おもひでぽろぽろ

山の中になかった山中小学校【大井町三丁目のおもひでぽろぽろ31】

あずま荘を出て右に30メートルも歩くと、私が一学期だけ通った品川区立山中小学校があった。
 
あったというか、今もある。
 
都内であっても、少子化のあおりを受けて廃校を余儀なくされる小学校も多いと聞く中、この小学校の付近は存続していることを思うと卒業生ではないにしてもうれしく思う。
 
それにしても、住宅地のど真ん中にある学校がなぜ「山中」だったのだろう。
 
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一学期しか在籍しなかったとはいえ、学校が目の前にあったので、よちよち歩きのころから、校庭を遊び場にしたことはいうまでもない。
 
朝礼や運動会で使うお立ち台や鉄棒などは恰好の遊具だった。
 
姉とともにお立ち台に立って遊ぶ姿を父が写真に収めたものが今も残っている。
 
2歳くらいだったとはいえ、パンツ(おむつ?)にシャツ姿で隣とはいえ学校に遊びに行ってしまうのはやはり時代だと思う。
 
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小学校に上がった時、すごくうれしかったことがある。
 
全員が徒歩通学だったことだ。
 
幼稚園の小野学園ではバス通学組と徒歩組がわけられていたのが、どうも気に食わなかった。
 
「金持ちぶってるんじゃないぞ」というひがみにさいなまれた幼稚園時代であった。
 
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それがただ全員が徒歩通学になったというだけで、ひがみ根性から解放されたというのだから、まさに単純だ。
 
校門まで徒歩30秒、全速力なら15秒しかかからないにもかかわらず、何度か遅刻しそうになったことがあった。
 
近いほどに気が緩みという例のパターンにしっかりはまっていた格好だ。
 
あと10秒しかないという時は塀を乗り越えて間に合ったこともあった。
 
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というのは嘘で、真正面にそびえたつ壁は2メートル以上もあるコンクリート製で、しかもご丁寧に私にとっては鬼門の鉄条網が張り巡らされている。
 
さすがに同じ過ちはすまいと、この時ばかりは遅刻を受け入れた。
 
「一番近いんだから、もう少し早く出ればいいだろう」と先生からげんこつをもらったのはいうまでもない。
 
昔はそんな軽いげんこつは学校にあっては至極当たり前の光景だった。
 
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ちなみに鉄条網を超えようとしなかったもう一つの理由がある。
 
プールがあったからだった。
 
もし水槽にでも落ちたなら、遅刻どころか救急車騒ぎになってしまう。
 
そんな昔からプールの周囲に鉄条網が張られていたのは、少年少女のプール着を狙うでばがめ対策だったからなのだろうか。
 
そこんところはよくわからない。