人間観察

通勤途上で見かける印象深い人々(10)電車内で「失礼します」と深々と頭を下げる少年

以前にも書いたように、通勤の途上は人間観察の宝庫であり、鍛錬の道場だと認識している。

自分が人間であるように、街行く人も人間ならば、やはりそれなりに関心を持たざるを得ない。

人の振り見て我が振り直せということわざもあることだし。

他山の石という言葉もあることだし。

そう、だから面白おかしくではなく、あくまで自分に照らしてという観点が重要だと感じている。

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私は車両の端っこに立つのが好きなので、往々にして優先席の前に立つことが多い。

ヘルプマークは鞄に常時ぶら下げているものの、基本的には見えないように隠してある。

席が空いて座った時に、ヘルプマークを見えるように提示するようにしている。

だから、基本的にヘルプマークを見て席を譲られることはまずない。

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いつものように車両の端っこ、隣の車両に移動するためのドアの横に立っていると、私の目線のはるか下の方から、「失礼します」という子どもの声が耳に入る。

一瞬、何だろうとキョロキョロすると、小学3年生くらいで野球帽をかぶった男の子が、私に向かって、再度、「失礼します」と声をかけているのだとわかった。

ああ、ドアを開けて向こうへ移動したいのだなと察した私は立ち位置をずらして、ドアノブの辺りにスペースを設けた。

すると少年、「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、ノブをつかんで引き戸を開けた。

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さらにすると、少年の後ろに続いて、おそらくお父さんと思しき30代くらいの男性が、「ありがとうございます」と頭を下げて、ノブをつかんでいた。

私は「いえいえ」と言うにとどまったが、本音では、「こちらこそありがとうございます」と言いたかった。

素晴らしい少年、そして素晴らしいお父さん(たぶん)に感謝の念が湧いたからだ。

親子の背中をガラス戸越しに見送りながら、子育てはこうありたいものだと深く思った。

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一方で、イヤホンを耳にしたまま、シャカシャカの爆音を鳴らしながら、私の背中に手を突っ込むようにドアノブをつかみ、体をどしんとぶつけながら(「邪魔だ、ドケ」という心の声さえ聞こえる?)去っていく若者たちの多いことか。

無理もない、それが普通なのだろう。

とはいえ、やはり、一声くらいはほしいところではないか。

こういう人たちは同じことを他人からされても平気なんだろうか。

平気なんだろうな、きっと。

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そう、だから私は少年が見せてくれた見事な振る舞いには及ばないかもしれないが、やはり人としての礼儀や礼節は大事にしていきたいと思っている。

エレベーターで乗り込む時には、「すみません」と頭を下げつつ乗る。

電車内で移動のためにスペースがほしい時は、「後ろ失礼します」などの声かけはする。

もちろん、ほとんどの場合は無言であったり、ノーリアクションとなるが、何かを期待するわけではない。

自分がそうしたいからそうするだけだ。

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不思議なもので、あの少年のような振る舞いに接すると、心は羽をつけたように軽やかになり、無言で背中越しに手を入れられれば、心は一瞬にして沈む。

本当に心とは面白く、おかしく、とらえどころのない生きものなのだなとつくづく思う。

そんな心を目の当たりにできる通勤途上は、やはり人間観察の宝庫であり、道場だと思う。

この趣味は、おそらく死ぬまで続くに違いない。