日常

タバコの吸い殻回収業者に感じた言い知れぬ美学

私のブログで、最も読まれている記事が「私の禁煙法――タバコと生涯、仲良く付き合っていこう」だ。

実際、Googleで、「タバコ 時々」と検索すると、1ページ目にこの記事が現れる。

ここから流入するものと思われる。

喫煙、禁煙はやはり多くの人にとって、大きな関心事なようだ。

昨今、禁煙エリアの広がりは燎原の火のごとしで、喫煙できるスペースは限りなく限定されてきている。

私の職場も、館内は15年ほど前から。

一部残されていた館外の喫煙場も、通りに面しているため、見栄えが悪いことを理由に3年ほど前に廃止された。

20年ほど前にやめた私としては、喫煙場にたむろする喫煙者の姿を見苦しく思っていただけに、その廃止をうれしく思った。

したがって、喫煙者は徒歩3分かけて、最寄り駅前にある喫煙スペースまで遠征するのが常。

そこまでして吸いたいかと、いぶかしく思うけれど、喫煙者にとってはその労力を押してもニコチンを体に取り込む欲望に抗えないのだろう。

理解できなくもない。

禁煙スペースといえば、私がいつも通勤時に通りすぎる新宿駅東口のものがあるが、ここも繁華街に近いスペースとあって、いつもスモーカーでにぎわっている。

毎朝、7時半すぎにここを通過するのだが、その歩道の脇の道路に決まったように停車する白いバンがある。

ただのクルマであれば、何も気に留めることもないだろうが、そのクルマには明らかな特徴がある。

いつも脇のスライドドアが開け放たれていて、その荷台は赤茶色の汚れで染まっている。

最初はわからなかったそのクルマの正体が、そこを出入りし、作業する人たちの動きで判明した。

タバコの吸い殻の回収業者のクルマだった。

あの赤茶けたヘドロのような汚れはタールで、クルマからは確かに独特の悪臭が放たれていた。

私は、そこを通りすぎるたびに、作業をされる人たちに感謝の気持ちがわく。

自分は喫煙スペースを利用しないにもかかわらず、自然と頭が下がる思いがする。

業者もボランティアでやっているわけでもないし、慈善事業でもないはずだが、なぜか、そう思ってしまうのだ。

人は人によって支えられて生きる。

街も汚す人がいれば、清める人もいる。

仕事かもしれないが、清めるという生業には、言いしれない美学を感じるのだ。

そんなことを思いながら、きょうも白いバンの脇を通り過ぎ、職場を目指した。

友人からもらった喫煙区域を示すステッカー。こういうものを街中でよく目にするようになった。のべつまくなしに吸ってはポイ捨てされていた時代もあったが、喫煙マナーは努力の甲斐あって、だいぶ向上していると思う
友人からもらった喫煙区域を示すステッカー。こういうものを街中でよく目にするようになった。のべつまくなしに吸ってはポイ捨てされていた時代もあったが、喫煙マナーは努力の甲斐あって、だいぶ向上していると思う