おもひでぽろぽろ

胴上げで見たあずま荘の狭い空【大井町三丁目のおもひでぽろぽろ37】

この「大井町シリーズ」も最後となる。
 
最後らしく、引っ越しの場面でいきましょうか。
 
父は引っ越しも自力で行った。
 
軽トラックを借りては休みの日のたびに往復100キロを移動して家財道具を運んでいった。
 
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運転を生業としていたので、クルマの移動は苦にすることはなかったようだ。
 
とはいえ、往復した回数は3度か4度に上ったはずだ。
 
4畳半一間に一体、どれだけ物が詰まっていたのかと父も我ながら驚いたようだった。
 
当日の引っ越しには、隣の住人の溝口さんが大学のマージャン仲間に声をかけてくれ、手際よく手伝いをしてくれた。
 
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大学生たちも、夜な夜なマージャンをし、当時の薄い壁伝いに迷惑をかけてしまったという罪滅ぼしもあったのかもしれない。
 
額に手ぬぐい、薄汚れたシャツ1枚になって、バケツリレー方式で、道路に続く路地を運んでくれた。
 
そんな人の交流がこの時にあったのだと思うと、やはり感慨深い。
 
今となっては隣の住人の引っ越しを手伝うなど、ありえない話になっているのだから。
 
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すべての家財道具が積み終わった時、溝口さんの友達で、かぐや姫のしょうやんそっくりの大学生が、「よっちゃんを胴上げしよう」と声を上げるやいなや、学生たちが私を取り囲み、小さな私の体を軽々と持ち上げた。
 
宙に舞った私は恐怖心よりもうれしさが勝っていた。
 
それに、「ああ、もうこの人たちとは会うことはできないのだ」という悲しみにも襲われた。
 
あずま荘と隣の塀に挟まれた大井町の狭い空が今も網膜に鮮明に焼き付いている。
 
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私は泣きながら、トラックに乗り込んだ。
 
大学生たちは口々に「元気でいろよ」「大きくなったら遊びにこいよ」と叫びながら手を振っていた。
 
山中小学校の校門を過ぎて、彼らが見えなくなった時、私の大井町生活は終わりを告げた。
 
短いながらも極めて濃く、思い出の詰まった7年間だった。
 
*
 
ということで、このシリーズも完結です。
 
当初、7年間の記憶をどこまで掘り起こすことができるかに挑戦してみようと始めたのですが、意外にも芋づる式に思い出がよみがえってきたように思います。
 
お読みの皆さんにはほとんど伝わることのない内輪話ばかりでしたが、ところは変われど、みな同じような経験はされてきたのではないでしょうか。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
(おわり)
 
追記
あすからは自分史第三段の「インド紀行」を開始します。これは10年ほど前に入院していた時に書いたもので、舞台は学生時代に放浪したインドです。よくあるバックバッカーモノと思っていただけるといいかと思います。再掲という形となりますが、全面的にリライトをするつもりです。1日1話にこだわって書いたので、かなり荒い文章になっていました。そこを少し精査していこうかなと。予定としては80回程度なので、ペースにもよりますが、3-4か月は続くでしょう。この間、時折近況なども挟んでいきます。ということで乞うご期待。