おもひでぽろぽろ

隣の東大生と輪ゴム鉄砲戦争【大井町三丁目のおもひでぽろぽろ14】

道路からあずま荘にたどり着くまでには20メートルほどの私道を通らなければならない。
 
この私道はあずま荘のものだけではなく、さらに奥にある数軒の住居のためのものでもあったので、比較的行き交う人は多かった。
 
この私道の左側には板塀で囲まれた平屋の一軒家があった。
 
男の大学生が二人いる家庭だった。
 
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不確かな記憶では、兄弟のうちのどちらかが東大生で、もう一人は東京芸術大学に通うという絵に描いたエリート兄弟だった。
 
だからよく、この家からは、チューバだったかトロンボーンだったかを練習する音が響いてきていた。
 
二人とも超がつく優秀とあって、ご両親の自慢の息子だったように記憶する。
 
ただ、このうちの一人、おそらく東大生だった方が、真面目一辺倒というタイプではなかった。
 
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当時、輪ゴム鉄砲という遊び道具がはやっていて、割り箸とゴムを組み合わせて作り、飛ばすのが楽しかった。
 
ある日、いつもの私道で私と友達が輪ゴム鉄砲で撃ち合って遊んでいると、大学生の家から輪ゴムが飛んでくるではないか。
 
塀の隙間からのぞくと、東大生がマシンガンのような新型鉄砲を構えて私たちに銃口を向けているではないか。
 
と大学生との激しい輪ゴム戦争になったのは言うまでもない。
 
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こちらも負けじと、工夫して高性能化を図るものの、相手は頭の切れる東大生だから、太刀打ちのできようがない。
 
しまいには二丁拳銃まで持ち出して、連射を放ってきた。
 
幼稚園児にここまで本気で戦いを挑んできたのはなぜなのか。
 
結局のところ、この家には一度も上がることはなかったのでその真意はわからない。
 
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あずま荘の隣に暮らしていた溝口さんといい、向かいの大学生といい、私にとって大学生は憧れの存在だった。
 
何でも知っていて、やさしく接してくれて、本気で遊び相手になってくれて。
 
自分もいつか必ず、大学生になるという思いが育まれたのは、このころの思い出のおかげなのかなと思ったりもする。
 
その意味では、私の大学受験の動機は極めて単純なものだったといえる。
 
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ちなみに二人の大学生がその後、どのような道を歩んだかは知る由もないが、きっと立派な音楽家と立派な官僚(?)になって、社会に役立つ人材として活躍されたことと思う。
 
私より15歳ほど上だったので、70歳を超えておられ、悠々自適の人生を歩んでおられることだろう、きっと。
 
あずま荘はなくなってしまったが、大学生が住んでいたところに家はまだ残っているようなので、在住かもしれない。
 
いきなり輪ゴム鉄砲でバンと今やったら、ただの不審者としか思われないだろう。
 
当然のことだけど。