5.検査 アーカイブ

検査漬けの一日

2005年10月5日(水)雨

闘病生活52日目。
入院3日目。

6時15分起床。

きょうは10時から腹部エコー、11時15分からCT、14時15分から頭部MRIと検査が続く。まぁ、でもきのうのマルクに比べれば。

7:30
ジフルカン1錠。

8:00
パジャマが新しく変わったとのことで、若い看護助手さんMさん(初日からお世話になっている女性)がもってきてくださる。茶色っぽい地のパジャマだ。シャワーを浴びたら着替えよう。

9:00
N先生による採血。
6、7本か。

さて、10時からの検査に間に合うように、シャワーを浴びてこよう。

10:00
腹部エコー、CTを続けて。看護助手のMさんに案内してもらった。

腹部エコーはK医療センターでもしたが、今回は、お腹に糊のようなものがべったりと塗られた。その上から、端末でぐりぐりと押し付けられた。あまり気持ちのいいものではなかった。

担当の方から、肝臓に多少のざらつきが認められますとあった。数値が大丈夫であれば、問題ないでしょうとのこと。ほぅ、肝臓にざらつきか。10分程度で終了。

CTは、いつものレントゲンのお兄さん。元気がいい。
CTは、K医療センターでも行わなかったので、初体験。これをやってみたかったのだ。とはいえ、やってみたら、拍子抜けするほど簡単なものだった。例の丸い部分に体を通すのだが、3回息を止める間に撮影をした。それが速い。10秒から15秒くらいで終わってしまう。こんなに簡単なものなんだと驚いた。シンチみたいに、もっとじわじわと動いていって、撮影するものだとばかり思っていたので。
5分程度で終了。

11時の予定だったCTが続けてできたので、14時5分のMRIまで時間が空いた。ありがたい。思索の時間がもてる。

この時間を生かして、Iさんたち同期にメールを出そう。御礼の。

11:15
検温で看護師のIさんが来られる。
古い病棟について聞いてみたら、なんと築100年近くは経っているそうだ。すごい、すごすぎる。なので、壊すのにも、お金がかかりすぎるということで、新しく隣に建てたのだそうだ。大理石とか、螺旋階段とか、確かに重要文化財的な建物だと思う。納得。

12:00
食事。

次の検査は14:15なので、時間ができた。メールを2通書く。

さて、あと1時間。読書タイムとしようか。

13:00過ぎ
MRIに呼ばれる。順番が繰り上がったようだ。
話したことがなかった看護師さんに連れてもらい、地下のMRI室へ。少しソファでかけて待っていると、インド人のカップルが登場。サリーを着た女性が患者のようだ。日本語は、2人ともだめなようだ。

いつもの元気なお兄さんの案内で、中へ。K医療センターの時と基本的に変わらないが、違っていたのは、ただの耳栓ではなく、音楽(クラシック)が流れるイヤホンをしてもらったこと。なるほど、これなら、騒音を若干は緩和できるというものだ。途中眠くなるような場面もあったが、15分ほどで終了。

15:00ごろ
部屋のエアコンのフィルタの交換のため、少々ラウンジで待つ。いつものように患者のTさんが外を眺めていた。やはりフィルタ交換のためか、見舞いの方を含めて、10人近くがラウンジで話されていた。

時間は前後するが、Y先生、N先生が、採血の結果を知らせに来てくれた。

<10月5日の採血結果>
白血球:1,950(標準:3,300~9,000)前回比 +490
ヘモグロビン:8.1(標準:13.5~17.5)前回比 +0.3
血小板:31,000(標準:140,000~340,000)前回比 +10,000

ということで、前回の採血より数値はアップしている。そういうこともあるのだそうだ。全体的には下降気味ではあるが、中には、日単位でどんどん落ちていくケースもあるらしい。うーん、そう思うとやはり病院にいさせてもらうのは正解だ、というか、必須と感じる。

15:40
Iさんが見えられて、明日の検査のお知らせ。

14時20分から心エコー、外科受診、耳鼻科受診については、時間になったら呼ばれるとのこと。N先生がおっしゃっていたのだが、外科は、痔であるかどうかを見るそうだ。まずい。特にきょうはお尻がかなり痛んでいるだけに。ひっかかりそう。でもこの際だ、しっかりと治してもらうことにしよう。

15:53
やっぱり、当然のことながら、病院に入ってからというものの、日記の行数が増えている。かなり膨大に。それも当然であろう。
妻はいつもより遅めで、もう間もなく来るだろう。毎日ご苦労様だな。毎日じゃなくてもいいのだが。

入院してからまだ3日だが、既に1か月くらいいる気分だ。前回のK医療センターは3日目のこの時間にはもう退院していた。そう思うと、ほんとに短かった。

とにかく、この病院は、居心地がいい。最高である。お医者さんもスタッフの皆さんも、施設も、食事もすべてがいい。びっくりするくらい。自分に合っている。

16:30
夜担当の看護師さん、Iさんがあいさつに見える。
初めて会う人だ。

17:00前
妻到着。

18:20
食事。

19:00
妻帰る。

さて、ここからがフリータイムである。でもきょうは早めに休むことにしよう。さすがに寝不足気味か。きょうも6時に起きてしまったし。

21:30
就寝。
Iさんがわざわざ、消灯ですよ、と声をかけに来たので、きのうも寝不足のこともあり、早めに休むことにした。

初めての試練――痔

2005年10月6日(木)雨後晴れ

闘病生活53日目。
入院4日目。

5時00分起床。

5時ごろ、トイレで目が覚めたら、もう眠れなくなった。きのうは早めに眠ったので、1時間くらい早起きしてもいいだろう。

6:00
体重を計る。
きのう1食分抜いているせいか、若干、体重が減った。標準体重に近づきつつある。自分の場合、本当に、太り続けるということはないのが不思議だ。そういう遺伝子が組み込まれているということか。

熱:36.0
相変わらず熱は出ない。この状態を保ちたい。熱が出たら、何もできなくなる。

7:30
朝食
パンだった。

ジフルカン1錠。

8:00
シャワーを浴びる。
裸になってからひげそりがないことに気がつき、取ってこようとシャワールームの外に出ようとすると、看護師Saさんが来られていて、鉢合わせ。結局ベッド机に置いてあったひげそりをSaさんにとってきてもらってしまった。申し訳なかった。初めてのエピソードらしいエピソードか。

9:00
きょう担当のStさんとNさんが見えられる。おそうじに来られたが、シーツの交換がまだということで、終わった後にしますと言って戻られる。

9:30
メールをチェックすると、大学の後輩のE君からメール。大学の会合に関するF君からの転送メールだった。

『パンセ』を読む。赤線を引きながら読むことにする。この本は難解なので、マーカーをしないと、いつも振り出しに戻ってしまうから。

9:40
看護助手Mさんが来られて、外科の外来に呼ばれる。
1階の6番診察室で待つ。そういえば、1週間前の木曜、この5番の前で待っていたことを思い出す。そかそか。あれから1週間しか経っていないとは信じがたい。もう1か月くらい経っている気さえする。

呼ばれて診察室に入ると、若い先生だった。
N先生から、痔の検査をするようにと依頼があった旨を話された。で、横になって、診てもらう。ゼリーを塗って、指でぐいぐいと探られる。痛む。。。痛いと正直に言う。続けて機械で。恐怖。これはそんなに激しく痛いというほどではなかった。

終了して話を聞く。切れ痔が1か所ある、とのこと。ただ、血管から来るものではないので、大量の出血につながる恐れは少ない。慢性的なもので、この程度であれば、普通は経過を見るのだが、今の傷は放置しても治らないので、手術をする場合は、腰から麻酔を打って、痔の部分を切り取って、新しい傷にすると治る、とのことだそうだ。どうするかは、N先生と相談しながら進めます、とのこと。

特にきのうは痛かっただけに、やっぱりそうだったのだ。でも軽いものでよかった。どうなんだろう、思い切ってやってもらった方がいいのだろうか。この際、何でも経験しておこうということで、お願いしてみようか、こちらから。

10:00
部屋に戻って読書。
『パンセ』つづき。

外が明るくなってきた。久々の晴れだ。

耳鼻科の外来はいつ呼ばれるのだろうか。

11:30ごろ
うとうとして眠っていたら、シーツ交換ということで起こされた。しばしラウンジで待機。

11:45ごろ
N先生が見えられる。
脚については、ステロイド系の薬は使用しない方がいいとTa先生からあったので、新しい薬を処方します。
痔については、移植には当面問題なさそうで、手術をすると、その傷から出血する可能性があるので、検討したい。
9、10日は、連休なので、よかったら、外泊しても結構とのこと。
もちろん、ここ(病院)にいさせてもらうつもりだ。妻も当然のこと、そう言うに違いない。

さて、耳鼻科の外来診察はいつか。

やっぱり新しいシーツは気持ちがいい。脚をかかないように、気をつけよう。乾癬の皮でまた汚してしまわないように。

お昼になったので、診察は午後になるか。きょう売店でも行ってみようか。さすがに売店は、パジャマのままじゃまずいか。自分が恥ずかしい、第一。

12:00
昼食。
チキンソテー。

昼食が済んでから、ネットを見回していたら、ひょんなことから、脳腫瘍で4歳の娘さんを亡くされたお父さんのブログを見つけ、最後まで読む。これでもかこれでもかと追い討ちをかけるような病魔の仕打ちには、胸がつぶれる思いがした。ご両親の心情も淡々とつづりながらも、伝わってくる筆致でつづられていた。
病気と闘いを開始した自分だからこそ、読めた記録。もし、これが病気にかかることもなく、普通に暮らしていたら、今のように共感を持って読むことなどできなかったかもしれない。
わかばちゃんの冥福を祈りたい。

14:00
Mさんに耳鼻科から呼ばれたとのアナウンス。
行ってみると、お隣のおばちゃんと一緒に待つ格好に。ん? これでいいのかと思っていると案の定、Mさんが、先に心エコーへ行ってくださいとのこと。2Fへ移動。
すると、こちらでも一人心エコーを待っている人がいる。ん? 20分ほど待つ。
心エコーは、K医療センターでも行った、ほぼ同様のものだった。淡々とした先生だった。

終了後、1F外来、耳鼻科へ。
U先生。
特に問題はなさそうとのこと。レントゲンも見せてくれたのだが、副鼻腔にも、耳の周りも白く映っていないので、問題はないでしょうと。「治療、頑張ってください」と激励の言葉までかけてもらう。いい先生だった。

16:20
看護師さん交代で、Itさんに。きのうと同じ方だ。
Isさんはきょうはお休みだったようだ。一度も姿を見なかったので。

18:00
食事
ポトフがメイン。
おいしかった。

プルセ二ド錠(下剤)を飲んで、しばらくしてからトイレへ。
出ない。硬いのだ。きのうから全く出てないのだから無理はない。切れ痔に硬いウンチが容赦なく突き刺さる。痛い!痛い!30分はかかったろうか。ようやく、大きなヤマを越す。はーきつかった。
しばらくの間動けず。

20:30
Itさんが来て検温。
36.8度。
あすの便対策について検討。下剤にするか、浣腸にするか、座薬にするか。何でもいいから、一番効くのがいい、この際。

21:40
Y先生が来られ、お通じに関する薬のことで話す。結局、少し強めの液体状の下剤を出しましょうということになった。Y先生、こんなに遅くまで仕事してるのだ。本当にご苦労様です。ありがとうございます。

21:50
下の自販で、ミネラルウォーターを購入。

22:00
Itさんがラキソベロン(便秘薬。腸粘膜に作用し大腸の動きを活発にしたり腸で水分を吸収するのを防ぎ、便をやわらかくして排便しやすくします)をもってきてくれた。直接口の中に20滴注いでもらう。ちょっと変な気分だった(笑)。水を飲んで完了。

22:10
身の回りを整理して就寝。

しかし、おしりが痛む。時々お尻に力が入り、その時が突き上げるような痛さだ。なんということだ。自分は何の病気で入院したのだか、分からなくなった。血液ではなかったか。こんな形で、初めて苦痛にもだえながら眠らなければならない日が来るとは思わなかった。人生いろいろだ、全く。

恥ずかしがっている場合では……

2005年10月7日(金)晴れ

闘病生活54日目。
入院5日目。

<10月7日の採血結果>
白血球:1,910(標準:3,300~9,000)前回比 -40
ヘモグロビン:8.0(標準:13.5~17.5)前回比 -0.1
血小板:29,000(標準:140,000~340,000)前回比 -2,000

血小板が再び2万台に。2万を切ると輸血が必要となる。できればこのまま輸血なしの状態を維持したい。

6時15分起床。

7:30
朝食
赤身の魚粕漬け焼きがメイン。

8:00
シャワーを浴びる。

8:50
N先生、採血に見えられる。

N先生「週末は外泊されますか」

私「子どもが見舞いに来たいということなので、病院にいさせてもらう予定です」

N先生「お子さんは何歳ですか」

私「中学1年生です」

N先生「ウチの上の子と一緒です」

私「下のお子さんはおいくつですか」

N先生「小学校3年生です。よく話をしてくれて、職場でのことなどをうなずいて聞いてくれるんですよ」

私「いいことですね」

N先生「上の子はかなり私がプレッシャーをかけて育ててしまったかなと反省しているんですよ。姉は妹に厳しいのはその影響があるかなと思ってるんです」

私「そうなんですか」

採血終了。
やはりそれぞれの家庭でいろいろあるのだ、と思った。

9:15
きょうの担当のKsさんが見えてあいさつをしていかれる。初めての方だ。

9:30
シンチグラム撮影。
担当技師、マッキー(槇原敬之)似のKmさん。
医療センターの時と違い、時々動いては、じっと止まり撮影するタイプ。
1時間近くかかったろうか。途中で何度も眠ってしまった。

10:30
MRI心臓の撮影。
担当は同じくKmさん。
きょうのBGMはジャズだった。
深呼吸を15回くらい、微妙な間がおかしい。なんだろう、あれは一体。

11:15
病室に戻ると、N先生から、あすの歯医者さんへの行き方の案内があった。途中、Y先生も合流して説明があった。
気晴らしに品川で食事でもしてきてくださいとのこと。ありがたい。そうさせていただくことにした。

12:00
食事
五目炊き込みご飯がメイン。
うれしい、こういう食事は。
びわの缶詰が入っていたのもよかった。
何年ぶりだろう、びわを食べたのは。

15:00ごろ
妻、義母さん、義姉さんが見舞いに。義母さんは初めてだ。痔であったことを報告。笑いながらも心配してくれていた。
血の病気で入ったら、痔の病気がわかったとは、全く笑い話。

妻に水を大量に買ってきてもらった。

18:00
食事。
ハンバーグがメイン。セレクトした献立が、ばっちり。

19:00
Stさん、薬を持ってきてくれる。
ジフルカン1錠。
便を軟らかくする薬、マグラックス1錠。

痔の炎症を抑えるクリーム状のポステリサン1個(チューブ入り)。
要は、お尻に直接チューブから搾り出すことが必要。

ポステリサンについては、自分でやりますとは言ったものの、見えないので自信があるわけではない。どうするか――悩む。

ここはやってもらうことにするか。

相手は看護師さんだ。一般の女性ではない。ここを恥ずかしがっては、前に進めない、と思う

結局、意を決して(オーバーか)自分でやってみた。簡単だった。自然のうちにおしりに吸い込まれていた感じだ。患部に当たったのかどうかは不明だが、たぶん大丈夫であろう。

歯の診察のため外出

2005年10月8日(土)晴れ

闘病生活55日目。
入院6日目。

6時30分起床。

7:30
朝食
トースト。

きょうは歯科の受診に行くので、妻に朝から来てもらうことになっている。

シャワーを浴びようと思ったが、その前にお通じと思って頑張る。なんとか出たが、痛い。やっぱり。

トイレを出て、自分でポステリザンを必死に塗っていたところで妻登場。きちんと塗れていなかったとのことで、塗ってもらう。やっぱりこれは自分一人では無理のようだ。恥ずかしいが、お願いすることにしよう。

9:00ごろ
ST病院へ。
久々の外出。
正門前でタクシーを拾い、向かう。

STに到着。ロビーがホテル並み。今はどの病院もすごい。初診受付を済ませ歯科へ案内される。親切だ。

診察の前にレントゲンを撮る。
戻って順番を待つ。
移植をするに当たって問題はありません、とのこと。よかった。虫歯があると根治治療するか、抜いてしまわなければならないらしい。
抗がん剤によって免疫力がゼロになってしまうので、虫歯菌でさえも暴れ出し、致命的な問題を引き起こす恐れがあるのだという。
その意味で、5年以上かけて歯を治しておいたのは、本当によかったと安堵。

11:30
T病院近くまでタクシーで戻り、レストランに入る。妻、リゾット1800円、自分は地鶏2300円。おいしかった。

13:00過ぎ
病院に戻る。

15:00ごろ
妻帰る。

18:00
食事

このあとの通じでお尻の痛み、最悪の状態に。

Stさんにポステリザンを注入してもらう。
やっぱり人に注入してもらうのが一番だ。

22:00
就寝
痛み引かず、なかなか寝付かれなかった。

お尻の痛み、ピークに

2005年10月9日(日)雨

闘病生活56日目。
入院7日目。

6時30分起床。

朝起きてぐったり。

7:30
朝食。

お通じ。これもきつかった。ジンジンと痛みが続く。なんだろう、この痛みは。おしりをキリで突かれているようなといえばオーバーか。でも感覚はそれに近い。実際突かれたことがあるわけではないが。

きょうも軟膏を入れてもらった。看護師のMgさんに。とても上手だった。

午前中、おふくろさんに電話。来週だから17日の週に来るとのことだ。そんな遠距離ではないが、公衆電話はどうしても高くつく。あっという間に小銭が消えていく。PHSのレンタルもあるらしいが、どちらが得なのか、検討してみることにしよう。

静かな時が過ぎる。

12:00
昼食。
あまりの痛みのため椅子に座れず。立って食べる。情けないが仕方ない。

15:00過ぎ
N先生見えられる。
きのう微熱があったことを心配されたようだ。
でもきょうは下がっていたので、安心されていた。確かに肺炎などに今なってしまうと移植ができなくなってしまうから、注意が必要だ。気をつけよう。

18:00
食事。
また立って食べる。

直後お通じ。量は少なかったが、痛まない。おおと思って最後のひとかけらを出すと、ガツンと痛みが来る。変わらなかった……。
焦らずいこう。

21:00
Isさんにポステリザンを入れてもらう。上手だった。一瞬で終わった。

痔の痛み、続く

2005年10月10日(月)雨

闘病生活57日目。
入院8日目。

6時30分起床。

Asさんが検温に。熱はなし。
体重:60.75

7:30
食事。
ベッドで正座で食べてみる。まあまあ楽だった。

8:00
シャワーを浴びる。

9:00
清掃に来られるおじさんと少し話す。福井の出身だそうだ。月に25日から26日も働いているとのこと。
働かせてもらえること自体、ありがたいと話されていた。沁みる言葉だ。

9:50
Ksさんにポステリザン、注入してもらう。上手だ。当たり前なのかもしれないが皆さんさすがである。

12:00
昼食。
体育の日弁当。
栗おこわがメイン。おいしかった。

15時ごろから、恩師への手紙を書く。一度書いたものを結局、ほとんど書き直してしまった。ワードで2枚はちょっと長いか。あす来る予定の妻が読んでくれるとのことなので、判断をあおぐことにしよう。デスクとしての能力はたいしたものだからだ。

18:00
夕食。
ポークしょうが焼きがメイン。

きょうは夜のお通じはしないでおこうと思う。なかなか調子がいいので、このまま固めてしまいたいと思うから。なんとかこの辺りで決着をつけたい。いつまでも痔でひきずっていてもいけない。
でも、まだまだあの突き上げる痛みは不定期でやってくる。きつい、真剣に。

娘が見舞いに

2005年10月11日(火)曇り時々晴れ

闘病生活58日目。
入院9日目。

<10月11日の採血結果>
白血球:1,090(標準:3,300~9,000)前回比 -820
ヘモグロビン:7.8(標準:13.5~17.5)前回比 -0.2
血小板:23,000(標準:140,000~340,000)前回比 -6,000

6時30分起床。

きょうの目覚めもいい。ただ、相変わらず悪い夢を見るのはいかがなものか。

体重:60.40kg
体温:36.9℃

お尻の状態は、きのうの眠っている間は、ほとんど問題なかった。痛みで起きることもなかった。

7:30
食事。
パン。
ウインナーを挟んで食べる。おいしかった。

この後のお通じ、2ないし3きれの塊しか出ない。仕方ないとシャワーをかけるがこれもたいしたことない。よしよしと。で、ふき取ると、きのうの薬とともに、茶色いものが見受けられたので、念のためともう一度腰を下ろし、シャワーすると、ここできた!
あー、うー。言葉にならない。脳天を突く痛み。全く身動きがとれず。進退きわまれりとはこのことか。ズボンをあげることもできない。なんとか片足でひっかけてあげる。この痛み、10分以上続く。全く地獄の苦しみであった。シャワーを浴びようと思っていた気力も失せ、横になる。きょうはだめだとあきらめる。

10:00ごろ
N先生が見えられ、採血。今週の検査はきょうの呼吸機能と眼科しかないとのこと。楽な1週間となりそうだ。

採血の結果はY先生がもってきてくださったのだが、全体的に下降している。特に白血球。気をつけなければいけない。
あとCRP定量(炎症反応)が高くなったのは、お尻の炎症によるものと思われるという話もされていた。なるほど、体は正直なものだ。

続いてStさん、ポステリザンをもってきていただく。同時に呼吸機能が呼ばれたので、帰ってから注入していただくことにする。

呼吸機能検査へ。
29日に心電図をとってくれた年配の品のいいしゃべり方をする女性の方だった。きょうも丁寧に教えながら、2回ずつ行う。いずれも予想の100%を上回るいい成績が出た。担当の方のアドバイスのおかげである。

病室に戻ると、ドーナツ型の椅子が置いてある。おお!ありがたや。さっそく試してみる。これはグッドである。今もその椅子に座ってパソコンを打っているが、完璧だ。痛みゼロ。助かった……と思わずため息。

Stさんに薬を入れてもらう。これだけが最近の唯一の楽しみだ(冗談)。

11:00
教授回診。To教授を筆頭にU先生、N先生、あと、ちょっと顔が分からない方が2名。
痔のことを聞かれた。そして、お尻も覗かれた。薬が入っているので、はっきりは見えなかったと思う。経過を診ていきましょう、とのことであった。

12:00
食事。
牛丼。ありがたい、こういうメニューは。おしかった。

お通じあり、かなり大量に出るが、痛みはさほどなく。おお、いよいよ治る兆候か。
勢いでシャワーも浴びる。
気持ちよかった。

14:20ごろ
妻と娘、面会に。10日ぶりの再会。
娘はいつものように元気そうだった。ほっとした。きょうから始まるドラマの「1リットルの涙」を見てほしいとのこと。ジャニーズJrの“サナティー”が出ているらしい。21時からだから30分しか見られないが、見てみようと思う。
クラスの学級委員の布陣も教えてもらう。そかそか。

相変わらず学校へ行きたくない、と漏らしている。その気持ちはよくわかる。パパの性格のせいだと言っていた。ママのようだったらとも。そのうち、ママの性格がバリバリ出てくるよ、心配しなくても。

16:00ごろ
妻と娘ら帰る。

17:00ごろ
N先生見えられる。
動脈の採血。

18:00
夕食。
豚肉のしょうが焼きがメイン。
梅干がついていたので、これはさすがに残した。

21:00
娘と約束した「1リットルの涙」を30分まで見る。“サナティ”、大活躍。娘も感動してメールを送ってきた。
この間に、Ta先生見えられる。「退屈されていませんか」と。いつもやさしいTa先生であった。

21:30
Asさん見えて、ポステリザンの注入。あまり期待はしていなかったが、4人中4番の出来。当然だろう。あの経験のなさでは。かなり穴をかき回されてしまった。痛い、といえないのが悲しい性か……。徐々に改めていくことにしよう。

この後、もう少しドラマを見てから眠る。

しばらく音楽を聴いていたから、眠りに着いたのは、12時前くらいだったろうか。

娘とジャニ話で盛り上がる

2005年10月12日(水)晴れ

闘病生活59日目。
入院10日目。

5時30分起床。

いつもより早く目覚める。
おかげでこの病院に来て初めての日の出を見ることができた。

体重も朝一で計ることができた。
60.70くらいだったか。
熱も36.6くらいで安定。

7:30
食事。
凍り豆腐の玉子和えがメイン。
凍り豆腐は苦手なので、残念。

8:40
妻へ電話し、しばらく話す。

妻との電話でも確認したのだが、基本的には、お見舞いは、原則不可能ということにすることにした。いずれ7階に行けば、家族以外は面会はできなくなるのだし。それに準じた考えでいた方が確かにいいだろう。

そう思うにつけ、妻の考え方というのは正しいと思う。しっかりしている。王道というのか。命がかかっているのだから、という言葉をよく使うように、必死になってくれているからだ。本人がもっと緊張感をもっていかなければならないのかもしれない。

いずれにしても、見舞い客については当面、受け入れない方向でいこうと決めた。

9:30ごろ
N先生が見えられ、診察。
脚の付け根のリンパがやはりまだ少し腫れているとのこと。お尻も見てもらったが、赤くもなくいい状態にあるとのこと。よかった。これで治癒の方向に向かっていることがはっきりした。

10:30
シャワーを浴びる。最近はこのくらいの時間が定番となりつつある。検査が入っていないので、この時間がやはり入りやすい。

11:00
Stさんにポステリザン、注入してもらう。

12:00
昼食。
白身魚のマヨネーズ焼きがメイン。

13:00ごろ
Y先生見えられる。
痔の状況など聞いていかれた。

13:30
少し眠る。

16:00
トイレに入り、お通じ。
したものの、やはり後遺症に苦しむ。この現象は一体何なんだろうか。さっぱりわからん……。しかも、この痛みは、しばらく続く。今、30分くらいが経っているが、いまだに痛みは消えない。ので、このPCは立って打っている。困ったものである。全くもって。運動不足解消のためにはいいのか。そんなこともなかろう。

18:00
食事。
ポークの味噌焼きがメイン。
フルーツにさくらんぼが3つも入っているのが痛かった。

19:00
娘に電話。

(以降、ジャニーズJrに詳しい方のみお読み下さい)
ジャニ話(バナ)で盛り上がる。
きのうの『1リットルの涙』のサナティー話など。かなりの露出度には娘も驚いていた。
約束として、土曜日の『ノブタをプロデュース』と日曜日の『Ya-Ya-yah』には注目とのこと。ノブタは、ゆうとんが、ヤーは、JJの新曲が披露されるらしい。

この辺りは、離れていても、病院に入っていたとしても、しっかりと押さえておかないと、取り残されてしまう。頑張って着いていこうと思う。

数値は落ち着いている

2005年10月13日(木)晴れ

連続記帳2643日(98年6月28日以来)

闘病生活60日目(05年8月15日告知以来)
入院11日目。

<10月13日の採血結果>
白血球:1,240(標準:3,300~9,000)前回比 +150
ヘモグロビン:7.5(標準:13.5~17.5)前回比 -0.3
血小板:28,000(標準:140,000~340,000)前回比 +5,000

6時20分起床。

体重を計る。60.20kg
体温:36.7℃

相変わらず熱はない。が、お尻の状態はイマイチというところ。

7:30
食事。
パン、野菜のグラタン。

妻と電話で話す。
骨髄バンクコーディネートの件で、Y先生と相談がしたいと。担当医師を医療センターのH先生からY先生へ変更してもらった方がいいと。確かにその通りだ。今は靴の上からかゆみをかくようなものだから。できれば今日中に決着を着けたいと。

お通じ。かなり順調。ウォシュレットもほぼ痛みなし。しかし、その後、しばらく鈍痛が続く。なんだろうな、この感じ。とっても嫌な感じだ。

8:30
友人のEさんに久しぶりのメールを出す。何ヶ月ぶりだろう。これからはちょくちょく出していくことにしよう。

9:00
N先生、採血。
痔の状態など話す。あまりかんばしい状態じゃないのですと。外科の先生と相談してくださるそうだ。

一度戻られて、また来てくださり、普通だったら、何もしなくて済むところではあるが、移植を控えているので、移植チームの先生方と相談をした上で結論を出す、とのことであった。

採血の結果をもらったのは、14日だったが、ヘモグロビンが0.3下がったほかは、上昇。ぎりぎりのところではあるが、持ちこたえている。ありがたい。この調子を維持させたい。

10:00
妻よりメールあり、Y先生と話せたとのこと。それで、バンクの担当医師変更の件も了解してくださったとのこと。よかった、よかった。これでよりスムーズに行く体制が整った。

10:15
業者の男性がシーツ交換に来られる。
きょうはじっくりと作業を拝見させてもらった。見事だ。一人で、あんなにビシッとシーツが敷けるというのはやはり熟練の技というべきものだ。出来立てのシーツは、上に乗るのが惜しいほどの美しさを備えていた。

10:30
シャワーを浴びる。やはり気持ちがいいものだ。この病院は何においても素晴らしいが、このシャワーが自由に浴びれるという点が最高にうれしい。おかげで体もよくなるような気がする。

11:00
シャワーを出て涼む。ネットにつなごうとするが、つながらない。シャワーを浴びる前も実は急につながらない状況になったのだった。もしこのままつながらない状態が続けば、ちょっと厳しい状況になる。なんとか自力で通信の手段を確保しなければ、この先、苦しい。どう考えても。今はなんとか、回復してくれることを願うばかりだ。

まずい。それにしてもまずい。どうしたものか。入院生活最大のピンチである。

12:00
昼食。
厚焼き玉子、肉じゃが。

突然、ネットが復旧。プロバイダのHPを見るとプロバイダ側の問題であった。エアエッジ専用回線に障害が起こったとのこと。これがこちらサイドの問題であれば、かなりやばい状況に追い込まれていた。ほんと、助かった。

12:30ごろ
Ta先生見えられる。
きのう、妻から電話があったことなど。Y先生と直接話ができたことをお伝えする。
お尻を見ていただく。特にコメントはなかった。

13:00
妻、登場。
ティッシュをもってきてもらった。きょうちょうど2個同時に切れただけに、なんとタイミングがいいのだろう。本当に、こういうところは天才的だと尊敬する。

14:00ごろ
Stさんに、脚に薬を塗った上にサランラップを巻いてもらう。この方が保湿ができるので、いいのではないかと。
うん、なかなかいい感じである。これでしばらく試してみることにする。

妻、飲み物の補充で下の自販で買ってきてくれる。大量に買ってきてくれた。ありがたい。

小枝も食べる。

15:00ごろ
お通じへ。
排便も、ウォシュレットもほとんど完璧といっていいくらい痛みはこない。よしよしと。しかし、ベッドに戻ったら、痛みが差し込んできた。なんだろう。
収まってから、Stさんにポステリザンを注入してもらう。ふー。

16:00ごろ
妻、帰る。

きょうは夜はみんなへのメールを書く時間に充てようと思っている。まだ知らせていない人も多いし。

18:00
食事。
あじの塩焼きがメイン。

その後、Iwへのメールを書く。

20:00
夜の担当の看護師、Kwさんに7階のことを聞いてみた。そうしたら、無菌室は他の階とつくりは違うが、それ以外はあまり変わらないとのこと。すべて個室になっている、というのは甘い幻想だったようだ。ということは、常に7階は埋まっているということだし、2、4人部屋にぎっしり人がいるということだ。この4階のようなゆったりした空間とはちょっと様子が違うということになる。なんだ。ちょっとがっかり。まぁ、でもそれが普通の病院のあり方だから。今がちょっと贅沢すぎるのだ。富豪じゃあるまいし。今の状態がよすぎた、と思うべし。
それはそれで何とか乗り切っていくしかないですな。夜景とかなんとか悠長なことは、言ってられなくなる。

あすは眼科。最後の検査となる。そして、どのような展開に今後なっていくのか。楽しみであり、不安でもあり。いい方向に必ず行く。そのことだけを信じて頑張ろう。

22:00
就寝

眼科の診察

2005年10月14日(金)晴れ

闘病生活61日目。
入院12日目。

6時10分起床。

お尻の状態も完璧とはいわなくても8割方よくなっているという感触。あとはお通じ時とその後がどうかである。

脚の方も、きのう、Stさんがサランラップを巻いてくれたおかげか、しっとりとした状態になっていて、いつもの朝のように、かさかさにはなっていない。サランラップ作戦、成功といえるかもしれない。

7:30
食事。
はんぺんの煮物がメイン。
牛乳を胃に流し込んで一気にお通じにもっていく。

さっそくもよおし、トイレへ。
痛くない。全くといっていいほど。
おお! うれし涙が出そうになる。

ところが、油断大敵である。

トイレを出て5分後、じわじわとお尻の痛みに襲われる。
来た! やっぱりまだ敵はしっかりと潜んでいた。なかなか手ごわいものだ。15分ほど、ベッドに横になり、痛みに耐える。

8:00
痛みに耐えながら、ブログの闘病記などを探しているうちに、「もし自分でするならどこにしよう」とふと思い浮かび、一覧をずらっと見ていくと、アサヒネットが運営する、“アサブロ”というブログが目に止まった。会員専用だという。なるほど。どうせ無料なら、会員限定という方が気分的にいいかもと思い、何気なく登録してしまった。手続きがすんなり進んだ。

8:40
看護師のIsさん、ベッドのお掃除に来てくれる。ベッドから起きると、シーツに血が……。どうやら眠っている時、脚を掻いて、出血してしまったようだ。
Isさんが交換しましょう、と手早くシーツを交換。見事な腕前だ。Isさん曰く、「旅館などで、仲居さんが敷くのを気になって見てしまうんですよね」と。そうだろう、ここまで見事に自分で敷けるのであれば。

9:00
さっそくブログに書き込んでみることにした。きょうの分の日記を若干アレンジして。
やってみた。当然ながら簡単だった。
ということで、なんという気なしの『MDS闘病記』スタートなのである。

10:15
眼科の診察に呼ばれる。

1Fの外来診察室へ。
もう慣れたことだが、入院用のパジャマを着て、外来の診察を待つ人たちの前に出るのは、いささか恥ずかしいものだ。
『あの人、なんであんな格好しているんだろう』……といった好奇の眼差しが容赦なく注がれる。

8番診察をノックすると、Ng先生が待っていた。

問診に続き、視力の検査。メガネを作る時にする、レンズを交換しながら見えやすい状態にもっていく方法だ。

その後、機械を使って、目の中を検査してもらう。

目薬を打った後、眼底の検査をするために、もう一つ目薬を打ちますとのこと。
その薬は、瞳孔を開かせるため、まぶしかったり、焦点が合わなくなったりします、とのこと。ただ、何をしてはいけないといった制限事項は一切ありません。

薬が効く30分後にまた来てくださいと言われ。病室に戻る。

と、病室に戻って今、この日記を打っているわけだが、まさに先生のおっしゃる通り! 遠くは問題ないのだが、PCの画面、キーボードがボケボケ……。2重、3重の像となっていて、見えにくいことこの上ない。

先生によると、この状態が5、6時間続くとのこと。うわぁー厳しいなぁ。人によっては全然大丈夫という人もいるらしいが、自分の場合は、全然大丈夫じゃない部類の人間だったようだ。

11:00
指定の時間にもう一度眼科へ。
機械を通して、目の状態をじっくりと見ていただく。

終わって、移植に向けて心配となるところはないでしょう、とのお話し。

この後、移植後の一般的にかかりやすい病気として4つを挙げられる。
(1)白内障
(2)GVHD
(3)感染症
(4)眼底出血

このうち、(1)と(2)については、罹患率50%とのこと。(1)については、すぐに発症するのではなく、2、3年経過してからが多いらしい。原因は、放射線を浴びること。眼内レンズは、放射線の影響を受けやすく、白く濁ってしまう性質があるそうだ。ただ、これは今は簡単な手術(レンズをプラスチック製に取り替える)ことで治せるとのことであった。
(2)については、他の臓器と同様、影響を受けるものに涙腺がある。これによって目が乾きやすくなるので、目薬の常用が欠かせなくなるとのこと。

以下の(3)(4)については、まれなケース。
(3)は網膜の部分に感染症が起こりやすいとのこと。しかし、これまでT病院では何百人のうちかかったケースが2,3例らしい。
(4)については、網膜の血管から出血するのだが、これはほとんどレアケースで、T病院ではまだ一例もないそうだ。海外でたまに聞く程度なので心配はないでしょうとのこと。

以上。ということで、目に関しては基本的に安心して移植を受けることができるということが明確になった。

これで、全検査終了である。2週間にわたった検査イベントがようやく終わった。ほとんどが何も苦痛を感じずに済んだ検査ばかりだったが、唯一、マルクと外科(痔)だけは、きつかった。これは仕方ないことだろう。

11:45
妻とTEL。目の検査のこと、きのうの血液の数値のことなどについて話す。妻の健診の結果が返ってきたらしいのだが、血小板はなんと25万もあるそうだ。おー、うらやましい。8倍以上か。ほんとに分けてほしいものだよ。

12:00
昼食。
舞茸ご飯。
魚の黄金焼き。

舞茸ご飯がおいしかった。

14:00
シャワーを浴びる。
気持ちがいい。これは毎日欠かせない。

ここから夜まで一気にブログの投稿に集中する。

18:00
夕食。
豚肉ハワイアン風。うーん、ちょっと寂しかったかな。

夕食後もブログ作業続く。

21:00ごろ
Ta先生見えられる。
あえてスケジュールのことを聞いてみたら、先生としては、11月中を念頭に進めている旨を話してくれた。ありがたいことだ。
あと低形成については、移植に与える悪い因子とはいえないとの話もしていただき安心する。
本当にいい先生だ、Ta先生。尊敬します。

日時: 2005年10月14日 22:22 | パーマリンク | トラックバック (0)

2005年10月15日

T病院のゆったり感はどこから来るのか

2005年10月15日(土)曇り

闘病生活62日目。
入院13日目。

6時25分起床。

朝の検温に来ていただいた看護師さんは初めての方で、Udさんという方だった。
パソコンを見て、私のと一緒ですねと。T1を持っているようだ。最近、ブルースクリーンに悩まされているという。早めのリカバリーをお勧めした。ベッキーなどソフトのインストールのことで躊躇されていたが、再ダウンロードし、認証キーを入れてあげれば全く問題ないことも。
詳しいですねぇと言われた。ちょっと仕事で、と言ったが、そういえば、そういう話をするのも久々のような気がする。
Udさん、とても明るくていい感じの看護師さんだ。

7:30
朝食
ロールパン、レーズンパン。
えびのサラダ。

8:00
きょう第一回のお通じ。
排便、ウォシュレットまでは○。
やはり、その後、やや痛みが来る。しばらくベッドで休むが以前のように続くものではなかった。やはり少しずつよくなっているようだ。

8:30
ブログの続き。きょうは8月15日、告知の日から以降を。

11:00
シャワーを浴びる。

11:45ごろ
Y先生見えられる。
お尻の件、基本的に手術をしないでいきましょうと外科の先生方と相談し、その方向性になったとのこと。自分としてもその方がありがたい。

11:50
Ssさん来られ、ポステリザンを注入してもらう。

Ssさんは、この病院は7年目で、今年の4月までは血液にいらっしゃったとのこと。
ちょうどそのころ胆石でオペをされたらしい。そういうこともあるんだ。

T病院が比較的ゆったりしていることについて、先端治療を研究しているということで、国からの補助に支えられていると言われていた。しかも、だれにでも診療の門戸は開かれていると。普通は、風邪をひいたくらいでは、この病院に来ようとはしないが。
一部では、穴場の病院といわれていると。

旧病棟ができたのは大正時代らしく、関東大震災に耐えたという話には感心した。でもそれだけ、頑丈な造りになっていることは間違いなさそう。建て直すより壊す方がお金がかかるというのもうなずける。いたるところに大理石などが使われているらしいから。

13:00
妻到着。

特捜オンブズマンなどテレビを見る。
妻が来た時でもないとテレビも見ないし。あ、でもきょうは9時から『野ブタ。をプロデュース』は見るつもり。娘との約束なので。

下着、飲料水など、たっぷり補充してもらう。

16:00
妻帰る。
今度は、おやじさんたちと水曜日に来るとのこと。
日、月、火と3日間は誰も来ず、フリーとなる。

16:10
夕方担当のKsさんあいさつに来られる。話すのは初めてかも。

18:00
食事。
チキンカツがメイン。

18:45ごろ
Ksさんが来て検温。

PCでちょうどショパンがかかっていたら、これ、「~~」ですね、と。確証はなかったが、「よく知ってますね」と答えた。
映画のサントラが好きで、「ピアノレッスン」が大好きだという。
少々、PCでの音楽のことなどで話す。
とてもいい感じの看護師さんだ。

19:30
きょうは21時から野ブタを見るので、早めに歯磨きを完了。

8:30
妻が来ている昼からそうだったのだが、どうも頭がぼうっとして働かない。仕事をしていた時、よくなったように。
きょうはそんな感じが続いた。
ヘモグロビンが減少しているせいか。

いずれにしても、しばらくは、きょうのように検査なし、治療なしの基本的には何もすることがない状態が続くであろう。

一日一日が大切。一瞬一瞬が大切なのである。そう思うにつけ、このPCが手元にあるということは本当に素晴らしいことだ。これがなければ、気がおかしくなるくらいにすることがない、本を読むことしかできなかったと思うから。

ブログは順調に書き進めている。これをいつ、どのような形で公表するのか。それをしばらく考えたい。

きょうは遠くが霞んだように見える天気だ。だからきょうの夜景は冴えない。ぼんやりとしている。こういう日もあるだろう。

Sbさんにメールしようか。あと、Kiさんにもしなければ。せっかくNzが教えてくれたのだから。
でも、Nzに、サークルの先輩たちに自然な形で伝えてというのは、酷な話だったかもしれない。そんな重い病気のことを、自然な形で伝えられるわけがないではないか。
KdにもMLの前に知らせておきたい。明日にでも電話するか。そうだ、彼には電話だな。
だから、あしたは、Kd、Hg、Otにも電話をしよう。日曜日はねらい目だ。

闘病開始から2か月か。短かったのか、長かったのか。これから、今までに倍する入院生活、リカバリー生活が待っている。これからが本格的な本番だ。

今後のスケジュールについて考える

2005年10月16日(日)雨のち曇り

闘病生活63日目。
入院14日目。

6時30分起床。

Udさんの検温で起こされた。きのうKmさんに話したからか、ブログの話題が出て、Udさんは3年前くらいからHPとブログをもっているらしく、かなりのヘビーユーザー。最近は携帯でブログを更新しているらしい。

7:30
朝食。
ロールパン2個。
コンビネーションサラダ。

お通じ。
快調である。
直後の痛みも以前に比べると大いに緩和されている。よかった。

9:30
きょうの担当のNtさんが挨拶に来られる。単独でつかれるのは初めてかも。

10:00
Ntさんがお掃除に来られる。
通勤時間30分くらいで近いことを理由に、この病院に移ることにしたらしい。
あと、東京タワーがピンク色になることがある、という話も教えてもらった。ピンクリボンの関係で。

12:00
昼食。
豚肉の南部焼きがメイン。
レアチーズケーキがおいしかった。

12:25
娘との約束通り、『Ya-Ya-yah』のライブステージを見る。
J.J.Expressの新曲を聴くことができた。よかった、よかった。

14:00
Ntさんが来られる。Ntさんもかなりパソコンに詳しいとのことだ。
それで、私がブログを開設するという噂が広がっているみたいで、Ntさんもそのことを言及されていた。そうか。これは期待に応えてやらなければならなくなった。確かにブログを作っておけば詳しいことを一つひとつ説明しなくても済むというメリットがある。そうだな、やってみるか、というか、もう始めているが。

14:30
銀行から骨髄移植財団の患者負担金を振り込む。56,900円。HLAのタイピング検査料。

18:00
夕食。
和風ハンバーグ。おいしかった。

20:00
もう歯も磨いてしまった。完璧だ。

お尻の方はほぼ完璧である。お通じの際の痛みもほとんどないに等しいものになった。よかった。

脚もサランラップ作戦のおかげで、だいぶ落ち着いている。なにしろ、ラップで巻いていると、掻かずに済むのが大きい。どうしても裸の状態で、かさついてくると掻いてしまうから。

入院生活もきょうでちょうど2週間。闘病生活2か月のうち、4分の1をここで過ごしたことになる。この割合がこれからどんどん大きくなっていく。まさに生活の場になっていくわけだ。

Ta先生のこの前の話では、移植の時期を11月中と念頭に置いているとのこと。ということは、12月いっぱい無菌室、3か月のリカバリー。4月退院という、とりあえずの目当てが立つ。
ただ、移植後の経過は、本当に人によって個人差が出る。GVHDが強い、弱い、感染症が出る、出ない、それによって、3か月が3年になったりする。自分の場合、どうなのか。やってみないとわからないのは当然としてももちろん3年はきつい。4月に退院、9月に職場復帰、という流れが最も理想的なのではないか。発病から約1年後の復帰。これを目指していきたい。半年は無理だろう。早すぎる。1年は時間がほしい。

ただ、11月に移植が決まった場合、確かに、それまでの間、あと1か月近く、現在のような生活が果たして続いていくのだろうか。今の状態のように安定している限りは、そうなんだろう。血液の数値はほぼ横ばいの状態が続いている。血小板の輸血もこのままであれば、しなくて済みそうだし。

骨髄バンクのドナーは2名に

2005年10月17日(月)雨

闘病生活64日目。
入院15日目。

<10月17日の採血結果>
白血球:1,590(標準:3,300~9,000)前回比 +250
ヘモグロビン:7.7(標準:13.5~17.5)前回比 +0.2
血小板:26,000(標準:140,000~340,000)前回比 -2,000

5時30分起床。

サークルのSz君、Wkちゃんからメールをもらう。うれしい。ただ、ひたすらうれしい。

7:30
朝食。
シュウマイがメイン。

9:00
N先生、採血に来られる。
今回は、パソコンの通信環境などについて聞いていかれた。PHSですといってもよく分からなかったようだ。
ちなみに先生はクリエを持ち歩いていらっしゃるとのこと。

採血の数値は上の通りだが、横ばいで安定している。このままいってくれれば、11月中といわれている移植まではなんとかもっていけそうである。

きょうの昼担当の看護師さんはIsさん。どこに住んでいるのか聞いてみたら、川崎だそうだ。40分くらい。やっぱり皆さんそんなに遠くからは通っていないようだ。Isさんはいつものように物静かであった。

脚の薬がなくなりかけているので、Isさんにお願いする。あと、肩こりが激しいので、塗り薬でもあればとお願いしておいた。

10:00
Y先生来られる。
きのう妻から言われていた、骨髄バンクのことなどについて、お願いしておいた。

11:00
シャワーを浴びる。

脚に薬を塗る。

12:00
昼食。
銀だらの煮付けがメイン。おいしかった。

14:30
妻と電話で話す。
骨髄バンクに確認したところ、確認検査が進んでいるドナーは2名で、Y先生がおっしゃっている一人とは違っていると。この辺りを確認してほしいと要望があった。

午後、Kiさん、Wkちゃん、Sz君宛のメールを一気に書いて送る。

16:30
本を読んでいたら、眠くなったので、30分ほど仮眠。楽になった。

18:00
夕食。
うなぎの蒲焼がメイン。
このようなメニューを出してくれるのが本当にありがたい。

18:30
N先生が見えられ、肩こりを抑えるための薬について説明あり。塗り薬の鎮痛剤の場合、血小板に与える影響があるので、使用しない方がいいとの移植チームの先生方の話があったとのこと。

19:00
歯磨き。
ここのところ、夕食が済み次第、歯を磨く習慣としている。これはいいと思う。あとで面倒にならないから。もうこの後、口に入れるものは何もないし。
あとは、21:30の就寝へ自由な時間がとれるというものだ。

きのうから痔の軟膏を塗らなくなっても大丈夫になっている。よかった、本当に。まだ完璧ではないものの、だいぶ薄れてきているから。

きょうは外は一日雨だった。会社に普通に行ってたら、この天候は大変だったろう。せっかく歩きやすい季節になったのに、こんなに雨続きじゃ。でもこの病気のことがわかっていなかったら、そんな生活を続けていたはず。間違いなく。

♪グールドのバッハ。

久々に。やはりいい。これが原点であると感じる。

もし……今回の健康診断をパスするなり、病気のことが表面化していなかったら、どのようなことになっていただろうか。自転車に乗り、乗れない時は歩いてと、ここ1年間続いた生活パターンを繰り返していたに違いない。ということは……確実に倒れていたということになる。今は何とか普通にしていられるのも、病院というシェルターの中にいるからこそ。それでも、院内ではかなりの気の使いようである。これが何も分からないまま、外界で暮らしていたら、やばかったはずである。守られたのである。

20:15
あと1時間。夜は時間がたつのが早い。当然だろう、6時半に食事が終わってから、3時間しかないのだから。

それにしても、最近はよく眠れる。痔も治まってきたからだろう。CRP定量も標準値に下がっていた。正直なものだ。
ほとんど、おしっこ以外で目覚めることもなくなった。8時間はたっぷり眠っていることになる。いいことだ。だから、この時間になるともう頭がぼんやりとしてきて、眠い状態に入る。素晴らしいことだろう。

21:45
就寝。

T病院について

2005年10月18日(火)雨

闘病生活65日目。
入院16日目。

6時30分起床。

Mgさんの検温で起きる。

体重を計りにスタッフステーションの前を通ると、ハロウィンの飾りつけが。例のかぼちゃの。こういう飾りつけは小児科だけなのかなと思っていたけど。なかなかしゃれてできていた。

7:30
朝食。
サラダ、ロールパン、黒糖パン。

朝食に続いてお通じ。
快調である。マグラックスのおかげといえよう。

8:40
昼担当のFjさん見えられる。

それにしても雨が続く。どうしたことだろう。籠の中の鴨であるからには、天気はあまり関係ないといえばそれまでなのだが。

8:50
N先生見えられ、午前中、回診があるので、お部屋にいてください、とのこと。
教授回診もこれで3回目だ。

11:00
To教授の回診。N先生、U先生、その他、先生2名、K師長。

12:00
昼食。
煮込みハンバーグがメイン。おいしかった。満足、満足。

14:00
うとうとと眠くなる。少し横に。

14:30
Fjさん来られて、少し話をする。パソコンのこと、文章のこと、住んでいるところなど。
Fjさんは私と同じ沿線に住んでいるとのこと。
彼女は作家になる夢をもっているとのこと。童話作家を志していたが、内容が暗くなるので、小説の方が合うのかなと思っているなどの話をされていた。面白い人だ。

Hg、Stさん、Nzにメール。

メールは一日3通までと限定しようか。さすがにそれ以上だとつらくなるかも。

16:30
きょうも日が暮れた。入院16日目があと4時間ほどで終わろうとしている。友人にメールを書いて、本を読んで。食事がきちんと3食出てきて。なんと素晴らしい環境なのだろうか。まことに今ある状態がいまだに信じがたい気がする。夢なのではないだろうかと。でも夢ではなさそうだ。

夢ではないのだから、充実した時を過ごしていこうと思う。実際に、極めて充実した時間を過ごせているではないか。あまり大きな声で人に言うべきものではないのだが。

これが治療が始まり、移植をすることになれば、絶対的に状況は変わってくるだろう。本当の闘いだ。今はまだ予行演習。あくまでも。肩慣らし。その意味でもハイリスクの状態で闘病生活に入らなかったことは、本当に守られているとしかいいようがない。

やっぱり、自分は時間貧乏なのだろうか。これほどの有り余る時間があったとしても、時間がまだ足りないと思ってしまうのは。大したことを考えるわけじゃない、とりとめのないことだ。それなのに、考えることをやめようとしないのはなぜだ。
もちろん、きょうのように疲れて休みたくなることはある。しかし、自分の中の何かが追い立てるように、考えよ、考えよと。

18:00
夕食。
肉豆腐、すき焼き風がメイン。おいしかった。

娘と電話。こっくりさんが学校で流行っているらしく、やってみたそうだ。信じてないと言ってたけど。自分がかつてやったことと同じようなことをやっぱりするんだな。面白いものだ。テストはきょうで終わったが、微妙だったらしい。頑張ったんだからいいだろう。

最近の習慣として、夕食を食べた直後に歯を磨くようにしている。これはとてもいい。じっくり時間をかけられるから。眠る直前だと、どうしても磨き方がおろそかになってしまうから。

ここのところ、お尻が落ち着いているせいか、日記の書く量も増えている。100行超は当たり前というところか。一時期、痔で苦しんでいたころは、そういうわけにはいかなかったから。本当に助かった。またあまり調子に乗ってもいけないが。

あすは予定では父母、おじさん、妻と見舞いに来る予定だ。だからメールもあまり書けないし、本も読めないかもしれない。そう思うとやはり、見舞い客をやみくもに増やすのは、よくないなと感じる。妻の言う通りである。家族だけにとどめておくことにしよう。
いずれにしても、準無菌室へ移動になれば、家族以外のお見舞いを受けることはできなくなってしまうのだが。

看護師のStさん、働いているなぁ。Stさんの時、キャスターのがらがらの音が頻繁に、しかもかなり速いスピードで聞こえる。気のせいかもしれないが、そんな気がするのだ。

それにしても、他の病院の看護師さんがどのような雰囲気と接し方をするのか、前の病院に2日間しか経験がないから分からない。ただ、その2日間との比較だけでも、明らかにこのT病院の看護師さんの対応の方がはるかに上である。
まだ勉強途中だが、前の病院は入院基本料Ⅰ群1といわれる部類に入ると思う。つまり、看護比率2:1というものだ。一方、このT病院はⅡ群3とうたってある。ということは3:1か4:1ということになるらしい。その意味では、前の病院よりもずっと看護が手薄になるはず。計算上は。しかし、2日しかいなかったから、正確な判断とは決していえないが、感覚としては、明らかにT病院の方が親切、丁寧な看護の対応であると思う。なぜだろう。
前の病院では、Oさんという方が担当だったようだが、結局、最後までOさんと顔を合わせることがなかった。それに、最も?と思ったのは、お隣のNさんのところにおしゃべりに来る看護師が多かったこと。気持ちはわかるが、一人部屋ではないのだし、その辺りのわきまえがちょっと……と思った。

今となっては、前の病院にどうしても辛い点が付いてしまうのはいたし方ないところであろう。要は、この病院がそれだけ、優れていることの証明なのである。それだけは間違いない。

父母らが面会に

2005年10月19日(水)晴れ

闘病生活66日目。
入院17日目。

6時40分起床。

朝の担当はSsさんだった。いつも明るく元気でさわやかな方だ。看護師の見本といえる存在かもしれない。

7:30
朝食。
さつまあげの甘煮がメイン。
牛肉の佃煮風
ほうれんそうのおひたし。

恒例のお通じ。
痛みはゼロに近い。パーフェクトである。よし。

8:50
Isさんがお掃除に来られる。
きょうはようやく午後から晴れるらしいですよと。
自分が天気を見るたびに、きょうは自転車で走れないとか、自転車日和だとか思うという話をした。軟弱なので、雨の日は走らないんですよと言うと、Isさん、柔軟ということじゃないんですかと。なるほど、と妙に納得。
Isさんが北海道に行った時、初めてマウンテンバイクを借りて乗った時、ひとこぎして、大転倒したらしい。店の人はやめた方がいいと言ったが、根性で乗り切ったのだそうだ。すごい。さすが看護師さんだって、あまり関係ないか。
Isさん、いつものように、落ち着いた口調である。

11:45
N先生、診察。
あす、移植カンファがあり、これまでの検査結果を踏まえての私について、移植チームと検討する会議の場が持たれるそうだ。骨髄移植についてはY先生が。あすは重要な日となる。

12:00
昼食。
味噌ラーメン。おいしかった。
こういうの、本当にありがたい。
娑婆世間の味である。
おつゆの最後の1滴まで飲んだ。

サークルの先輩、Kiさんからメールが届く。うれしい。新歓コンパで酔いつぶれ、泊めていただいた夜のことも覚えていてくれたのだ。やっぱり素晴らしい先輩だ。

13:00
父、母、おじさん、妻が面会に。

おじさんはなんと自転車で来たそうだ。さすがぁ。40分くらいかかったらしい。

15:00
父母ら、帰る。おじさんも、妻も同時に。

18:00
夕食。カレーライス。
きょうの食事はうれしいメニューばかりだ。ありがたや、ありがたや。

21:15
NHK『その時歴史が動いた』
鑑真和上が主人公。781年、唐招提寺の建立を中心に。
当時の仏教の状態がよくわかった。鑑真が日本に渡ったのは、6度目。5度は難破や密告により失敗したらしい。日本に着いた時は、60代の半ばだったというからすごい。最後の航海で失明してしまったらしい。

よく作られていたが、どうしてもドラマ仕立てに脚色がすぎるのが、この番組の癖。『プロジェクトX』と同じ路線にある。そんなに脚色せずに、淡々と作ればいいのに。かえって嘘っぽく見えてしまうのはうがった見方だろうか。

22:00
就寝。

天気がよかったので、夜景がきれいだった。消灯してからしばらくの間、ぼうっと眺めていた。

結婚記念日

2005年10月20日(木)晴れ

闘病生活67日目。
入院18日目。

6時15分起床。

7:30
食パン。
野菜炒め。

食パンなので、焼きにいこうとラウンジへ。すると、患者さんたちが10名くらい食事をされていた。
あいさつどうしようかなぁと思っていると、女性のどなたかが、「おはようございます」と言ってくれたので、「おはようございます」とあいさつできた。よかった。
2分間待って、いい感じで焼けたので、見ると、下は、焼けすぎていた。やはりこの辺り、家のトースターと勝手が違う。

女性陣が6、7人、男性陣が3人。初日、一時間だけ同室だったTさんもいた。男性陣の方は無言だった。たまたまかもしれないが。

パンを焼いて戻ろうとすると、ブルーの白衣を着た医師が。採血に回っていると思われる。どうしようか迷ったが、さきほど、声をかけてもらった余勢を駆って、近づいてから、「おはようございます」と小さめに声をかけたら、一瞥はくれなかったが、口の中で、「おはようございます」と応じていた。
この前は、女性の医師が同様に採血の台車を押しながらすれ違ったが、こちらは、もう端から目を合わせる気もなさそうだったので、あいさつは遠慮しておいた。これは正解だったと思う。
面白いものだ、人の距離というものは。興味はつきない、この世界は。吉田戦車の天才性を改めて実感する。

9:30
シーツ交換。
今回も部屋の中にいた。今回はしっかりと準備をしておいたので、段取りはばっちりであった。我ながら優良な患者であることをつくづく思う。

昼の担当はStさん。いつもありがとうございます。

10:00
Y先生、見えられる。
きょうの会議は夜6時ごろから遅くまで行われるとのこと。大変だなぁ。ご苦労様です。

11:00
N先生、採血に見えられる。
会議には、担当医師として、N先生も出席されるとのこと。どうか、よろしくお願いしますと、頭を下げておいた。

12:00
昼食。
鳥のから揚げ弁当。
もってきたKsさんが、おいしそうですよーと言っていたが、本当においしかった。ありがたいことだ、食事がおいしいということは。

市川団十郎さんのHPに、入院日記が掲載されている。きょうの分が更新されていた。
その中で、静寂の中でぼうっとしたりすることができなくなった、年のせいか、というくだりがあった。
きょう、Stさんにも聞かれたが、ずっと部屋の中にいて、ストレスがたまりませんかと。
全く大丈夫なんですよ、一人でじっとしているのが大好きなんです、と答えた。嘘ではない。
一人でだれにも邪魔されず、時間と空間を与えられて、じっと過ごす。こんなに幸せと感じることはない。自分には退屈とか暇とか、暇つぶしとか、そういう感覚がわからない。なぜだろう。でもそうなのだ。
もし、これが本もパソコンも禁止とあれば、それなりに苦痛を感じると思う。しかし、本とパソコンさえあれば、いくらでも時間を過ごすことができる。どれだけあっても足りないと思うくらいだ。

妻到着。

きょう行われるカンファレンスなどについて話す。

17:00
妻帰る。
帰りがけ、お掃除のおばちゃんとすれ違ったのだが、メガネをかけていてやせているおばちゃんが、自分に向かって、「かわいい奥さん」と初めて仕事以外の話をしていた。「ありがとうございます」とは答えておいたが、あのおばちゃんからそういった言葉が出るとは思わなかったので、ちょっと意外だった。

18:00
夕食。
しめじのご飯、ホタテの照り焼きがメイン。ホタテ!
おいしかった。

18:50
最近の、食事直後の歯磨きは定着してきた。これはとてもいい習慣だと思う。
しかし、一つ気になることが。歯を磨いているとき、今までに感じたことがないようなふらつきを感じた。立っているのがつらくなるような。疲れ? といっても病院から一歩も出ていない生活。これが貧血の症状というものなのか。闘病生活が始まって2か月以上経とうとしているが、これがもしかしたら初めての自覚症状なのか、と感じた。ずいぶん悠長なことを言っているようだが、事実なのだから仕方がない。

今、カンファレンスが行われている。

そうそう、そういえば、きょうは10月20日で、結婚記念日。15年目の。去年は11月6日に日比谷レストランでお祝い。今年は病院で迎えた記念日となった。妻に会えたし、よかった。

今、月を見たら、すごい名月だった。ほのかにアイボリーがかって。少し右下がかけているものの、満月に近い。正面のアクサのロゴがついているビルの上に出ていて、うす雲がたなびいているのも何ともいえない風情だ。感動的だ。

一人の空間、パソコン、本、おいしいご飯、感動的な夜景……なんということだろうか。病気になって、こんなに幸福を感じれるなんて。不思議だ。妙だ。

テレビを見ている最中にFjさん来て、検温。月がきれいなことをやっぱり気づいていたようで、ガラス越しに見ていた。

21:30
過ぎたが、廊下の消灯がきょうは遅い。なぜだろう。
すぐに眠るにはあまりにも惜しい夜景。少し眺めてから眠ることにしよう。

夜景と月を眺めてから22時就寝。

臍帯血移植が決まる

2005年10月21日(金)晴れ

闘病生活68日目。
入院19日目。

6時00分起床。

Sbさんから、メール返信。
リサイタルについては、不本意な出来であったとの話があった。加齢による限界を感じたと。だからfugueさんも若いと思って過信は禁物ですよと。全くその通りだろう。大事な指摘であり、アドバイスであると思う。脳が発する指令に体が追いついていかない。確かにそうだ。頑張ろうとする気持ちは大事だろうが、頑張りすぎて無理をしてもよくない。
「治療には細心の注意をもって臨んでください。ご自分の状態を
冷静に見つめ、おかしいと思ったら、臆せずに周囲の方に
それを告げて欲しいと思います」

そして

「病気のことを伺ってから、fugueさんのことを案じない日は無く、
完全快癒を、常に常に祈っています。
大変でしょうけれど、ご家族、友人その他周囲のすべての人の
ために、頑張ってください。
苦痛ができるだけ少ない様に、お祈りしております」

本当にうれしい言葉だ。うれしい。ただひたすらにうれしい。

7:30
朝食。
はんぺんの煮付けがメイン。

お通じ。きのうに続き、完璧。
きのうは結局朝のみだったので、これでかつてのペースを取り戻したことになる。マグラックスのおかげで便は適度な軟らかさを保っているし。

8:30
昼担当のIsさん、掃除に来られる。シーツに血がついていたのを目ざとく見つけ、交換してくれる。これで2週連続だ。申し訳ない限りだ。交換直後は気をつけることにしよう。

9:30
N先生とY先生が見えられ、きのうのカンファレンスの結果を伝えていただく。移植をすることが決定したそうだ。よかった。N先生は、「普通ならなんでもないことが、移植となると宇宙飛行士を選ぶような慎重さなんですよ」とおっしゃっていた。
いくつかの質問に答えて、二人は戻っていかれた。

いよいよGOサインが出た。いよいよか。

11:50
脚に薬を塗る。これはやはり続けた方がよさそうだ。
ステロイドについてネットで調べてみる。

12:00
昼食。
スパゲティミートソース。

そうこうしているうちに体のだるさを感じ、横になって休む。2時半ごろまで。

14:40
妻来る。
下着5日分もってきてもらう。

17:00
妻帰る。

18:00
夕食。
あじの開きがメイン。
麦ご飯。

19:00
メルクマニュアルを読もうとPCを見ていると、Ta先生が来られる。
きのうのカンファレンスのお礼を言う。
運動不足など感じませんか、と聞かれたので、自転車を乗っていた話をさせてもらった。さすがに驚かれていた。

ついでに、京都大学による細胞を増殖する研究の話を聞くと、すぐさま、「エキスパンディング」とうなずいて、その京大の先生は、以前、T病院におられた先生だという。造血幹細胞を増やすのは難しいとされてきたと。ただ、確かに臍帯血は、生着率と日数が最大の課題だが、細胞の数が増えれば、そこがクリアされるかといえば、そうとは言い切れないとも言われていた。
それから、準無菌室に移るのは、来週の後半くらいになりそうとの話があった。移れば、移植に入るのは早いと思います、とのこと。いよいよか。

21:30
消灯。
Itさんの場合、早いんだな。消灯ですので、消しますよと照明を消されてしまった。真面目な人なんだろう、きっと。

初めての散歩

2005年10月23日(日)晴れ

闘病生活70日目。
入院21日目。

6時20分起床。

7:30
食事。
ロールパン、クロワッサン、ハムサラダ。

お通じ。もう特記する必要がないほどに楽勝である。ここのところ、朝1回に落ち着いているし。マグラックス様様である。

8:30
昼担当はStさん。おそうじに来られる。

9:00
業者のおばさんたちのおそうじ。きょうはいつものおじさんだった(きのうはスキンヘッドの若いお兄さん。黙々と作業するのが印象的だった)。おじさん、きょうはちょっとつらかったようだ。自分の都合で休めないのがきついと。本音として、以前はこういう仕事は、仕事のうちに入らないと思っていたと。以前はどんな仕事をされていたのだろう。でもその辺りを聞くと長くなりそうだから、やめておこうか。手を止めては申し訳ないので。

10:10
Stさん、検温。
なぜか37.3度。微熱がある。朝はそうでもなかったのに。なぜだろう。

天気がいいので、散歩でもしたいなとStさんに話すと、当直の先生に聞いてみましょうかと。
そうしたらグッドタイミングでY先生登場。先生は、「長いですから、いいですよ」とOKをくれた。
あと、微熱があることをStさんが告げてくれ、鼻水が出るんですと自分が言うと、「昼から総合感冒薬を出しましょう」と言ってくださった。

10:30
さっそく外へ出ることにした。午前中の方が断然気持ちがいいし、シャワーを浴びる前の方がいいと思ったから。

下着のシャツを脱いでカッパを着る。上にYシャツ、その上に妻がこの前買ってきてくれたダンロップのジャケットをはおる。マスク。完璧だ。
売店が開いていることを想定して、お金も持つ。

いざ出発。

スタッフステーションで、Mgさんに声をかける。患者用の通行証を貸してもらう。

まず下に下りて、1号館を通り抜けようと思ったが、ふと、上の階の旧病棟を覗いてみたいという誘惑にかられる。

旧病棟1Fの奥を覗くと、Isさんがまだ使っているというように、医師の控え室などで使われている雰囲気はあった。

正面玄関(休診なので、閉まっている)の階段から上へ。階段には、すごい綿ぼこりが。2階にあがると、恐らく今でいうラウンジのようなスペースが踊り場に続いてある。以前使われていたテレビやソファが無造作に置かれている。

病棟の方に歩みを進める。これより先、関係者以外の進入をお断りする、の看板を横目に見ながら、奥へ。処理室、浴室(ここは鍵がしまっていた)、配膳室、そして病室が左右に並ぶ。病室にはベッドやソファ、点滴棒などが置き去りにされている。1室に入ってみると3人収容だ。広さ的には、ちょうど今いる部屋と同じくらい(トイレ、シャワールームを合わせ)。この広さで3つのベッドか。こういう劣悪(と言ったら申し訳ないし、これが昔は標準だったわけだ)な状況でかつては、病気と闘っていたのだなと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。
当然、部屋にはシャワーもトイレもない。ちっちゃな、お水しかでない洗面台があるだけ。エアコンも、当然、下置きのもの。いや、エアコンと呼べる代物ではない。パイプが2本延びていたところを見ると、水冷、湯暖式のものなのかもしれない。
コンセントは2個のみ。手元の照明もなかった(気がする)。
足元の方にロッカーのようなものがあった。
もう少し奥を覗くと、恐らく特別室であろう、個室があった。このうちの一つはトイレ(なんとウォシュレット付き)、洗面台もシャワーの蛇口が着いていた。あきらかに一般病室とは差があった。とはいえ、今のここ、一般病室に比べ物にならない。

廊下を戻って、反対側、西病棟の無菌室へ。無菌病棟とはいえ、普通の扉が一枚多いだけ。中は、特に一般病棟と大きな違いはなかった。

3階へ。3階は大きな違いはないと思われたので、踊り場だけを見るにとどまった。ソファーになぜかどこかの神社の破魔矢と御守りが。なぜか、この光景にとてもフィットする感じがした。

約30分。それでも1キロくらいは歩いただろうか。久々のせいか、さすがに病室に戻ると、顔が青白かったし、疲れていた。やはりこれくらいの運動で疲れるほど体が弱っていることを実感する。

それにしても、よかった。いいタイミングでStさんも話題を振ってくれたし、Y先生も現れてくれたし。これからも日曜が晴れの時はきょうのようなパターンで外に出てみることにしようと思う。

11:40
シャワーを浴びる。

12:00
Udさん、食事をもってきてくれる。
シャンプーのいい香り、と言っていった。
ぶりの照り焼きがメイン。

薬が、マグラックスに加えて、PLが出る。1日3回だそうだ。PLなら、自分も知っている。

13:30
現在なのだが、やはりイベントがあると違う。きょうは既に174行。当然ながら、威厳とのあるなしでは大きな違いが出てくるものだ。
熱を測ってみると36.8に下がっていた。

19:00
夕食。
鳥と牛蒡の煮込みがメイン。

20:00
日曜美術館。
天台仏教の仏像を中心に。
ここのところ、仏教史関心があるので、勉強になった。

一つは、先週、鑑真について、歴史が動いたで紹介していたことがきっかけになっている。
それに付随して、他の宗教の知識も広がる。きょうは、カトリック教会では、日本人として最初の聖人となった日本26聖人殉教(豊臣秀吉の処刑による)の辺りについても調べてみた。

面白い。広がってきた。

若者の看護師さんは愉快だ

2005年10月24日(月)晴れ

闘病生活71日目。
入院22日目。

5時40分起床。

<10月24日の採血結果>
白血球:1,430(標準:3,300~9,000)前回比 -160
ヘモグロビン:7.6(標準:13.5~17.5)前回比 -0.1
血小板:27,000(標準:140,000~340,000)前回比 +1,000

きのうに続いて快晴。気持ちがいい。

Asさん。
おかわりないですか、とだけ聞いて、検温、血圧測定なし。手抜きだなぁ、おい、若者。

7:30
朝食。
鳥そぼろがメイン。

パジャマの着替えを持ってきたMkさんと薬の殻を取りにきたAsさんが同じタイミングに入室。
PCからかかっていた曲は、チャイコフスキーのピアノコンチェルト。Asさん、「おー、クラシック!」 去り際、自分に対してではなく、Mkさんに、「クラシック、fugueさんに合ってるよねー」と言いながら退室。
おぉ、若者!

お通じ、OK。
ジフルカン、マグラックス、PLを服用。

8:30
N先生、採血に。

9:00
昼の担当、Kwさん、あいさつに来られる。

9:30
Isさんがレントゲン呼ばれましたと。
あれ、聞いてなかったなと思いながら2Fへ。
自分の前に2人待っていたので、あれれと思ったが、胸の撮影のみたった10秒で終わった。あっけなし。

10:30
外科のYd先生、N先生が見えられ、痔の状態を見ていかれる。前回と同様、指と器械を使われたが、今回の痛みはさほどではなかった。よかった。
状態もだいぶよくなっているとのこと。ほっとする。

12:00
昼食。
カレーライス。

13:00
妻来る。

師長が来られ、準無菌室に移動するのが27日(木)に決まりましたとのこと。10時ごろ。妻もその時間に来るとのことだ。

昼間に続いて、ウィキペディアの仏教ポータルを見て回る。

夕方の担当、きのうに続き、Stさん。

17:00
眠くなったので、30分ほど睡眠をとる。

18:00
夕食。
ムキガレイのホイール焼きがメイン。
凍り豆腐と麩を残す。数少ない苦手なもの。

21:30
ぴったりに消灯。

22時就寝。

改めて死について考えてみる

2005年10月26日(水)曇り

闘病生活73日目。
入院24日目。

6時20分起床。

7:30
朝食。
がんもどき、きゃべつのおひたし。

9:00
N先生、来られ、脚の状態を見ていかれる。実は来られる直前にリンデロンを塗ったばかりだったのだが、それを言わなかったため、「ステロイドの効き目ってやっぱりすごいんですねぇ」と驚かれていた。
きのうからきょうの朝にかけてはノー薬状態だったが、症状は改善していた。なんだろう、全く気まぐれな乾癬という奴だ。

10:00
本を読んでいるとうとうと眠くなる。

11:00
Mgさんの検温で起きる。

12:00
昼食。
焼きうどん。

13:00
Y先生来られる。

臍帯血移植について、種々話をしていかれた。
・自分の場合、臍帯血フル移植となると思われる。
・これまで治療経験がゼロで、免疫が強いために免疫を抑えるための前処置の前の治療が行われるかもしれない。
・T病院で臍帯血の成績がよいのは、7不思議の一つとされている。
・その理由の一つは前処置の方法が他と違う点にあるのかもしれない。
・臍帯血移植にかかる費用は、移植自体は骨髄と比べてかからないのだが、3週間から1か月と生着までに時間がかかる(骨髄は2週間)分、投与する薬と輸血、クリーンルームの費用がたくさん莫大となってくる。
・白血球を増やす薬1本3万×30、血小板の輸血7万×30、クリーンルーム3万×30で400万となる。総額1000万はかかってくる。
・当然高額医療費となるので、7万6000円を超えた分については戻ってくるが、3割負担の分は一度納めなければならないので、大変。

等々の趣旨だった。
そしてその話の概要が、ネットにあるのでもしよかったら見てくださいと。
さっそく見てみた。Y先生がTm病院にいた時の研究の講演の内容がまとめてあるPDFだった。

15:00
眠くなったので、しばらく眠る。最近はこのパターンが多い。なんだろう。

17:00
目覚める。
外はすっかり暗くなっている。

18:00
夕食。
メンチカツがメイン。

いよいよ、本格的な戦いが始まる。一体、どんな苦しさが待ち受けているのだろう、どんな体の状態になるのだろう。考え出せばきりがない。

今の状態が、健康体と何ら変わらない状態にあるだけに。正直、いまだに自分がそんな大病にかかったとは、信じられない気持ちだ。本当に病気なのか。夢じゃないのか。
今よりはまだ血液の状態はよかったが、往復60キロ近くを自転車で走っていたというのに。それが、何も治療をしなければ数年のうちに死んでしまうとは。

死――。この病気にかかって、このことを身近に感じるようになった。いずれ来るものではある。病気をせず、天寿をまっとうしたとして、80数歳、それにしても、あと40年後には確実に自分に死は訪れるのだ。それがあと数年に縮まるという宿命が自分の命の中にあったということだ。

きのう、1リットルの涙を見た。病名を知った亜也は、「なぜ、病気は私を選んだの。運命なんて言葉では片付けられない」と日記に記したという。
主役を演じる沢尻エリカもお兄さんを交通事故で亡くし、お父さんをガンで亡くしているという。身内を亡くすというつらい経験を自らしているだけに、このドラマは他のお涙ちょうだいとは違った重みとリアリティを感じさせてくれるのかもしれない。もちろん実話をもとにしているということが一番なのだが。
このドラマは最後まで見ていこうと思っている。

同じ10月26日の日記を読み返してみた。91年の記述に、知人のM君が事故で亡くなったことが記してあった。以下が引用。

「故人をしのぶことは、大事なこと。しかし、もっと大事なことは、亡くなった人の分まで生き抜くことができるかどうかではないか。その人が果たしきれずに逝った思いを現実のものとするべく、生きて生きて生き抜くことこそ、故人に報いていく最高の行いだと思う」

その通りだと思う。今の自分もそうなのだ。死に直面しているが、まだ死んではいない。だからこそ、何としても生き延びて、早くこの世の去っていった故人の分まで生きて生きて生き抜いていかなければならない。