

このところの傾向で体調がすぐれない。

後輩のN君からメールの返信をもらった。彼女は自分のメールをfugueさんらしいとあったが、彼女のメールこそ、Nらしいものだった。ありがたいことだ。このようなメールをもらえること自体が、自分は幸福であると強く実感する。

最近、音楽についての話題が多くなっている。常用のノートPCの改良のおかげである。ハードディスクを15Gから80Gへ。4万円はかかったが、本当に大成功だといえよう。∞の可能性とすら感じる。こういう形をとらない限り、生涯にわたって、聴くことができない音楽に出合えるチャンスを得ることができたというのは大きい。
とりわけ、ランダム再生ができることが素晴らしい。それから、音楽プレーヤーとして長く愛用してきたMediaJukebox(現MediaCenter)の専売特許であると思われていた検索による再生も十分、メディアプレイヤーでできることがわかった。

♪鈴木晶子→高橋アキ→清水和音→藤井香織→宇宿允人

曲目は略すが、上記の演奏家の順序で曲が再生される。くしくも邦人アーチストばかりが続いた。

臍帯血移植への道が開ける

2005年9月19日(月)晴れ 敬老の日

闘病生活36日目。
自宅療養26日目。

9時起床。

闘病生活も36日目。こんなに家に閉じこもっているのは、大学受験の浪人時以来である。あの時も、今とほぼ同じくらい家にこもっていた。
あれから、もう20年以上がたっているのか。早いものだ。

少し休んだ。少しでも休むと疲れがふっととれる気がする。

♪アファナシエフのシューベルト。

思い出す。あの後期ソナタ3曲のコンサートを。すごい演奏だった。あのような演奏はもう二度とお目にかかれないだろう。妻と一緒に聴きに行ったコンサート。そして、妻の妊娠が分かった日(実際には、その翌日か翌々日での病院で判明したのだが)。

いい。やはり音楽をかけながらPCに向かえるのはいい。これが理想の形だ。

午後、職場のIちゃんからTEL。
臍帯血ネットワークの役員の方と連絡をとってくれたそうで、T病院のT先生にセカンドオピニオンという形で相談に行くといいということを言ってくれたとのこと。臍帯血移植では世界でも最先端の実績を誇っている病院なので、臍帯血移植を望むのであれば、ここに任せるのが一番いいと。

ありがたいことだ。これでもう一つの希望の道が開けてきた。4人の骨髄移植のドナーと、臍帯血と。これまで主治医のH先生としては、臍帯血については否定的な見解だったので、そちらの道を探ることもあえてしてこなかったわけだが、きょうのIちゃんの話で、だいぶ心が動いた。むしろ臍帯血の方が自分としては、可能性が高いかもしれないと思えるようになった。

本当にありがたいことだ。このような展開になったのも、先週、妻がIさんに会い、その翌日、Iさんが同期のメンバーに知らせてくれたことから起こってきたものだ。うれしい。仮にこれで臍帯血によって助かるということがなかったにしても、本当に大きな意味のあることだと思う。

もう一つの担保がとれるということは、本当に気持ち的に大きい。もし、仮に骨髄の選択肢が失われたとしても、次の選択肢へとスムーズに移行できるのは、安心感が全然違う。

あす、さっそく紹介状を書いてもらうよう、H先生にはお願いするつもりだ。

セカンドオピニオンを予約

2005年9月20日(火)晴れ

闘病生活37日目。
自宅療養27日目。

<9月20日の採血結果>
白血球:1,910(標準:3,300~9,000)前回比 -80
ヘモグロビン:8.2(標準:13.5~17.5)前回比 -0.4
血小板:29,000(標準:140,000~340,000)前回比 -7,000

7時起床。

病院へ。

11時20分の予約だが、10時までに行って採血する。11時40分ごろ、呼ばれる。数値は、ほぼ横ばいだが、血小板が29,000と落ちていると告げられる。

触診をしてもらった後、臍帯血移植も選択肢に入れたいという話を自分から切り出す。
H先生は、それはいいですよ、と。快諾。ただし……と以下に続く。

・さい帯血はあくまでもセカンドチョイス、骨髄の結果が出てからでいいのでは。
・細胞の数が十分でなかったり、保存状態も不安な面もあったりする。
・もし臍帯血移植をするとなれば、これまで実績のあるところの方がいい。
・(妻より、こちらの病院で臍帯血移植をされたことは?)ありますよ。
・来週の診察の26日までに紹介状をつくっておきます。責任をもってやりますから、大丈夫です。安心してください。

ということで、H先生には、セカンドオピニオンについて、快諾していただいたので、一歩前進というところであろう。

家に帰って、妻からT病院に電話してもらい、T先生に直接お願いし、予約を入れていただいた。淡々とした感じで了解をもらったようだ。予約は29日木曜日の午前中。

その後、自分から、臍帯血ネットワークのAさんに電話を入れ、T先生に連絡がとれた旨、話させてもらった。

Aさんの話。

・臍帯血は早い者勝ちなので、当然、細胞の多いものからなくなっていく。
・現状の症状のこともあわせ、一日でも早い方がいいと。
・臍帯血移植で元気になってもらい、その経験を生かして、いつか語っていってもらいたい。

ありがたい。

妻からIちゃんにTEL。自分からIさんにメール。報告させてもらった。

このIちゃんの提案から始まった、この数日間の展開。素晴らしいものだ。まだ決まったわけではないが、もし、仮にT病院に移ったとしても、K医療センターとH先生がしてくださったことは自分にとってベストチョイスの判断であったと確信する。

これから、どうなるか、どうしていくか――勝負だ。これからが。

命を継ぐ分岐点

2005年9月23日(金)曇り 秋分の日

闘病生活40日目。
自宅療養30日目。

9時起床。

きょうは特に外部との接触もなく、落ち着いた一日だった。

ただ、きのうの夜は、かなり寝苦しく、3時過ぎに一度目が覚めてしまい、しばらくソファで横になった。風邪をひいてしまったかとちょっと心配だったが、大丈夫だったようだ。

夕方、T病院のHPからプリントアウトしてみた。いろいろ知れば知るほど、信頼度の高い病院であろうことがわかってきた。できれば、ここに移りたいという気持ちは高まってきている。

何とか臍帯血での移植で成功し、もう一つ大きな仕事へ向けて。頑張らなければならないのだ。死んでなどいられない。

闘病生活も40日を超えた。こんなにも家に長く居続けたことは結婚以来、一度もない。当たり前か。全く貴重な時間である。こういうことをしたくても、普通はできない。

来週の29日、T病院でどのような判断がくだされるのか。これは極めて重要な分岐点になると思う。妻も同じことを考えていると思う。

K医療センター、そして、H先生はとてもいい検査と診断をしていただいたと思う。感謝している。しかし、妻も繰り返し言うように、この病院で残された道は、ただ一つ、ひたすら骨髄バンクのドナーを待つしかないということ。これには、最低でも3か月の期間を必要とする。ということは、移植は早くて年末。そこまで、体がもてばいい。しかし、その保証はだれにもできない。もしかしたら、明日にでも急変してしまいかもしれない。であるならば、現時点で移植が可能なドナーが既に存在する、臍帯血にかけてみることは、決して間違った選択ではないはずだ。いや、むしろ、賢明な選択だと言っていい。

29日は、何とかして、受け入れをお願いすることにしよう。自分の命を守るためである。何としても、命の可能性を広げなければならない。

それにしても、妻も時折言うように、自分があすの命もわからないという感じはどうしてもしない。

悪い夢

2005年9月26日(月)晴れ

闘病生活43日目。
自宅療養33日目。

<9月26日の採血結果>
白血球:1,910(標準:3,300~9,000)前回比 -190
ヘモグロビン:8.2(標準:13.5~17.5)前回比 +0.1
血小板:29,000(標準:140,000~340,000)前回比 +1,000

7時起床。

体重、やや増え気味か。運動ゼロだけに、無理もないだろう。

きのうの晩は寝つきが悪い上に、夜、何度も目が覚めた。しかも、かなり悪い夢を見た。夢でよかった、全く。

きょうは病院の日。H先生に紹介状をもらってくる。さてどうなるか。

数値、ヘモグロビン、血小板ともに、0.1ポイント上昇。

紹介状は、あすもらうことになった。

続・悪夢

2005年9月27日(火)曇り

闘病生活44日目。
自宅療養34日目。

7時起床。きのうに続き、悪夢を見る。東京が大地震に見舞われ、崩壊してしまうという恐ろしい夢だった。続く、ここのところ、悪夢が。

10時採血のため、病院へ。きょうは往復ともに自分が運転。紹介状をH先生からいただく。(T病院の)T先生によろしく、とH先生。

続いて、遺伝子レベルのタイピング検査のための採血を萩原先生にしていただく。わずか2mlだけでいいのだそうだ。以前は20mlは必要だったらしい。

帰りがけ、久々に(学生時代に通った)喫茶店に寄る。この喫茶店もしばらく来ることがないだろう。8月15日ときょうの最終日(おそらく)に立ち寄れたのは、よかったと思う。

家に着くと、骨髄バンクからの案内資料が送られてきていた。骨髄と臍帯血、同時進行がいよいよスタートした。

さて、あさってのT病院を目指して、大事なヤマ場であることには間違いない。

夕方、少し眠る。またあまりよくない夢を見る。自分が病人になっているのに、その看病のために走り回るような役。登場人物、なぜか職場のN君ほか。

♪ブラームスの間奏曲。(コワセヴィッチ)

いい。特に今のような境遇においては、沁み入る音楽だ。以前、Sさんが勧めてくれたグールドの間奏曲も聴いてみることにしよう、今度。

音楽を聴きながら、日記に向かう。なんという幸せだろう。以前だったら、しごく当たり前のことが、今は幸せに感じる。病気になったことをだれもうれしいと思わないだろうが、自分の場合はなぜか、うれしいという気持ちが先に立つ。これほどの経験が果たして、できることがうれしくてたまらないのだ。だれでもできるものではない。一生の間に一度できるかできないか、いや、ほとんどの人ができないで終わる、この重大な病という経験を自分ができるということ自体が、光栄な思いでっぱいなのだ。そんなことをまともに言う人間はいないだろう。言ったらおかしいとも思われる。でも、この思いは正真正銘の偽りのない思いなのである。

♪シューマンのピアノ五重奏曲。

あの、『ファニーとアレクサンデル』で使われた曲の第1楽章が流れている。懐かしい。もう一度見たくなった。それにしても、あの映画で使われなかったら、自分の中で特別な曲になることもなかっただろうな、この曲も。我慢できず、例の2楽章を聴いている。すごい曲だ。この曲を使ったのがベルイマンかどうかは分からないが、見事な選曲だと思う。あの作品についても、追求してみたいと思う。漱石にしても、ベルイマンにしても、共通するのは、人間の生き様と家族。二人の共通点で探ってみるのも面白いかも。

そろそろ休まなければ。

骨髄異形成証拠群発症~臍帯血移植~人工透析生活へ