9. 肺炎で入院 アーカイブ

予想外の再入院

2007年3月15日(木)晴れ

闘病生活579日目。
臍帯血移植1年と111日目。
再入院1日目。

外来。

いつものように3週間ぶり。

いつものように自分が運転。道が空いていて極めてスムーズ。

いつものように順調に進み、終わるかとおもいきや…緊急入院。予想外です。

レントゲンを見ると、肺炎の影がかなり大きく広がっていた。右下の方に“べったり”(先生の表現)と。

さっそく部屋を用意してもらう。内科病棟が埋まっているので、4Fの外科病棟に。

抗生剤(ユナシン)を点滴で入れる。

期間は最低2週間。長ければひと月以上になるらしい。
原因が細菌によるものであれば、比較的早く出られるが、GVHD由来によるものだと治りは極めて遅いという。実際、GVHDの肺炎で再入院したAkさんは3か月近く入院を余儀なくされたと話していた(きょう、ちょうど外来で会う)。

退院は1年前のきょう。ちょうど1年ぶりの入院。何か意味もあるのだろう、きっと。ないはずがない。

1年ぶりの新しい生活の始まり。家ではできなかったことが病院ではできるということもあるだろう。気を落とさず、前向きに行こう。これもAkさんから学ばせてもらったこと。

パソコン依存症

2007年3月16日(金)晴れ

闘病生活580日目。
臍帯血移植1年と112日目。
再入院2日目。

6時半起床。
久しぶりの病院の朝。懐かしいという感じ。

微熱がある。7.4度。
しばらく横になってゆっくりする。

そうこうしているうちにお隣が騒がしく。
聞けば、日帰り検査の方が来られるという。

ということで午前中は、体調イマイチのまま。

11時、CT。

2時半ごろ、妻がパソコン等、必要なものを届けてくれた。ありがたい。とにかくパソコンがなければ、何も始まらない。たった1日だったがパソコンのない暮らしは退屈で仕方がなかった。完全なPC依存症である。

シャワーを浴びようかと思ったが、37.1度と微熱があるので、先生から止められる。タオルで体拭き。これも懐かしい作業だ。

職場のHさんにメール。さっそくあすお見舞いに来てくれるそうだ。

対話は重要である

2007年3月17日(土)曇り

闘病生活581日目。
臍帯血移植1年と113日目。
再入院3日目。

6時半、検温で起床。たっぷり眠っているはずだが、やはりいまいちすっきりしない。

37.4度と微熱あり。ここのところのパターンだ。なぜだろう。酸素も95%と低いのも気になる。

15時、シャワーを浴びる。

16時、Hさんがお見舞いに来られる。
種々、話をさせてもらった。

仕事関連のほか、充実した対話をさせていただいた。やはり、対話は重要である。
家にこもっている間は、この対話ができなかった。精神的リハビリの最も有効な方法、それは対話だ。
肺炎の状況、体力にもよるが、今回はできる限り、面会に対応していきたいと思っている。

血圧、なぜか安定

2007年3月18日(日)晴れ

闘病生活582日目。
臍帯血移植1年と114日目。
再入院4日目。

朝食
ロールパン、ハム、サラダ
きょうから朝食を毎日パンに変更してもらう。
家での習慣がそうなので。

昼食
かじき照り焼き。
途中から、自前のカップヌードル塩に切り替え。

午後、父母、姉が見舞いに。姉さんは1年半ぶりになる。久々に会えてうれしかった。おふくろさんも親父さんも元気そうで何より。あと10年は長生きしてほしいと父さんに話しておいた。わかったと言っていた。
両親は、私が病気になって以来、大好きなハワイ旅行を我慢している。ここ10年以上、毎年数回にわたってハワイへ行くほど好きなのに、まことに申し訳ない。
いつか元気になったら、必ず両親をハワイに連れて行きたい。
そう、野菜ジュースを飲んで、ハワイへ行こう!

夕食
焼肉丼

咳の方はだいぶ落ち着いてきたようだ。抗生剤が効いているのであろう。
熱もほぼ平熱で一定しつつある。
この分だと、意外と早く家に帰ることができるかもしれない。

ただ、不思議なことが一点。
血圧が安定している。
家では150台、時には160台と高かったのに、病院では130台をキープ。飲んでいる薬は変わらない。降圧剤の種類、量も同じというのに。
病院の方が気持ち的に落ち着く、ということなのだろうか。

咳は落ち着いている

2007年3月20日(火)晴れ

闘病生活584日目。
臍帯血移植1年と116日目。
再入院6日目。

1日2回の抗生剤が効いてきているのか、咳はだいぶ落ち着いてきている。このままおさまってほしい。

14時、妻来る。
新宿でStさんの奥さんとランチをしてから来たらしい。どおりで、いつもとちょっと違ういでたちだとは思った。

夜、Tk先生来られる。
見通しとして、2週間ほどで退院できるのではないかと。
GVHDによる肺炎の可能性は低いと。
ネオーラル(免疫抑制剤)の減量についても25%くらいは大きな変化とはいえない。今回の肺炎に影響したとは思えない。
Akさんの場合は、ばっさりやめてしまった影響が出てGVHDの肺炎を起こした。そのケースとは比較できない、との見解。かなり安心した。

祝日ということもあり、ラウンジにはお見舞い客が多く来ていた。
ある組は、ネクタイ、スーツ姿の立派なビジネスマンの軍団で、パジャマ姿で痩せた患者さんを取り囲んでいた。空気も結構硬く、患者さんが見舞われているという感じはどうもしなかった。あくまで傍からの感じではあるが。

梅の花に心安らぐ

2007年3月21日(水)晴れ 春分の日

闘病生活585日目。
臍帯血移植1年と117日目。
再入院7日目。

Ed先生
きのうの採血で、炎症反応は3台(入院時、6台)に下がっているとのこと。影が完全に消えるまで治していきましょうとのこと。
いつまでの入院となるのか。果たして。あと1週間で消えるのだろうか。難しい気がするのだが、今の咳の残り方からすると。

Imさんに報告メール。さっそく返信をいただく。梅の写真を送ってもらった。さすがに上手だ。あまりにきれいなので、ブログでアップさせていただく。事後承諾いただくことにしよう。

同志とともに闘いの誓い新た

2007年3月22日(木)晴れ 

闘病生活586日目。
臍帯血移植1年と118日目。
再入院8日目。

6時起床。
きょうも天気がいい。

外に散歩に出たいくらいだ。だめだろうか。だめだろう。
もう少しの辛抱だ。

看護師さんに、散歩が可能かどうか聞いてみた。先生に確認をとってみるとのこと。どうだろうか。もしOKならば写真を撮りに外に出ることにしよう。

9時。
シーツ交換があったので、その時間を利用して、5Fへあがってみた。

病室のネームを見ていくと、Kmじいさん、Nsさん、Skさん、Umさん、Saさんの名前があった。Saさんが部屋にいなかったので、ラウンジにいるのでは、と思って行ってみたら、いらっしゃった。しばし懇談させていただいた。

グリベックに続く、新しい薬が相性がいいようなので、それでいくことになったそうだ。あさって退院されるらしい。今回の入院も半年の長きにわたったので、さぞかし大変だったであろう。
10年間、インターフェロンを続けてきて、もう治ったものと思ったものが、突然、再発したことには驚いたと話していた。

Kmじいさん、Umさん、Skさんも部屋にこもったまま、ほとんど出て来られないらしい。調子が悪いのだろうか。実際、Kmじいさんにメールで私の入院報告をしたところ、同じく肺炎にかかり、熱がとれないと返信があった。

久々に懐かしい名前を見つけて、うれしいと思う半面、皆さん、壮絶な戦いを続けられているということに身を切られるような思いがする。生きるために、生き抜くために、これからもともどもに戦っていきたいと改めて誓いを立てる。

構内であれば、散歩はOKとの話があった。
ありがたい。
去年の入院とは明らかに違う扱いだ。

あくなき挑戦の人生、見習いたい

2007年3月23日(金)晴れ 

闘病生活587日目。
臍帯血移植1年と119日目。
再入院9日目。

6時起床。きょうもいい天気。

体重61.95、熱36.9、血圧120台。すべて問題なし。

きょうは採血と点滴2回のみ。
去年の入院と違い、ほんとにのんびりした入院生活だ。だからこそ、こんなにパソコンに向かっていられるのだが。

8時半。
Ed先生の採血の折、いくつか質問。

閉塞性肺炎、間質性肺炎(城山三郎氏がこの肺炎で亡くなった)について。
いずれも肺のどの部位が炎症を起こすかによって違ってくる。
閉塞は気管が詰まってしまう、間質性は、気胞の部分の炎症。
今回のfugueさんの例とは明らかに違う。細菌性による炎症であることは間違いない。

入院期間については、抗生剤を最低2週間は入れて影の状態を見る必要があるので、1か月はかかると思ってほしい。

11時過ぎ。
UさんとHさんが面会に。
午後に来られると思っていたが、午後、用事が入ったので、午前にさせてもらったとのこと。1Fラウンジで会う。
Uさんはいつものように元気そうだった。最近は自転車よりも楽器のサックスに凝っているらしく、既に人前で披露する腕前だという。さすがだ。あくなき挑戦の人生。見習いたい。

Ed先生、採血の結果をもってきてくれる。
CRP定量(炎症反応)  1.80
クレアチニン(腎臓機能) 1.4
ということで、CRPは前回(3.23)よりさらに半分に減った。よくなってきている証拠だろう。
クレアチニンもまだ高めながら、前回の1.5から0.1よくなった。いい傾向にある。

Nsちゃん、Mzちゃんから励ましのメール。みな心配し、帰りを待ってくれている。ありがたいことだ。

Mk、HnさんからはMLで励ましのメール。ありがたい。

写真は服用している薬の袋。総勢13種類。こうして並べてみると、なかなか壮観だ。

まがうがたなき真理

2007年3月24日(土)晴れ 

闘病生活588日目。
臍帯血移植1年と120日目。
再入院10日目。

13時、M氏、F氏がお見舞いに。

せっかくの休みに申し訳ない限りだ。
さまざまな話題に及び、楽しい時間を過ごすことができた。いつものことだが、時間が経つのを忘れてしまう。

職場復帰は今回の肺炎騒動でやや遠のいたが、きょうのように対話ができるということは、貴重なリハビリに通ずる。しかも興味あふれる話ができることは、精神の栄養剤になる。

今回の緊急入院にはやや面食らったものの、何か意味があるに違いないだろうとは漠然と思っていた。
面会に来てくださる皆さんとの対話、触発は、まさにその意味を実感させてくれる。

人生において、意味のないつまづきや挫折は、ない――これはやはり(やや表現は古いが)まがうがたなき真理なのだろう。

ともどもに歩もう、言いなり人生を

2007年3月25日(日)曇りのち雨

闘病生活589日目。
臍帯血移植1年と121日目。
再入院11日目。

6時起床。きょうは朝から天気がさえない。

せっかくきょうは散歩をしようと思ったのに残念だ。

午後、シャワーを浴びる。
担当、Stさん。カナダのバンクーバーで看護師の再勉強をしているSaさんへ、fugueが再入院していること、メールしてくれたそうだ。ありがたい。
Saさん、慣れない英語で、医療の現場で頑張ってるんだな。自分も頑張らなきゃ。

15時半、Um夫妻、Kyちゃん面会に。
飲み物が飲めるようにと、1Fのラウンジで。

Kyちゃん、超かわいい。もうすぐ2歳、このころが一番かわいいでしょうとだれにも言われるらしいが、自分もそう思う。

父親は娘には、何をしても、逆立ちしてもかなわない。
自分は、素直に娘の言いなり人生を歩んでいるわけだが、Umちゃん、Kyちゃんに同様の資質を見た。そしてUmちゃんもどうやら、それを既に自覚しているようでもあった。
Umちゃん、歩もう、ともどもに、言いなり人生を。

Umちゃん、そう太って見えなかったが、実際はかなりのメタボリック気味にあるという。ここぞとばかりに自転車通勤を勧める。職場まで7、8キロ程度とそうは遠くないらしい。私のように27キロあった通勤距離は、短くするには限界があった。しかし、もともと短い距離であれば、10キロ、15キロと自分の体力に合わせて距離を調整することが可能だ。これは好条件に違いない。
奥さんに、「いい自転車を買ってあげてください」とお願いすると、即答でOK。なんと素晴らしい奥さんだろう。

感動した。

かわいい、と言われた

2007年3月26日(月)晴れ

闘病生活590日目。
臍帯血移植1年と122日目。
再入院12日目。

6時起床。
きょうはいい天気だ。

午前の点滴がまもなく始まる。点滴の時間を利用して、少し休みタイムにしようか。午後は妻と娘が来るので、昼寝ができそうもないので。

10時。
レントゲン。
少しでも影がひいているだろうか。そうであることを期待したい。

点滴を入れてもらいながらお昼まで眠る。久々に気持ちのいい眠りだった。

15時、娘と妻、見舞いに。
デジカメ、万年筆などを持ってきてくれた。
娘とお互い、デジカメで写真を撮り合う。
娘から、今の私のムーンフェイスを「かわいい」と言ってもらえた。
移植前のどちらかというと痩せて筋張った顔より、若くなった感じがしていいと。
このまん丸に膨らんだ顔は恥ずかしい、と思い続けてきただけに、改めてそう言われて、まんざらではないのだ、と思えてきた。
娘の一言は、やはり重い。

E先生。
レントゲンで、胸水はほとんどなくなっており、肺炎の影もだいぶ薄くなっているとの話。ほっとする。
散歩の話を聞いてみたら、マスクをして、帰ったら手洗い、うがいをしてくれればいいですよ、とのこと。
よし、さっそくあす、行ってみよう。
楽しみだ。

Sちゃんからメール。久々に“ぱぁっ”とのフレーズ。うれしい。気持ちが“ぱぁっ”と明るくなる。

夜、ネプリーグスペシャル、娘推奨の『世にも奇妙な物語』を連続して見る。TV三昧の夜だった。ちなみに『世にも~』5編の中で、自分的に最も面白いと思ったのは、桜井翔主演の「才能玉」。構成、最後の落ち、ともによくできていたと思う。
あとの4編は、ちょっと残念。特に最後の「回想電車」は小日向文世といういい役者を使っただけに、構成にもう一ひねり、二ひねりほしかった。いかにも惜しい。

久々の散歩で桜花と語り合う

2007年3月27日(火)曇り

闘病生活591日目。
臍帯血移植1年と123日目。
再入院13日目。

6時30分起床。

いい具合の曇りなので、散歩をするにはもってこいの日和。体調も悪くないので、午後、デジカメをもって、出かけてみようと思う。

E先生が採血の結果を持ってきてくださる。
クレアチニン 1.3 (標準:0.6~1.1)
CRP定量  0.39(標準:0.00~0.25)

といい状況にある。よし。この調子だ。
とにかく体の具合はいい方向に向かっているということが何よりだ。

食事を終え、1時前、散歩へ。久々の本格的な散歩だ。今年に入ってから初めてかもしれない。
玄関を出て旧館の脇を抜け、病院正面へ。そこから正門の方へ行こうとすると3分咲きの桜が。写真に収める。さらに正門の方へ行くと、咲いてる咲いてる。ほぼ7分咲きのソメイヨシノの下で、学生さんたちが花見もしている。写真を撮ろうと近寄っていこうとすると、マスクをしたオヤジが近づいてきたと気味悪がられたのか、そそくさとお開きにしていた。おかげで、じっくりと写真を撮ることができた。

競うように咲き誇る桜は、やはり見事だった。日本人の心を魅了してやまないのは、よく理解できる。
私も病気をする前、友人たちと名所に繰り出しては世間並みの花見をよくしていた。でも、実際は、花見ならぬ花騒ぎで、じっくりと花の美しさをめでるという文化とは程遠かった。

きょうは短い散歩の間ではあったが、桜の花の美しさ、力強さ、同時にそこはかとなさなどを感じとることができたように思う。
花見好きな友人たちには申し訳ないが、来年からは、花見の参加は遠慮させてもらうことにしよう。病気という理由もあるが、やはり、命の短い桜花には、自らの心に語りかけるようにじっくりと愛でたいと思うからだ。

東京の交通対策で熱く懇談

2007年3月28日(水)晴れ

闘病生活592日目。
臍帯血移植1年と124日目。
再入院14日目。

6時30分起床。

咳もすっかり落ち着いている。退院は意外と早くやってくるかもしれない。

朝食。
ラウンジで、いつものお姉さまが一人。相方がきょう手術だという。少し話をする。これも人間の微妙な距離感。やはり面白い。

11時、教授回診。
だいぶよくなっているので、もうそろそろいいのでは、との教授のお話。
遅れてE先生。
来週いっぱいか、再来週くらいまで。きっちり治しましょう。

昼食。
お隣のベッドのShさんとラウンジで。孤食が崩れた形に。こうして変形していくことが面白い。
東京の交通対策のあり方などを話し合う。パークアンドライドなど、山手線内はマイカーを入れるべきではない、との考えを話されていた。大賛成である。
私は持論である自転車専用道の整備、拡充を訴えた。

きょう担当のIcさん、お掃除に。
fugueさんはA型ですか。
はい、そうです。でも1年半前まではB型でした。
あ、そうか。
だから、今はめちゃ、几帳面ですよ。以前は、いい加減野郎でしたから(笑)。
私、B型なの。あはは。

【関連するブログ】
   ↓
>http://www.doblog.com/weblog/myblog/14478/1960891#1960891

夕食。
面会の方などがいた関係で、お姉さま方のテーブルに合流して食事。きょうは完全に孤食が崩れた。お姉さま方の含蓄あふれる言葉にじっくりと耳を傾けた。

最高の花見日和

2007年3月30日(金)雨のち晴れ

闘病生活594日目。
臍帯血移植1年と126日目。
再入院16日目。

6時30分起床。

朝からどうも体が重く、だるい。

朝食は何とかとったものの、起きていられず、午前中、ずっと眠る。

採血、レントゲン。

採血の結果はよかった。

クレアチニン 1.3(横ばい)
CRP定量  0.27(微減)

体の重さは数値からくるものではなかった。よかった。

1時半、妻到着。
やはり眠っていた。

それでも眠ったおかげで、体はだいぶ楽になっていた。

着替えてLBへ。
いつもの、ゾットをラージで。
これはおいしく食べることができた。よかった。
Fさんがお土産に持ってきてくれたチョコレート屋さんに行こうと思ったが、ちょっと冷たい風が。ということでやめて、病院へ戻った。
桜が満開。最高の見ごろかもしれない。写真を撮る。

お世話になった看護師さんのFjさんがいるかもと思い、7Fへ。
ピンポンを押して、Isさんが出られる。さすがにマスクの私のことがわからないようで、fugueです、と言って初めて認識してくれた。それで、Fjさん、Knさんが続いて。よかった。意外にも顔見知りがいてくれて。妻が早口で種々、報告。妻が話すと相変わらず盛り上がる。これは天性のものだろう。

帰ってシャワーを浴びる。気持ちよかった。

娘と電話。
(1)天てれMAXの卒業生について。
(2)AKB48のメンバーによる感動的なエッセーについて。
(3)ヘキサゴンでますおかの岡田が究極の冷めを演じたことについて。
など、報告を受けた。

人に会える喜び、かみしめる

2007年4月1日(日)晴れ

闘病生活596日目。
臍帯血移植1年と128日目。
再入院18日目。

6時00分起床。
きょうは天気がいい。

11時。
同室のSnさん、奥さんとともに意気揚々と退院。退院されていく方を見送るのは、いつもいいものだ。あの晴れ晴れとした表情は素晴らしい。お元気でいられることを祈る。

12時半ごろ、姉、義兄さん、両親が面会に。義兄さんは久しぶりだ。会えてよかった。肺炎の状態、だいぶよくなったことを話すと、おふくろさんも安心してくれたようだ。
話をしていても、ほとんど咳き込むようなことはなかった。
いつになったら、実家に行けるかな、などと話していると姉から、「大むらが待ってるよ」と一言。
大むらとは、実家近くのそば屋さんのことで、ここで出される地鶏親子丼は、私のお気に入り。この親子丼は、たまに夢に出てくるほどだ。

そう、大むらの地鶏君、待っていてくれたまえ、必ず食べに行ってあげるからな。

16時ごろ、大学時代のサークルの後輩、Nz君、Wk君がお見舞いに来てくれる。
楽しかった。時間の経つのを忘れた。「あまり長居しては」と気遣う二人を再三、引き止めてしまった(申し訳ない)。
やはり、「輝いていた時代」だった学生時代の友人に会うのは、親族などとはまた違ったうれしさがある。若い頃、まだ元気だった頃の免疫が呼び覚まされるようで。
昔話のほか、映画の話題などでも盛り上がる。こうした話題でも無理なく展開していけるところが、学生時代の友人ならではだろう。

移植の後、GVHDで苦しみぬいた去年の入院時は、免疫力もゼロに近かったということもあり、面会はまず不可能だった。
しかし、今回は私の免疫力もかなりアップしてきたことに加え、病棟が外科で開放的ということも手伝って、多くのお見舞いのお客さんを迎え入れることができた。

この1年間、あまりにゆっくりした回復の歩みに、自分としては「本当によくなっているのか」と疑心暗鬼になることもしばしばだった。
今回の肺炎騒動には、その意味で、「案の定」と、ややがっくり来たものだった。

ところが、蓋を開けてみれば、今回の肺炎-入院は、この1年間したくてもできなかったさまざまなことに一歩踏み出すことができたと思う。

その意味で、今回の肺炎騒動は、天の配剤なのかもしれない。

私にわざわざ会いに来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。

必ず元気になって、今度は必ず、病院の外で、お会いしたいと思います。

あきらめつつ、受け入れつつ

2007年4月2日(月)くもり

闘病生活597日目。
臍帯血移植1年と129日目。
再入院19日目。

6時00分起床。

きょうはやや曇りがちの天気。

レントゲンもない、採血もない、妻も来ない、静かな一日。

昼食
カレーライス。
去年の退院直前に食べたカレーは、2口が限度だった。
同じ辛さだとは思うが、今回は半分も食べることができた。
大進歩である。
こういうちょっとしたところで、実はよくなっている、ということを実感する。

ラウンジでいつも食事を一緒にしているOさんと話す。進行性の乳がんで去年、別の病院で手術。しかし、再発が見つかり、T病院に転院。現在は放射線治療をしているとのこと。3男3女を立派に育てあげた偉大な母。頑張ってきたのだから、少しお休みしなさい、ということなのだろう。
話の中に深い覚悟のようなものを感じた。
私も経験があるが、放射線治療は体に堪えるものだ。しかしOさんはいつもニコニコしていて、ご飯もほとんど残さず食べられるし、元気そうなのが何よりだ。

私の病気のことも聞かれたので、骨髄細胞のがんで、臍帯血移植で命が助かったなどの話を少しさせてもらった。
また、自分が、がん患者になるとは思ってもみなかった。ドラマかドキュメンタリーの上での話と思っていたとも。
でも、今、そのがんという病気にかかって、これまで見えなかったこと、気づかなかったことが見えてきた、気づくようになったことがある。
私はむしろ、この宿命を受け入れたことによって、病気にかからなかったこと以上に意味のある人生を歩めることになったと思いますと話をさせてもらった。

Oさんはうなずいてくれていた。

15時半。
外来に来られたAkさん、面会に見えられる。
5FのKmじいさんはだいぶ熱が下がってよくなってきたと。よかった。

AkさんのCRP(炎症反応)は若干下がっていたので、入院はせずに済んだそうだ。
でも一応、入院の準備はしてきたと。
入院は免れたものの、血小板輸血のための週2回の通院は続けなければならない。静岡からの通院は、やはり疲れるよ、と話されていた。

E先生が来られたので、Akさん、早々に退席。奥さんが待っていらっしゃるので、ちょうどいい引き際だったに違いない。

あす午前中、レントゲン、採血。
その結果を見て、内服薬に切り替えるかを検討します。
あすの検査の結果を見て判断しますが、今週中の都合のいい時に退院できるのではないかと思います。

退院が見えてきた。ありがたい。
しかし、家に戻り、今回と同じようなことを繰り返さないか、やはり不安だ。

病とともに生きる。皆、あきらめつつ、受け入れつつ、懸命に生きている。

やはり死ぬより生きたいからだろう。

時々、忘れてしまうことがあるが、私もその一人。

退院のメドが立つ

2007年4月3日(火)雨

闘病生活598日目。
臍帯血移植1年と130日目。
再入院20日目。

6時00分起床。

朝食
パン1枚。サラダも4分の1。
ここ3日間ほど食欲がイマイチ。なぜだろう。
体重が増えたことの反動か。

E先生、採血。
内服に切り替えられればいつでも退院OKということになります。

採血結果。
CRP定量  0.98(標準0.00~0.25) High
クレアチニン  1.4(標準0.6~1.1) High

白血球  9,010(標準5,000~8,000)High
ヘモグロビン  9.4(標準14~18) Low
血小板  214,000(標準130,000~320,000)

炎症反応を示すCRPは若干高くなったものの、許容範囲ということで、抗生剤の点滴はきょうでやめ、あすから内服に切り替えることが決まった。
3週間にわたったユナシン抗生剤点滴がようやく終わった。

それにしても、血液の3要素は夢のような数値だ。ヘモグロビンはステロイドを飲んでいるとどうしても低くならざるをえないらしいが、白、板ともに見事な数字。
特に血小板については移植前、2万前後をうろついていただけに、10倍増はやはり驚異だ。
宮城の臍帯血君に改めて感謝である。

11時半。
同期のIsさん、Ok、Iwちゃん、面会に。
1Fのラウンジで会う。
一緒に来るはずだったTjちゃんはインフルエンザにかかってしまったらしい。
Snビッチは毒気深入のため。
3人とも変わらなかった、全く。
私は太ったと言われた。血色がよくなっととも。
ムーンフェイスという、ステロイドの影響によることなど話しておいた。あと半年が免疫アップのヤマであるということも。

姉に電話。
先日、面会に来た時、足を痛めていたのだが、病院で剥離骨折と診断されたらしい。
人生、長く生きればいろいろあるなとお互い笑った。

おふくろさんに電話。
この前の面会の礼を言う。この次の日曜も来たかったようだが、金曜日に退院することになったことを話した。
また会える日はそう遠くないよ。

16時ごろ、妻来る。

19時ごろ、Ta先生見えられる。
肺炎のこと、マルクのこと、保険の書類のことなど、妻が矢継ぎ早に質問およびお願い。
いつものことながらさすがだ。まことに頼りになる妻だ。

じいさんの回復を心から祈る

2007年4月4日(水)晴れのち雨

闘病生活599日目。
臍帯血移植1年と131日目。
再入院21日目。

6時00分起床。

点滴がきのうで終わったので、きょうから内服薬メイアクトを服用。
1週間続けるらしい。

11時30分。
院長回診。
院長回診は初体験。こと細かに触診をされていった。

13時半、少し昼寝。

15時15分。
都知事選の不在者投票の係の方が師長とともに来られる。
これも初体験の病院での不在者投票。

師長 待ってたんですもんね。
私 ええ、待ちに待ってました(笑)。

緑の紙を渡されて、候補者名を記入。
袋に折らずに入れて、封をし、師長が立会人の署名。
これで終了。
ものの2分とかからなかった。
これは楽だ。
ベッドからの投票。なかなかいいものだ。

5Fにあがって、Kmじいさんに会えないかうろついてみる。しかし、やはり無理そう。あきらめてエレベーターの方へ行こうとすると、なんとスタッフステーションにいたKtさんが私に気がついて「fugueさん」と声をかけてくださった。
(Kmさんに)会えましたか、と。いいえ、というと、動いてくれた。少しだけならOK、ということで。

エンビラを背に、ベッドに横たわるじいさんの顔色は悪く、つらそうだった。
枕元にはipodと最新式の携帯。この辺りはさすがに若い。
でもいつもの精彩は感じられず。
熱は収まっているらしいのだが、肺炎のひきがなかなか悪いようだ。
1月から入院されているらしい。

愚痴を言ったってしょうがないよな、何があっても生きていくしかないんだからさ、とじいさん。

いつものKmじい節が戻ってきた。

そう、頑張りすぎず適当にいきましょうよと私。

また再会を約して病室を辞した。

4Fに戻ってみたら、すごい雨。雷も鳴り出した。

18時ごろ。
S大学のTs先生来られる。
万歩計をわざわざ届けていただいたのだ。まことに申し訳ない。
職場復帰に向けたリハビリの具体的なスケジュールについて、相談に乗っていただく。

あまり恐れすぎず、かといって過信をせず、一歩一歩着実に前に進んでいくことが大事とのアドバイスをいただく。

今回の肺炎-入院は、回り道したようではあるが、結果的にはさまざまな面において大きな収穫をもたらしてくれたことは間違いない。

人間万事塞翁が馬。災い転じて福となす。
幸と不幸は常に表裏一体の関係にあることを改めて思い知った気がする。

だから、Kmじいさん、どうかよくなってほしい。
同じ病棟で苦楽を共にした同志の一日も早い回復を心より祈る。

キリストの受難は、もはや過去

2007年4月5日(木)晴れ

闘病生活600日目。
臍帯血移植1年と132日目。
再入院22日目。

5時00分起床。
いつもよりやや早く目覚めた。

採血の結果、CRP定量は0.59に。
E先生、ここまで下がればもう心配ないでしょう。

13時半。
3か月ぶりのマルク。
Ta先生、いつものように余裕の表情。
今回は左の腸骨でお願いした。
いつものようにあっさりと終わる。
自分自身も、しっかり慣れてしまったようだ。
あと最低3年以上はしていかなければならないこと。
いちいち痛いと騒いでもいられない。

終わったあと、看護師のStさん、大丈夫でしたかと。
もうさすがに慣れました。
でもあれだけ太い針を刺すのだから、傍から見るとやっぱり痛いだろうなって思いますよ。
見えないからいいんでしょうね。たぶん、見えていたら怖いと思いますよ。

それにしても、かつてはキリストの受難とマルクを重ね合わせていたことを考えると、経験はなんと人を変える(いい意味で成長させる)のだろうとつくづく思う。

妻、ソーシャルワーカーの方と話し、さまざま質問。ワーカーの方は懇切丁寧に答えてくださっていた。T病院は去年の10月から、ソーシャルワーカーを常駐させているとのこと。社会保障制度の仕組みは、素人にとって、いかにも難しいだけにありがたい存在だ。

妻、帰りがけ、社会保険事務所へ。
本当によく頑張ってくれている。ありがたい。感謝、感謝である。

ところで、退院がやや延びることになった。私の病状によるものではなく、単に家の都合で。来週明けか、半ばか。

庭園散策を堪能

2007年4月6日(金)晴れ

闘病生活601日目。
臍帯血移植1年と133日目。
再入院23日目。

5時00分起床。
松坂初登板の試合を見る。目が覚めてテレビをつけたら、ちょうど投げていたので驚いた。
7回投げて初勝利。

きょうはお昼、外出させてもらうことにした。

11時。
予定通り外出へ。
予定通り、庭園→LBで食事というコース。
少々肌寒い感じはあったが、寒くて仕方ないという感じではなかった。
庭園の入場料は200円。まず、日本庭園へ。だれもいない。遊べるスペースが全くないからだろう。でも写真撮影のポイントはたくさんあった。人がいないことも手伝って、パシパシ撮る。日本庭園を1周して、西洋庭園へ。西洋庭園とは名ばかりで、ただの広場。子どもを連れた若いママたちのグループがそこかしこに。そういう場所として利用されているのだろう。
ここでは写真はほとんど撮れず。怪しまれるので。

庭園を出て、LBに向かう。P通りではなく、一本手前の道からショートカット。きょう初めて通ってみた。
LBは、いつもの2Fのスペースに通された。これも予定通り。
いつものゾットを注文。やはりおいしい、ここのゾットは。
携帯にHさんからメールが入り、3時に見舞いに来たいと。いいですよと返信した。
するとEさんからもメールが。なんとKさんとRさんのメッセージつき。うれしかった。やはり、こうしたメールは無条件にうれしい。すぐに返信をしておいた。

3時、Hさん、S君、T君が来る。
現状、展望、いろいろと話させてもらった。Aちゃんは留守番で会えなかったのは残念だったが、やはり職場のみんなに会えることはいいものだ。

夜、Ta先生、見えられる。
月曜日に退院させていただくことをお伝えする。
きのうのマルクの結果は全く問題ありません。すべて臍帯血によるものでした。

ほっとする。ありがとうございます。
 
写真は日本庭園にある茶室。

6594歩。よく歩いたが…

2007年4月7日(土)晴れ

闘病生活602日目。
臍帯血移植1年と134日目。
再入院24日目。

6時00分起床。

きのうの歩数6594歩。夢にまで見た5000歩超。
しかし、その反動かきょうは疲れがどっと出た。午前中、午後と、とにかく眠っていた。
去年の暮れ、寒くなってから、1000歩程度という状態が続いていた。家の中でしか動けなければ、1000歩が限度。

やはり外の開放的な空間で移動することの重要性を感じる。

しかし、とにかく歩みはのろい。足を引きずるところまではいかないが、足があがらないので、お年寄りの歩みそのものだ。

後ろから来る人たちに次々と抜かされていくのは当然なのだが、人の流れに乗れないので、前から後ろから来る人たちにぶつからないようにするだけでも、結構な神経を使う。

きのうはそういう場面に遭遇しなかったが、自転車が突然飛び出してきたら……避けるのは不可能に近い。

歩くことはリハビリの第一歩ではあるが、第一歩の割には、さまざまな障壁(バリア)が潜んでいることを、体の不自由な身になって実感することができた気がする。

ただ、筋肉痛がひどいであろうと思われたが、ほとんど大丈夫。筋肉がほとんどないから、痛まないだけなのだろうか。

 
写真はひと月近くお世話になった病院のベッド。このベッドともあと2日でお別れだ。

入院最後の日に思うこと

2007年4月8日(日)晴れ

闘病生活603日目。
臍帯血移植1年と135日目。
再入院25日目。

6時00分起床。

午前中、だるさのため、眠る。
やや足のむくみもひどくなっているようだ。

昼食。
Oさんと政治問題で懇談。戦争、戦争責任、憲法、靖国、拉致問題など話題はさまざま展開した。それにしてもOさんがよく知っておられることに感服した。

15時ごろ、外泊されていたNさん戻られる。
それぞれの病気のこと、この病院がすぐれていることなどについて懇談。Nさんは大腸がんが肺に転移されてしまって、ワクチンの投与で治す治験を受けることになっているらしい。ワンクール1か月。効き目があれば続けていかれるとのこと。どうか効いてもらいたいものだと、心の中で祈る。

突然の入院から25日。さすがに入院当初は、戸惑わざるをえなかった。肺炎はこの病歴の人間にとって天敵といっていい命取りの恐れがある病気だからだ。
しかし、幸いにも難度の高いものではなく、単純な細菌性の肺炎であることがわかり、安心することができた。
また、そのおかげで、これまで面会を制限してきたところを解禁させてもらい、多くの友人、同僚などに会うことができた。あくまで入院の副産物とはいえ、得るところ大であった。

さて、明日、ほぼひと月ぶりに家に帰るわけだが、今度こそ、失敗することなく、一つひとつ着実に社会復帰へ向けたリハビリの実践を積み上げていきたいと思ってる。
焦る気持ちはない。焦れば失敗が待っていることは経験済みだからだ。
しかし、今度こそはうまくいくとのこれまでとは違った確信がある。
入院中に会うことができた多くの人から、そのパワーをもらうことができたからだ。

いよいよ新しいステージにステップアップする時期に入ったのかもしれない。

着実に前へ、一歩一歩、進んでいくことにしよう。

 
 
 
写真は見事な枝ぶりの桜の木。生命力の躍動が伝わってくる。

退院、AKB48と再会

2007年4月9日(月)晴れ

闘病生活604日目。
臍帯血移植1年と136日目。
再入院26日目→退院。

6時00分起床。

さて、きょう退院。26日ぶりか。

5Fに上がり、1年ぶりにUさんに会う。意外とお元気そうな感じではあったが、かなり追い詰められた状況にある、との一言は重かった。
Uさん、ちょうど、どうしていられるのかなと思っていたところなんですよ、と。
思い出してくれていたことはうれしい。
仲間で語り合ったあのころのことはUさんにとっても印象深く残っているようだ。
もう一度元気になってほしい。一緒に元気になりましょう、Uさん。

Sさんにはお会いできなかった。調子が悪いらしい。かつてそのSさんが私に語気を強めた言葉。

「無理をするな、酒を飲むな」

これは最大の教訓として、受け止め、実践している。
Sさん、どうか元気になってほしい。そしていつかお会いしたい。

Kmじいさんのところは、この前会ったこともあり、あえて訪ねなかった。Kmじいさんもどうか、元気になってほしい。

さて、あと2時間。退院まであと2時間に迫った。
そろそろ片付けを始めようか。
スーツケースに荷物を詰め込む。

11時過ぎ、妻、お義姉さん、お義母さん迎えに。
準備をして、ナースステーションにて担当としてお世話になった看護師Iさん、師長さんらにあいさつ。師長さんはエレベーターのところまで見送ってくれた。大変お世話になりました。

職場へ退院報告。喜んでいただく。

帰路に着く。

15時過ぎ、自宅着。
約1か月ぶりの自宅。
退院メールを職場関係者中心に送る。
一斉送信メールにもかかわらず多くの方から返信をいただく。
うれしい。

病院もいい。
でも、やはり家がいい。
 
 
写真は娘が描いたAKB48のステージ。私の部屋に貼ってあるこの絵を見て、家に帰ることができたとの実感が沸いた。突然ですがここで問題です。この絵は何の曲を描いているのでしょうか。○チームの「○○○○」とお答えください。わかった方は、ワタシニメールクダサイ、マッテマス。