8.GVHD アーカイブ

無菌室から脱出

2005年12月19日(月)

闘病生活127日目。
入院78日目。
臍帯血移植25日目。

白5400

妻、娘お見舞いに。

クリーンルームから708号室に移動。1か月と2日でクリーンより脱出。よかった。よかった。勢いでお風呂に入ってしまったら、かなりぐったりした。それはそうだろう。でも湯船は気持ちよかった。

初めてのGVHD

2005年12月21日(水)

闘病生活129日目。
入院80日目。
臍帯血移植27日目。

白8000

先生方より、活動中の皮疹について、初めてGVHDであると認められる。今、激しいのは上、手の甲。

28日から出るケースが多いとのことだが1日早かった。

午前中、胸と腹のCT。

妻、お見舞いに。

お通じが3日間出ないのでマグラックスを久々に服用する。

かゆみのため眠れず

2005年12月22日(木)

闘病生活130日目。
入院81日目。
臍帯血移植28日目。

少しずつだがだるさも解消しつつあるようだ。

きょうは同室だったTaさんから伝言をいただく。706のクリーンに入られたとこと。メアドを交換させてもらった。

夜2時くらいから、かゆみのため眠れず朝まで『20世紀少年』を読んで過ごす。

白血球5400

2005年12月23日(金)

闘病生活131日目。
入院82日目。
臍帯血移植29日目。

白5400

G-CSF(ノイトロジン)をやめてこの数値はとてもいいとのこと。あと血小板も立ち上がりつつあるので、輸血は必要なし。よしよし。

昼3時間ほど眠る。きのうの夜の分。よかった。なぜかかゆみは大丈夫だった。

GVHDが全身に広がる

2005年12月25日(日)

闘病生活133日目。
入院84日目。
臍帯血移植31日目。

きょうは頑張ってシャワーを浴びる。多少無理しても浴びた方がいい。まだだるさは続く。

GVは全身に広がりつつある。順調だ。

午後、妻と娘お見舞いに。

熱8度で一定

2005年12月26日(月)

闘病生活134日目。
入院85日目。
臍帯血移植32日目。

きょうも激しくだるい。

熱も8.0で一定してきている。

白3200
板3.7

赤血球を輸血、久々に。

メモがとれなくなる

2005年12月29日(木)

闘病生活137日目。
入院88日目。
臍帯血移植35日目。

GVHDによって手が使えなくなる。
よって、ここから1月10日までメモが途絶えるため、妻のメモで代用させてもらうことにする

<妻メモより>
娘と病院へ行く。年末年始のTV一覧をもっていく。

手の平全体と指先が白くカサカサになっているため、軟膏を塗ってもらっていた。

熱は相変わらず38度台だそう。早く熱が下がり自覚症状も楽になるといいのに……と思う。

GVHDのピークは過ぎているとのこと。

夕方、外で食事中、Mtさんより携帯にTELもらう。状況報告をする。
「よいお正月になりますね」と激励してもらう。

ジャニコンで年越し

2005年12月31日(土)

闘病生活139日目。
入院90日目。
臍帯血移植37日目。

NHKETV特集のゼロ戦はなぜ敗れたのかを見る。とても教訓に満ちた内容だった。

ジャニーズカウントダウンコンサートを見て年を越す。

<妻メモより>
Ykさんより手紙いただく。
感動、感謝。

静かな正月の病棟

2006年1月2日(月)

闘病生活141日目。
入院92日目。
臍帯血移植39日目。

終日、テレビを見て過ごす。

3が日は自宅に帰っている人も多いと見えて、さすがに病棟は閑散としている。

全身の皮がむける

2006年1月4日(水)

闘病生活143日目。
入院94日目。
臍帯血移植41日目。

<妻メモより>
病院へ、娘と。3:30着。

Tm先生と久しぶりに話をする。
予定通りのことが予定通りにきているから大丈夫。
熱も出てない方から3番目くらい。
これから精神面でのコントロールが大事。焦らないで一つひとつじっくりと。

目が涙目になっている。目頭に黒っぽい目やに。

夕方、Ta先生来てくださる。皮膚の症状みる。
GVHD、全身の皮がむけてきている。

髪の毛は相変わらず抜けているのに髭は生えてきた。眉毛は薄くなった。

PCを開く気持ちになった。

スタッフステーションまで書類届け。
11月18日以来、初めて部屋から出て歩いてみた。

年賀状見せる。

手が真っ赤に腫れる

2006年1月7日(土)

闘病生活146日目。
入院97日目。
臍帯血移植44日目。

<妻メモより>
朝36.7度、午後37度台。

体の皮がむけてボロボロ、シーツに落ちる。3回くらい繰り返し、元の皮膚になるらしい。

手が真っ赤に腫れて相変わらず痛々しい。手洗い後、毎回軟膏を塗る。
Sで買った下地手袋綿100%、白薄手袋、伸びるタイプ。
ピッタリしてよいとのこと、手が冷たいのでばっちりだと喜ぶ。

免疫抑制剤等の副作用で相変わらずぐったりくるとのこと。

熱がひくと今度は体中がかゆくなったり、下痢も出てくるとのこと、下痢は始まっているらしい。

しかし熱は12月5日~1か月続いた。移植から50日まではほぼ日程通りの反応が出ている。

白:5000
板:4万
しばらくは輸血をやめてみるとのこと。

熱8度台続く

2006年1月10日(火)

闘病生活149日目。
入院100日目。
臍帯血移植47日目。

<妻メモより>
昨日よりまた熱出た、38度台。
先生はGVHD関連の熱。

白:6000
板:6万
へ:9.0

炎症反応はないので大丈夫とのこと。

本人は相変わらずぐったり。

輸血はしていない。

軽い膀胱炎にかかっていて、残尿感があり、頻尿の状態が続く。

ラウンジに顔を出す

2006年1月11日(水)

闘病生活150日目。
入院101日目。
臍帯血移植48日目。

朝、シーツ交換。ラウンジに出てみた。

一人は新聞を読んでいたSmさん。向かいはAkさん。一番よく話してくれた。
後から細身でメガネの方(Tzさん?)。本を読んでいた。

きょう出たおかげでラウンジコミュニティーの一環が多少わかった気がする。

<妻メモより>

体を拭いて軟膏を塗り、足に油分の多い軟膏、プロペトを初めて塗る。

夕方、Tk先生来て説明。
免疫抑制剤は当初の3分の1。ギリギリのところで量を決めている。GVHDがある間は減らすとひどくなる。GVHDの熱はいつか必ず下がるので粘って様子をみる。
退院後も1年は免疫抑制剤を通院で処方、服用する。
GVHDがこの程度で続いているのは決して悪いことではない。
職場復帰は移植から1年後の11月か、との話。
GVHDグレード2.皮膚だけだとグレード3.

Akさんの歓迎に感謝

2006年1月18日(水)

闘病生活157日目。
入院108日目。
臍帯血移植55日目。

熱は7度台で落ち着いている。

シーツ交換。

ラウンジにSmさん、Ttさん、Akさん。
Krさん、Wdさん。

Akさんはありがたい。歓迎してくれるから。それにしても患者コミュニティーは予想以上に深く広いようだ。こちらも焦らずいこう。

<妻メモより>
顔から頭も皮むける。16日から。
手は落ち着く。
足もだいぶ軟膏の効果あり。
爪は白くなっている。

熱は朝36度台、午後37.8度。

シーツ交換の日で、ラウンジで話しているうちに寒気がしてきて熱が出てきたとのこと。
口のまわりのひげ。耳毛、頭もポツポツ生えて。

昨日。
白9000
板9万

手袋はとてもよいとのこと。

顔カサカサ、目シバシバ

2006年1月20日(金)

闘病生活159日目。
入院110日目。
臍帯血移植57日目。

<妻メモより>
13:00すぎ着。

2:30からシャワーと軟膏塗り(Fjさん)までいる。

腕と足は少しづつ落ち着く。顔、耳、カサカサ。

白9600
板12万

目をシバシバさせる。

久々のお風呂

2006年1月24日(火)

闘病生活163日目。
入院114日目。
臍帯血移植61日目。

看護師さんの勧めにより、5FのジェットバスにSnさんとMmさんの二人がかりで入れて洗ってもらった。気持ちがよかった。

看護師さんに裸をさらすのは、さすがに恥ずかしい気がしたが、自分で何もできない状態では仕方がない。介護される人の気持ちがよくわかった。

ステロイドで体が楽になる

2006年1月25日(水)

闘病生活164日目。
入院115日目。
臍帯血移植62日目。

<妻メモより>
母と病院へ。1:30着。
寝ていたが顔がさっぱりしていた。
聞くと昨日、2人がかりで、ジェットバス(5F)に入れてもらい洗ってもらったとのこと。温まり気持ちよかったと。

3.16までの退院を願い、祈りを込めてやっとの思いで薬を飲んだ。
夫も目標ができ、新たな気持ちで出発できたと思う。

MRI異常なし。
月曜夜からサンディミュン終了後、微量のステロイド点滴を入れている。そのせいか少し楽そう。ただなるべくステロイドは使いたくないそうだ。

二人部屋に移動

2006年1月27日(金)

闘病生活166日目。
入院117日目。
臍帯血移植64日目。

部屋を720へ移動。久しぶり二人部屋となる。相部屋はラウンジでいつも親切にしてくれていたAkさん58歳。

<妻メモより>
姉と一緒に病院へ。1:30着。
Akさん(静岡)と同室。3回、臍帯血移植をしているそう!
元気だが白血球を増やす薬を入れて3800くらいにしかならないので退院できないよう。

今度の部屋は日中は日が入りすぎてカーテンを閉めている状態。だいぶ室温も暖かい。気分転換になっていいかもしれない。バスローブがいらない。

帰りがけ1Fのドアの前でTa先生に会う。月曜日に調子が悪かったことを知っていて心配してくださっていた。
「心配でしょうが焦らず。出ていることはすべて想定内だから大丈夫」とのこと。「MRIも念のためやったが異常なしだったし…」と。

手は十分暖かいのだが、本人は冷たいと手袋とホットパック。きょうは電気あんかを借りた。

Akさんからも遠慮せず何でも言った方がいいとアドバイス。ラウンジ等での情報交換で周りの様子を聞いているとのこと。周りの患者さんの様子が聞けるのは今の夫の段階でもとても大事な情報もあると思った。

突然の高熱で敗血症を疑われる

2006年1月29日(日)

闘病生活168日目。
入院119日目。
臍帯血移植66日目。

昼過ぎから突然熱が40度台にあがる。ウィルス感染による発熱が疑われ、カテーテルを急遽、抜き、反対側(左側)に差し替える作業をTk先生、Tm先生でしてもらう。

Tk先生は家に帰ったところを呼び出してもらったらしい。申し訳ないことだ。

自分としては、意識が朦朧としていて、気がついたらカテーテル差し替えの作業が始まっていたという感じだった。清潔布が掛けられたことで息が苦しく、死ぬような思いだった。Fjさんが見守ってくれたが、自分としては完璧な錯乱状態に陥っていたようだ。今思い出してもあの時の息苦しさ、厳しさが蘇る。1時間くらい作業は続いただろうか。
入院中、最大の試練といっていい。ほんとにきつかった。

食事を開始

2006年2月3日(金)

闘病生活173日目。
入院124日目。
臍帯血移植71日目。

きょうから食事に挑戦してみる。
味はない。ないし、ひどい味だ。砂を噛んでいるような感覚。

<妻メモより>
きょうから食事始まる。
熱36度維持。
CT、レントゲン、2Fへ自分で行く。
きょう久しぶりに風呂に入る。
サンディミュン15mg。少なくすると。
Tk先生、腎臓機能が戻ってくる。

食事
朝食 5分がゆ
昼食 うどん 2,3本
まだ無理してという状態。

腎機能が低下する

2006年2月4日(土)

闘病生活174日目。
入院125日目。
臍帯血移植72日目。

Akさん外泊。うれしそうに家に戻っていった。
正直うらやましい。自分も早く外泊がしたい。

腎臓機能が低下して尿が出にくくなっているためきょうからサンディミュン中止して、ステロイドを入れてみる。量や回数は様子をみながらとのこと。

久々にパソコンに向かう

2006年2月8日(水)

闘病生活178日目。
入院129日目。
臍帯血移植76日目。

久々にパソコンに向かう。メールの整理と日記の整備で手一杯。これからゆっくりやっていきたい。

ステロイドのおかげか食欲はそれなりに出てきた。

3食それなりに口にしてみた。味の違和感はまだまだ。おかゆに梅干を入れて食べてみた。

ステロイドによって感染しやすい状態にあるので、1階の自販には行かないように先生に釘を刺される。

ここ1ヶ月ほど聞こえにくかった耳もようやく聞こえるようになってきた。

同室のAkさん退院

2006年2月11日(土)

闘病生活181日目。
入院132日目。
臍帯血移植79日目。

Akさん退院。朝はラウンジで皆勢ぞろいで食事をした。Akさんの人徳だと思う。
振り返るに自分が急速に元気になっていったのも、Akさんと相部屋になってから。常に人を励ましてくれ、貴重なアドバイスをくれ(臍帯血移植4回経験!)、人を笑わせてくれ、人を安心させてくれる。お父さんのような人だ。退院は喜ばしいことだが、少し寂しくなる。それはだれもが感じていることのようだった。

電話番号とメールアドレスをいただく。退院後も連絡を取り続けていきたい。

夜、オリンピックを見る。おかげで寝不足。

両親が見舞いに

2006年2月18日(土)

闘病生活188日目。
入院139日目。
臍帯血移植86日目。

両親、妻お見舞いに。父が私の顔を見るなり開口一番、「本来の顔に戻った」と言ってくれた。うれしかった。本当に元気になったんだと実感。

おふくろさんも懸案だった補聴器もいいのが入ったらしく表情も明るかった。

心配かけたけど、またいろいろあったけど、必然のことだったんだろうな、きっと。

点滴からイノバンが外される。これで一気に輸液ポンプが消え、すっきりした状態に。輸液ポンプのパイプ詰まりには悩まされてきただけに、本当にうれしい。

CVが外れる

2006年2月23日(木)

闘病生活193日目。
入院144日目。
臍帯血移植91日目。

CVを外してもらった。腕になった煩わしさは残るもの、感染症のリスクが減ったことは大きい。退院にぐっと近づいた感じだ。

Wdさん、午前中退院。三重まで帰るんだから、大変だ。

水分1250ml。最高記録。目標の1.5Lまでもう少し。

久々の一人部屋状態

2006年2月25日(土)

闘病生活195日目。
入院146日目。
臍帯血移植93日目。

同室のTtさん、外泊。お昼過ぎにいそいそと彼女と出ていった。いつものことながら不思議な感じのする彼女だ。

久々の一人部屋状態。気を使わなくていい一人部屋はやはり気持ち的に楽だ。

昼食はTzさん合流。

ラウンジでSkさんと会う。娘さんが来ていた。部屋が712に移っていた。いつものように穏やかなSkさんだった。

ネオーラル(免疫抑制剤)服用始まる

2006年2月27日(月)

闘病生活197日目。
入院148日目。
臍帯血移植95日目。

午前中、採血、CT、レントゲン。

ネオーラル(免疫抑制剤)10mgの内服を昼夜で開始。プレドニンが20mgから17.5mgに減量。

午後、皮膚科の外来に呼ばれる。
ステロイド剤と尿素のケラチナミンを処方される。さて効果のほどはどうか。

入院150日。退院へ秒読み

2006年3月1日(水)雨

闘病生活199日目。
入院150日目。
臍帯血移植97日目。

食事の後、Umさんとしばらく話す。勢い音楽の話題で盛り上がった。

そうこうしていたら、シーツ交換が始まり、Taさん、Mzさん、Rさん、Tnさんなども集結。ほぼラウンジの椅子も埋まった状態に。この中で疎外感を味わわずいられることはやはり幸せである。やはり人間は孤立よりつながっていた方がいい。特に自分の場合は。

外泊もいよいよあさってに迫った。楽しみだ。来週は2泊。そしてさ来週は退院? 最短で15日。であるなら、あと2週間。伸びてもプラス1週間、2週間は超えないだろう。あらかじめ予想しておいた3月中はほぼ間違いなく達成できそうである。

きょうから3月。いよいよ秒読み段階に入ったと言っていいだろう。そう思うと残された入院生活が名残惜しく思えてきたりもするから不思議だ。
特に2月に入ってから一気に患者同士の交流の輪が広がったということがある。
あとなんといっても体調がいいこと。手には相変わらず支障があるが、移植前の体調、気力に近づいているという気がする。入院からきょうで150日。ちょうど5か月か。

それにしても久々の我が家はどんな雰囲気がするのだろうか。楽しみであり、少し緊張する。

病気をするまでは、自分は病気とは無縁の人間と思い、入院することは生涯ないのだろうと思っていた。しかしその期待はもろくも崩れた。約半年の入院生活。

初の外泊

2006年3月3日(金)

闘病生活201日目。
入院152日目。
臍帯血移植99日目。

Ttさん、11時ごろ、お母さん、彼女とともに意気揚々と退院されていった。いつか自転車に一緒に乗りましょう、との約束をいつか果たしたい。

5か月ぶりの自宅へ外泊。妻と義姉さんが車で迎えに来てくれた。
お昼を食べ、1時半に出発。3時半ごろ自宅着。娘は6時過ぎ着。

7時半、しゃぶしゃぶで食事。いつものように豚しゃぶ。肉は義母さんに所沢で買ってきてもらったものだ。おいしかった。食べすぎかなと思ったが、お腹はなんとかもった。

食事のあと、娘とジュニアのDVD鑑賞。

11時から『チャングムの誓い』をみる。

就寝。点滴のない久々の眠り。家のふとん。最高の眠りだった。

移植から100日目

2006年3月4日(土)

闘病生活202日目。
入院153日目。
臍帯血移植100日目。

9時起床。

遅い朝食はパン。目玉焼き。

お昼は三好の山菜おこわ、太巻き、大福。

3時半、義姉さんの運転で病院へ。娘も一緒に。道はかなり混んでいた。

ちょうど6時ごろ病院着。

初めての外泊を無事終えることができた。よかった。

CMLのSkさんと相部屋に

2006年3月5日(日)

闘病生活203日目。
入院154日目。
臍帯血移植101日目。

隣のベッドにSkさんが来られる。

Skさんとは夕食を挟んで、かなり長い時間話す。慢性骨髄性白血病(CML)を4年前に発症。旧の病棟で臍帯血を受けたが、自分の骨髄が復活されたとのこと。インターフェロンからグリベックに変わり、今回はスーパーグリベックの治験を受けられるとのこと。
私より一つ下の43歳。広島出身。一人娘はウチと同じ。

今週の木曜には2回目の外泊となる。

退院は15日に決定

2006年3月7日(火)

闘病生活205日目。
入院156日目。
臍帯血移植103日目。

教授回診。

午後、妻来る。
プレイルームでTk先生から退院後の注意点などについて話をうかがう。
15日の退院がほぼ決定した。1週間後。今週の外泊を差し引けば実質5日ほどだ。いよいよ秒読み段階。
再発の可能性は低いということをはっきり聞くことができ、妻は大いに安堵の表情だった。すべていい方向に向かっているのは、皆さんの祈りのおかげだと思う。本当に本当にありがとうございます。

2回目の外泊

2006年3月9日(木)

闘病生活207日目。
入院158日目。
臍帯血移植105日目。

外泊初日。

お昼を食べていると妻、義姉さん到着。準備をしてもらい前回同様1時半ごろ出発。
3時半到着。やはり2時間はかかる。いつも長丁場の運転、大変申し訳ない。
夜は寄せ鍋。おいしかった。最後は雑炊に。煮詰まった残り汁は使わず、最初に取り分けておいただしで。あっさりしていてかえっておいしかった。

娘の成績がグンとあがったとのこと。しかも進研ゼミも始めるという意欲の見せ方でこれからが楽しみだ。やはり自分からやる気になることほど大切なものはない。これこそソフトパワーの原理。

退院報告メールを送る

2006年3月12日(日)

闘病生活210日目。
入院161日目。
臍帯血移植108日目。

きょうはPCに向かう時間が長かった。MPSのメンバーに退院報告のメールを送った。できれば明日中に全員にメールを送るつもりだ。

5人にしか送らなかったけど、かなりしんどい作業であることは間違いない。まだ体調が万全じゃないのだから当たり前だ。

久々に音楽を聴きながらの作業は気持ちよかった。やっぱり音楽はいい。しばらくテレビと一体になっていたが。退院すればそんなにテレビ漬けになるわけにもいかなくなるし。

きょうはさすがに疲れた。9時に薬を飲んで早めに眠ることにしよう。

それにしても手袋をしてかなり自由にPCが使えるようになったことは大きい。

明日は採血、レントゲン、CT。
火曜は呼吸器、午後ベナンバックス。
で一切の検査等は終了となる。

そして15日、待望の退院となる。

両親、最後の見舞い

2006年3月13日(月)晴れのち一時雪

闘病生活211日目。
入院162日目。
臍帯血移植109日目。

朝食でHsさん、食事スタート。5分粥から。しっかり食べれているようだ。素晴らしい。

午前中、CT(胸部、腹部)、レントゲン。

CTのため、朝食は食待ちだったが、結局お昼が近づいたので朝は抜いた。

12時、両親、妻到着。最後の見舞い。両親からまたお見舞いのお金をたくさんもらってしまった。申し訳ない。若い頃、散々迷惑をかけてきたというのに、ここにきてまた迷惑をかけてしまって。何とか恩返しをしたい。

退院したAkさんが外来で顔を見せられる。みんな総出で出迎えたので、エレベーター前は大変な騒ぎになってしまった。それにしてもAkさんは元気だ。素晴らしいことだ。退院のこと大変喜んでいただいた。心からAkさんには感謝している。

2時、お風呂に入る時に両親は帰る。

看護師のYsさん、Fjさんと記念撮影。

入院最後の夜

2006年3月14日(火)晴れ

闘病生活212日目。
入院163日目。
臍帯血移植110日目。

最後の教授回診。もう2度と受けることがないようにしたいものだ。きょうは先生方の人数が多かった。

きのう、おとといとMPSメンバー中心に送ったメールの返信が戻りつつある。みな心に染み入るものだった。MPSのメンバーは本当に素晴らしい。つらいこともあったが最後までやめずにMPSにいたことを20年たった今、心から実感する。

お昼前、呼吸機能の検査。

午後2時からベナンバックス。何度やっても嫌なものだが、Ysさんが口から空気を吸っていいと言われたので、その通りやってみたら、いつもよりは楽だった。前回同様、上向きの途中で薬切れとなり終了。

夕食。最近入院されたOrさん(女性)がラウンジに。リンパ腫からMDSとなり、臍帯血のためにMn病院から転院されてきたらしい。小学校5年生と年長?のお子さんがいらっしゃるとのこと。大変だ。自分の比ではない。移植、成功し元気になってもらいたいものだ。

さてこの病院での入院生活最後の夜。163日目か。

主なメンバーには退院報告はほぼ済ませた。大変だったけど。

さて休むことにしよう、音楽を聴きながら。

退院の日

2006年3月15日(水)

闘病生活213日目。
入院164日目。
臍帯血移植111日目。

退院の日。

昼食をいつものメンバーで。Kmさん、Hsさん、Umさん。それぞれにメールアドレスを渡す。記念撮影も。

準備をし、スタッフステーションにあいさつに。いる人と記念撮影をと思い、中にいれてもらったら、たくさんの人が集まってくれた。ありがたい。ところが肝心のデジカメが電池切れ。M師長さんが代わりのカメラを出してくれて撮影は無事にできた。

エレベーターまで見送られて出発。

義姉さんの運転で自宅へ。道は空いていてスムーズに家に着いた。

お風呂に入って背中を流してもらう。

夕飯は水餃子。