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約40年ぶりの読み返しには新たな発見とともに、なくしたものの多さにも気づかされた

先日、読書は紙の本に限るということをブログで書いたばかりだが、早々にその考え方にブレが生じてしまっている。

つまりはまた、電子書籍に戻ってしまったのだ。

しばらくの間、紙の本を読んでいたが、読みたい本が手元になくなってしまうが、1冊1000円を出して買いたい本は見当たらない。

しかも、昨年、kindleで集中的に買った50冊以上の電子書籍がある。

途端に、「もったいない」という気分も働いて、iPhoneで読んでみると、「意外といい」。

iPhoneは常に持ち歩くもの。
これにすべての本が収まっているならば、それに越したことはない。
紙の本のように、中途半端に終わってしまい、手持ちぶさたになることもない。

つまるところ、電子書籍の使い勝手のよさに負けてしまったということか。

電子書籍を読むことを恥ずかしいと思うことはもうやめるとしよう。

ということで、今、読んでいるのは太宰治大全のうち、「斜陽」。
この作品は確か中学3年生の時に、集中的に文学作品を読んだ中にあったという記憶がある。
ということは約40年ぶりの読み返しということになる。

タイトルの通り、落ちぶれていく貴族階級の哀れさというイメージのみ残っていたのだが、改めて読んでみて、表現の面白さや工夫、当時の太宰の心情なども垣間見られる気がして、新しい発見が多々ある。

当然ながら、中学3年当時では感じ取ることができなかったものがわかるようになっていたり、逆に当時敏感に感じたことが今は鈍ってしまっているということもあるに違いない。

そう思うにつけ、読み直し、読み返しは重要だ。

音楽や絵画など、芸術一般はそういうものだろう。

さまざまな年代、経験を通して、見方や感じ方は変わっていくもののはず。

繰り返しの鑑賞に耐えうるから芸術なのであり、その芸術に繰り返し向き合うことができる喜びはやはり格別なものがある。

スマホで本を読むことは恥ずかしいと思うことはやめ、無心になって(芸術)作品に向かうことにしよう。

kindleの「太宰治大全」。購入日は2014年4月6日だったようだ。200円はいくらなんでも安すぎだろう
kindleの「太宰治大全」。購入日は2014年4月6日だったようだ。200円はいくらなんでも安すぎだろう