おもひでぽろぽろ

ほろ苦いビールの味は一生忘れない【大井町三丁目のおもひでぽろぽろ29】

冬になると秋田から東京に出稼ぎに出て働く二人の叔父がいた。
 
一人は母の兄、もう一人は母の姉の夫だ。
 
米作の農家であり、冬場は雪に閉ざされ、収入がなくなってしまうため、建設現場などの日雇いの仕事を請け負っていたようだ。
 
二人とも黒々と日焼けして、筋骨隆々だったから、私は腕にぶらさげて遊んでもらったものだった。
 
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とにかくお酒が大好きで、迷惑はかけられないからと一升瓶を2本手に提げてやってくるのだが、あっという間に空っぽになっていたようだった。
 
父は下戸なので、おつきあい程度だから、ほとんどは叔父たちの胃袋に収められていた。
 
それにしても秋田の人はどうしてあそこまで酒が好きなのだろう。
 
秋田の実家に帰った際も、部落の人々が集まっては酒盛りをするのだが、記憶では三日三晩ほど続いていた。
 
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ある日のこと、叔父の一人が私に向かって、「よっちゃんも飲んでみっぺか」とビールの入ったグラスを差し出してきた。
 
母はさすがに「だめですよ」と止めに入ったが、酔った叔父は「ほら、ほんの一口でいいからよ」と私にグラスを手渡してしまった。
 
母もそれ以上は制止しようとしなかったので、おそるおそる飲んでみると。
 
案の定、経験のしたことのない刺激に驚き、ぐえっと吐き出した。
 
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大人はこんなに苦くてまずいものを「おいしいおいしい」と言ってやまないことが、まるで理解できなかった。
 
大人には大人にしかわからない世界がある。
 
私は口直しにジュースをもらったが、これぞ飲み物と安心したということをよく覚えている。
 
それにしても幼児にビールを飲ませるとは、昔の大人はワイルドだった。
 
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その二人の叔父はともに90歳を超えたところで他界してしまっている。
 
私が大好きだった秋田を象徴するような方たちだったので、また一つ楽しい思い出を作ってくれた人々がいなくなってしまったことに寂しさを覚える。
 
特に秋田の実家の長男だった叔父は私が大学に入ったことをことのほか喜んでくれたようで、部落中に祝いの品を配っては自慢して回ってくれた。
 
本当にありがたいことだった。
 
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もう一人の叔父はスイカ農家だったので、夏になると大きく丸々としたスイカが送られてきた。
 
あまりにも甘くておいしいので、東京の店で買うスイカが食べられなくなってしまうほどだった。
 
だから今でもスイカのシーズンになると叔父のことを思い出す。
 
昔ながらの先割れスプーンを使いながら。