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あしたのための『あしたのジョー』

fugue (2007年3月29日 20:57) | 個別ページ
NHK-BS2で5夜連続で『あしたのジョー』が放送されている(19時45分~24時)。
きのうは2日目で、少年院における矢吹Vs力石の対決の場面まで見た。その後の1話は、残念ながら眠くなり、覚えていない(病院の消灯は21時半)。

この一挙放送のいいところは、本編のほか、当時の製作者を訪ね、インタビューをすることで、製作意図を掘り下げようと試みているところだろう。1970年の放送であるから、実に37年前。演出家、作画監督などが、当時のエピソードをあからさまに語っている。

これらの話を聞くことで、われわれ視聴者の見方も全く変わってくる。深みを増す。いい企画だと思う。

1970年当時は私がまだ9歳。それでもこの傑作をリアルタイムに見ることができたことは幸いだったと思う。
70年といえば、大阪万博が開かれた年でもある。2年後には私が熱狂したばかりでなく、1億総火の玉となって熱く燃えたミュンヘンオリンピックがあった。
なんと、日本が熱かった時代であろうか。

そんな時代を必ずしもいいというわけではない。ある意味、個人が確立されておらず、国民がマスとなって左右に大きく振れる時代だったといえるかもしれない。

ただ、まだ10歳前後の子どもだった自分にとって、そんな社会論は無縁だった。とにかくその熱さが心地よかった。つまりは一体感があった。

今はどうか。そのような一体感はまず生まれようがない。スポーツが高い視聴率を稼いだとしても、それは一体感と言うには違和感がある。
私はそれでいいと思う。今の時代にあって、国民全体レベルの振れが生じるような場面は想像するだに怖い(先の小泉劇場には、ややそうした傾向があったと思うが)。

今、必要なことは、やはり個の確立であろう。一体感が崩壊し、ばらばらになったものの、個が自らに深く問う生き方には至っていないからだ。

そこで『あしたのジョー』である。ここには、自らの生き方をストイックなまでに追求してやまない、生身の人間の赤裸々な姿がある。全く今に通じるものを感じる。
それを可能としたのも、やはり、作者の努力やこだわりにとどまらず、時代のパワーが棹差したことは間違いないと思う。

アニメに限らず、現在のほとんどの創作物は、極めて底が浅く中身が薄い。そしてすべてが商業主義と結びつき、売り上げや視聴率のみが至上の物差しとなる。創作者のこだわりや意欲的試みなどが入り込む余地は、ない。これでは否応なしに底も浅くなろう。

その意味では、文化もスポーツも、1970年代に比べ、その”厚み”において現在は明らかに後退、もっといえば退化していると思えてならない。

そうでなければ、BSという片隅の放送とはいえ、今回のように振り返られることもないはずだ。

あと3夜。面白いとはいえ、ひたすら見続けることは、楽ではない。しかし、今後の文化創造のあり方を模索する上で必要なきっかけを与えてくれるものとして、この『あしたのジョー』、最後まで見続けるつもりだ。