人間観察,  距離道楽

通勤途上で見かける印象深い人々(15)電車内は距離道楽家にとって宝箱のようなもの

電車内というものは、距離道楽家である私にとっては、道楽したい放題の宝箱のようなものであるに違いない。

電車という四角い箱の中に、30分内外、空間をともにしなければならないとあっては、その距離感というものが非常に大事になってくる。

もちろん、朝夕のラッシュ時は距離感もへったくれもないので、例外となるが、混雑が緩和される時間帯は、その距離感が顕著に現れるところが面白い。

私のような距離道楽ではなくても、人は無意識のうちに距離感を保っている。

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たとえば、椅子席の距離。

人はできるだけ、人との真隣を避けて、間隔を開けて座りたがる傾向がある。

特に端っこは好まれるスポットだ。

これ以上動きようがないから。

これは私にもよくわかる心理だ。

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私は電車内では座らない派なので、ドア付近の空いたスペースに立つことが多い。

ドア付近がいっぱいの時は、優先席の前に立つことにしている。

難しいのは、3つある優先席から櫛の歯が抜けたように空いていく場合。

座らないので、立ち続けるが、座っている人の真ん前に立ち続けることにはやはり抵抗がある。

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席が空いているにもかかわらず、真ん前に人が立たれたら、それは座っている方も嫌に違いない。

かといって、空いている前に立つのも変だ。

こういうシチュエーションが一番困る。

どうするのが一番いい選択なのだろう。

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あと困るのが、席に座っている女性が若かったりすること。

なるべく若い女性の前に立つことは避けようとはしているが、どうしても避けようがない場合もある。

こういう時は、「私は決して、あなたの前に立ちたいからここにいるのではありませんよ」と念を送る。

もちろん、念は通じないし、むしろ逆の意味で、変に思われること請け合いだ。

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距離道楽家を自称するだけあって、視線は普通を装うも、痴漢を警戒する女性にとっては、「この人怪しい」という対象になってしまうようだ。

「いやいや、そんな気、全然ないですから。自分は距離を楽しむ距離道楽家ですから」と心でつぶやいても、通じるわけがない。

こういう性格に生まれついてしまったことを嘆くべきなのか。

いや、むしろありがたい。